セクハラって、受けたほうが申し立てて成立するものだと、わたしは思う。これが基本。
某テレビ会社は、若い女性の記者を、夜の会食に一人で、つまり男の方と二人きりで、取材ということで行くのを、当たり前のこととしていたのだろうか。
この場合、若い男の記者だったら、「おまえなんかに話すことは何もない」とか言って、二度目はないかもしれない。
それにしても、何度も、二人きりでというのがわたしには理解できない。上司も、他社に先駆けて、という気持ちが強かっただろうとは思うけど。もし、若い女の記者に行かせた方が得だなどと考えたとしたら、それこそセクハラだ。
娘が言うには、「うちみたいに小さな会社でも、若い女性一人で、そんなことさせない。必ず複数で行くか、年配者や男の上司も一緒に行くはず」ということだそう。
もちろん退職した次官も、脇が甘すぎた。
が、この問題を、女性が一人で…というと、男女差別だと、声高に特にメディアは叫ぶので、そういう声は出にくいが。
差別を叫ぶなら、女性専用車両もなくていいはずだし、いろんなことをスッキリさせるべきだ。
差別ではなく、自覚。 記者である大前提に、性差がある。これを生かすも殺すも、自覚次第。
そのうち、どこの職場でも、女性社員に対して男の社員は誰も口をきかない、なんて状態になってしまいそう。