14年間我が家に居候を決め込んでいた娘(+孫娘1)が、四月から同じ市の東京寄りにマンションを借りて引っ越すことになっている。半年ほど前から、物件を探したりしていた。広さよりはセキュリティー、駅から近い、いくつかの条件を満たせば、他の条件が消えて、なかなか難しいものだ。
我が家の最寄りの駅は、その前後の駅との間に踏切が何か所かあって年に何度も人身事故があり、そのたびに足止めを食う。それを避けるために、2つ東京寄りの駅から近い物件に落ち着いた。
まだ建築中の新築デザイナー物件。そう言うとかっこがいいが、かなり狭い。まあ女二人だから、何とでもなるとは思うけど。
我が家にある、高級だけど、仕舞いっぱなしの食器、好きなの持っていっていいよと言うと、二人で食器棚を眺めたりしている。私たちももう、仕舞いっぱなしは止めようと思う。
ということで、キッチンの踏み台が要る吊戸棚。二つの重箱をそれぞれ新しい紙袋に収め、届かないし見えない一番上の棚に戻す際に、ワイパーで拭こうとすると何か引っかかる。ワイパーで掬う様に手前に引くと、薄いお盆の箱だった。長い間重箱の下にあったのだ。
お盆は輪島塗の高級品で、娘が結婚するときに夫の姉がくれたものだ。娘は最初断っていた。義姉は高いものだからと遠慮していると思い、高いものを持っておくのもいいわよとか言っていた。
高いから遠慮したわけではなく、娘にとって塗りのお盆は必要のないものだったのだ。でもそれを説明するのも面倒なので、結局お盆は我が家にとどまり、戸棚の一番高いところで息をひそめていたわけだ。
はやりの終活を始めたいと思っているわたし、家の中のものはすべて頭の中にインプットされているような気がしているが、このお盆のようにすっかり忘れているものもあるに違いない。
何かで読んだ。脳が記憶する分量には限りがあるので、順に入れ替わっていると。
それなら、きれいで楽しく、心が和む記憶だけで脳がいっぱいになればいいけれど、現実には嫌なことも一杯詰め込んで生きている。