9月1日、奈良の施設にいる母を訪ねた。その日の午後2時間ほどと、翌2日の午前中2時間くらい、それがわたしの精いっぱいだった。会っている間中、母のお喋りは止むことがなかった。それはいいが、そのほとんどが不平不満愚痴、そして誰かの悪口だった。自分の思うような老後の生活ではないのだろうけれど、それにしても……。

 母のお喋りを思い出すと、胸の内がざらざらと砂だらけになってゆくような気分になってしまう。

 

 高齢者の親の世代、超高齢者について、いろいろ考えてみようと思う。

 

高齢者という言葉を聞くとき、わたしは大体、75歳以上、85歳以下のご老人を連想する。もう少し広げて下限を65歳くらいにしてもいいかもしれない。どちらにしろ、上は85歳とする。

なぜならそれ以上のご老人は、あまり街で見かけないし、電車で見かける機会も少ないと思うからだ。そこで85歳以上のご老人を超高齢者ということにする。末期高齢者と言われるよりはいいと思う。

 

高齢者も、超を冠すると男女の区別はない。男も女も、わがままで世間知らずで、自己中の塊と化すからだ。

なぜわがままかというと、周りの人間、それが身内であれ、住んでいる施設のスタッフであれ、周りの人間はすべからく自分のいうことを聞いて当然と思いこんでいるからである。

なぜ世間知らずかというと、彼らの多くは新聞を読まないし、テレビは自分の見たいものしか見ない(高齢者の問題のように見たくないものは見ない)し、もちろん新刊本も読まない。彼らの価値観はそういうものを受け入れなくなったときのままである。したがって、年に何度も旅行をしたりそれほど乗っていない車を買い替えたり、たとえアウトレットにせよブランド物の服を買ったりすることは、とんでもないぜいたくだと言い出したりする。

なぜ自己中心かというと、彼らの多くは、自分が言いたいことはすべて吐き出すが、人の話は聞かない。自分の中にたまっているものを吐き出すことに寄って、相手がどれほど不快な気分になるかとか、傷つくとか、そういうことは考えても見ない。それを自己中という。

 

 母が施設に入ることで、わたしが気にかかったのは、母が施設の職員や他の入居者とうまくやっていけるかということだったが、それは意外にも杞憂であった。周りに大事にされ、適当におしゃべりもし、まあまあ居心地はよさそうだった。職員は皆よくしてくれる、何でも聞いてくれると、母は言う。当たり前だ。しょせん他人事だし、仕事だもの。まあ、そうねえ、○○さん、とか言っていればいいのだもの。

 

 人生100年という時代、100歳ということは子供がみな高齢者ということだ。それに核家族。高齢者は自分のことで精いっぱい、親の介護は無理。どうなるんだろう、将来の長寿社会。

 それとは別に、80、50の問題というのもある。50の引きこもりの息子を80の親が見ているという図式。あっという間に90,60の問題になってしまう。

 

 高齢者の問題も超高齢者の問題も、他人事ではないので、これから少しずつ考察し、書いて行こうと思う。ウザイと思う方はスルーしてください。