兄から母がもう危ないようなメールが来てから、ずいぶん経つ。ときどきメールで変化を知らせてくれるが、私には何もできない。
母は三日に無事に?103歳になった。
贈るものが何も思いつかず、送っている間にもどうなるかわからないなどと思いつつ、前日になって手紙を書いてポストに投函した。
今朝、兄からメールで、持ちなおして、続いていた点滴をやめたのだそう。
恐るべし、大正生まれの生命力!
以前から、「こうして年取っても元気でいられるのは、何でもよう食べるからやで」と、母はよく言っていた。歯も丈夫だからしっかりと咀嚼する。朝、昼、晩、プラスお茶タイム。実家に滞在してそれに付き合っていると、私はお腹が空く暇がなかった。
もちろん娘の立場で言えば、いつまでも生きていてほしいものだけれど、私の場合は?と胸の内に問えば、応えはNoだ。私が百歳になるとき、わたしの娘は75歳だもの。
母の息子は80歳。母と同じ施設にはそれより若い人も入居している。母と息子は、どんな風に見えるのだろう。