モデル
老画家は三本目のタバコに火をつけた。怒りのため小刻みに震えているその手を、私を含め二、三十人の生徒たちは黙って見守っていた。
薄汚れた塑像が数体と、古めかしい壷やガラスの花器、得体の知れない置物が抜け殻のように並んでいる出窓の向こうに目を移すと、華やかに点滅する灯が暗い空を彩っている。大阪駅から程近いビルの五階にある美術教室である。
部屋の片隅には灰色のカーテンで仕切られたモデルのための更衣室があるが、そのカーテンが今日は中途半端に開かれたままである。
「これで三度目だねえ」
誰にともなく老画家が言い出した。
「先週もその前も遅刻してきた。最初の頃はきちんと来ていたんだが・・」
普段は物静かな口調で話す彼が、今は怒りを抑えきれずトーンの高い声を出している。
「僕の友達がねえ、モデルと結婚して親からは勘当,先生からも破門された。モデルなんかと一緒になったといってね」
きちんと櫛の入った白髪頭を振りながら彼は話し続けた。そうでもしないと間が持てないというように。
モデルをやっているのはろくな人間じゃないと言わんばかりのその語調に、私はちょっぴりショックを受けた。モデルを愛してはいけないのか、彼たちの世界では・・。
三十分以上も遅刻してモデルの女性がきた。
「君ねえ、人を馬鹿にするのもいい加減にしたまえ。皆今まで何もせずに待っていたんだ」
老画家はたまっていた怒りを吐き出した。
肩を窄めて俯いているモデルの後姿を私はじっと見ていた。洗いざらされたブラウス、かなり古い型のピンクのスカート、そして今は誰も穿いていない線の入ったストッキングーーそれらに包まれた彼女の肢体は、モデルとして充分な素材であるはずなのに、今はちっぽけなみすぼらしい生き物として私の前に在った。
1988年作