コロナウイルスの影響は計り知れない。国家の大事である。同時に個々人の大事でもある。

 

夕方のニュースで、東京で単身赴任している若いお父さんが、長野の家族のもとに帰るのを諦めたという話。もし自分が感染していたら家族にうつる、それを避けるためだ。子供の入学式なのだそう。若いあ父さん、さぞ子供の入学式の姿を見たいだろうに。

これはほんの一例に過ぎない。もっと深刻な話はいくらでもある。

 

それなのに、それなのに。なんだ、巣鴨の老人たちは。 ニュースを見ないのか、見ても理解できないのか。 全く自分勝手である。自分のことしか考えていない。

 

わたしも含めて、戦後教育の波の中で、自由を最優先に、個人を大事に、国家を後回しに、そういう雰囲気の中で育った。その割に学校という教育の場では、全体主義というか、グループ、集団行動が大事と叩き込まれた気はするが。これは、その方が先生にとって都合がよかったからであろう。いずれにしろ、とても流動的な時代ではあった。日教組が一番偉かった。

 

そんな中で、自分なりの価値観を見つけ、身に着けて、大人になった。(自負)

 

テレビの中で、いつもと変わりなく巣鴨の商店街を歩く元気な高齢者たち。開店前のスーパーに並んで、トイレットペーパーなどを買い占める老人たちも同類である。要反省、請反省……