去年のこと、わたしが勘違いして、「今年の父の17回忌、するなら時期を合わせて帰省したい」と兄にメールしたら、17回忌は来年との返事。
結局9月の頭に一人で一泊の帰省をし、サ高住にいる母と会い、お墓参りもしてきた。
兄に会ったとき、来年の17回忌をやりたいのはバアサンだけだと言っていた。バアサンとは百歳の母で、施設から出るのはちょっと難しい状態。「わたしも、やらなくていいと思う」と言っておいた。
思い返せば父の13回忌のとき、お葬式や法事を簡単に済ませたり家族葬で済ませたりという風潮が濃くなってきていたころだ。
実家は親族も少ないので、母と兄夫婦、姉、私、それに大阪に住む兄の次男一家だけだった。
読経の後の説教で、最近は何でも簡単に済ませてしまいますね。70年、80年それ以上生きて、いろんな人とのかかわりもあったでしょうに、お通夜が親族も含めて7人なんて言うこともありました、ちょっとそれは寂しすぎます。やはり、かかわりのあった人たちで送るのが望ましい、というような内容の話をされた。
法事の前に、今回で最後でいいね、17回忌はもういいよ、などと話していたので、ちょっと胸に刺さったものだ。
だいたい17回忌、今から4年後。母はもういないのではないか。皆ぼんやりとそう思っていた。母も含めて。
ところがどっこい、母はいる。サ高住で、足が痛い、腰が痛い、と言いながら、トイレもきちんと行くし、口は達者。
昔から模様替えが大好きだったが、狭い一部屋の引き出しやテレビの置き場を誰かが行くたびに替えさせる。ベッドで、これをあっちに、あれはこっちにと、一日中考えているようだ。行く方も高齢なのに、迷惑な話である。
こんな状況の今年、法事をどうするか。まだ連絡はない。
コロナの状況が今と変わりなければ、わたしは行かない。北千住、日暮里、東京、京都、西大寺、乗降客の多い駅での乗り換えは避けたい。わたしが帰ったあとで、誰かが罹ったら、東京からコロナを持っていったみたいになってしまう。
断る理由が次々思い浮かぶけれど、兄もたぶん今年はやらないだろう。お寺さんが来るかもしれないが。
8月の末まで、完璧な収束は、わたしは望まない(✌)