今18歳の孫娘1.成人式の準備の時期となる。
以前はわたしの中振袖を、母親と同様に着ると言っていたが、成人式は母校の女子高で行われるというのだ。それでは、半世紀前の着物はちょっとかわいそうかなと思い、情報を集めてはどうかと、言っていた。お金は出すからということも。
昨日、娘と孫娘1、二人で大手のスタジオへ行き、好きなのがあったので予約をしたという。着物と帯、小物類、バッグも草履も含めての値段を聞いてびっくり。安い!
大丈夫かな、ペラペラの安物だと周りと比べて見劣りがしてしまう。
でも、当節はそんなものらしい。母親の世代も着物のことを何も知らない、どうかすると祖母世代も着物に無知だ。
ま、いいか。本人の好きな色合いで、羽織って撮った映像を見るとよく似合っている。いいとするしかない
振袖の値段は上を見ればきりがない。思い出すのは二十数年前のことだ。
わたしの姉にもわたしの娘より1学年上の娘がいる。その成人式の着物のとき、姉はわたしたちの母に買ってもらうつもりでいたらしい。が、母はそんな気はなかった。あんたの振り袖があるでしょ。姉の振り袖は父がまだ薄給のころに無理して買ったもので、高級ではない。娘に引き継ぐような代物ではなかった。
その後父の収入がぐっと増えて、我が家には京都の呉服屋さんが出入りし、母はどんどん着物を買っていた。だから姉も、当然買ってもらえると思っていたようだ。
結局姉は預金を崩したりして工面し、着物や帯すべてで50万のものを整えた。
全部で50万円って安物のペラペラ買うより、あの子(姉のこと)のを着せたらいいのにと母は言っていた。
わたしは、お姉ちゃんえらいわ。50万なんて普通のサラリーマンがなかなか出されへんよ、娘の着物に。わたしはよう出さんわ。わたしのを着せる。そんなお金ないもん。と母に言った。、
母は黙っていたが、当時の母の金銭感覚はそんなものだった。戦前、裕福な商家の一人娘であった母は、女学校の帰りに呉服屋さんのガラスケースに飾ってある着物を見てほしいと思うと、家に帰ってすぐに祖母と一緒にその店に行って買ってもらったりしたと聞いたことがある。だから父の収入が増えて京都の呉服屋さんから、好きなだけ着物を買うことができた、あの頃は母の最も幸せな時代だったのだろう。
今わたしのタンスに眠っている着物たち、すべて現金に変わってほしいくらいだ。日本は生活様式がどんどん変わったので、着物が時代についてきていない。着る面倒さ、手入れの面倒さ、椅子式の生活や洋室ばかりの家や車での移動など。それにさっとクリーニングに出すか、洗濯機で洗うとか。着物は古物の塊だ。着ることは特別なことになってしまう。
まあ、成人式は一生に一度、特別な行事なのだから、悔いのないようにと願いつつ、安いけど大丈夫かなあと、チョッピリ気になる祖母のわたしである。