残暑見舞い。
今日からもう9月というのに、今年はまだまだ暑い日が続くそうですね。
日本の場合、いつもなら夏はあっという間に終わるというイメージがありますよね。
夏が終わる寂しさ…そんな心境を持つ季節がちょうど今頃の季節のはずです。
皆さんは、今どんな心境ですか?
もう夏なんて早く終わって欲しい?
それともまだまだこの暑さが続いて欲しいですか?
今年ほどの暑さ続きでは、なかなか太陽のありがたさを感じることは難しいかもしれませんが、
それでもやはり宇宙空間の寒冷から生命を守ってくれる太陽の熱と地球の大気のベールは、わたしたちにとってとてもありがたいものと言えます。
春夏秋冬、わたしたちはどの季節も年齢分の回数しか味わったことがありません。
何百何千回と体験することはできないのです。
どんなに暑くても、どんなに寒くても、それを忘れないようにしないといけませんね。
日本の場合、いつもなら夏はあっという間に終わるというイメージがありますよね。
夏が終わる寂しさ…そんな心境を持つ季節がちょうど今頃の季節のはずです。
皆さんは、今どんな心境ですか?
もう夏なんて早く終わって欲しい?
それともまだまだこの暑さが続いて欲しいですか?
今年ほどの暑さ続きでは、なかなか太陽のありがたさを感じることは難しいかもしれませんが、
それでもやはり宇宙空間の寒冷から生命を守ってくれる太陽の熱と地球の大気のベールは、わたしたちにとってとてもありがたいものと言えます。
春夏秋冬、わたしたちはどの季節も年齢分の回数しか味わったことがありません。
何百何千回と体験することはできないのです。
どんなに暑くても、どんなに寒くても、それを忘れないようにしないといけませんね。
実は少しずつ…。
フタが固くて、なかなか開かないビンがある。
どんなに力を込めて開けようとしても、びくともしない。
当然ながら、そこで諦めてしまうと、ビンの中身を手に入れることはできない。
しかしながら、ビンのフタは、実は少しずつ開いているのだ。
目には見えないが、力を加えた分、わずかながら、しかし確実にビンのフタは開き始めている。
あと、もうちょっとだけ力を加えれば、ビンのフタは突然開くのだ。
だから、諦めないで、休みながら、またビンのフタを開けようと試みた方がいい。
あと少しだけ頑張れば、ビンのフタは開くのだから。
どんなに力を込めて開けようとしても、びくともしない。
当然ながら、そこで諦めてしまうと、ビンの中身を手に入れることはできない。
しかしながら、ビンのフタは、実は少しずつ開いているのだ。
目には見えないが、力を加えた分、わずかながら、しかし確実にビンのフタは開き始めている。
あと、もうちょっとだけ力を加えれば、ビンのフタは突然開くのだ。
だから、諦めないで、休みながら、またビンのフタを開けようと試みた方がいい。
あと少しだけ頑張れば、ビンのフタは開くのだから。
生まれ来る者。死に逝く者。
1904年(明治37年)生まれの祖母が亡くなりました。
106歳。まさに大往生でした。
1904年、明治37年というと、日露戦争の年です。
日本初のデパート三越呉服店が開店した年でもあります。
1910年の韓国併合よりも前で、夏目漱石の「吾輩は猫である」が発表される一年前。
前年には、ライト兄弟が人類初の動力飛行に成功しています。
そう考えると凄まじいですね。
うちは父親が三男で、しかも地方に転勤していたので、祖母と会うのは正月くらいでした。
家には仏壇もなく、とくに父親から宗教観を教えられたわけでもないので、「死」というのものは身近にありませんでした。
初めてリアルな「死」に直面したのは高校の時。母方の祖父が亡くなったときでした。
昔は身内が家で亡くなることが多く、幼い頃に曾祖母や祖父などの死を目の当たりにすることが多かったようですが、最近は専ら老人ホームや病院です。
普段生活している中で、「死」と向き合う機会があまりにも少ないのですね。
今回は、祖母が亡くなる一方で、従兄弟に二人目が今にも生まれるタイミングだったりして、まさに生まれ来る者と死に逝く者がいて、世界はそうして回っているのだとあらためて感じたのでした。
106歳。まさに大往生でした。
1904年、明治37年というと、日露戦争の年です。
日本初のデパート三越呉服店が開店した年でもあります。
1910年の韓国併合よりも前で、夏目漱石の「吾輩は猫である」が発表される一年前。
前年には、ライト兄弟が人類初の動力飛行に成功しています。
そう考えると凄まじいですね。
うちは父親が三男で、しかも地方に転勤していたので、祖母と会うのは正月くらいでした。
家には仏壇もなく、とくに父親から宗教観を教えられたわけでもないので、「死」というのものは身近にありませんでした。
初めてリアルな「死」に直面したのは高校の時。母方の祖父が亡くなったときでした。
昔は身内が家で亡くなることが多く、幼い頃に曾祖母や祖父などの死を目の当たりにすることが多かったようですが、最近は専ら老人ホームや病院です。
普段生活している中で、「死」と向き合う機会があまりにも少ないのですね。
今回は、祖母が亡くなる一方で、従兄弟に二人目が今にも生まれるタイミングだったりして、まさに生まれ来る者と死に逝く者がいて、世界はそうして回っているのだとあらためて感じたのでした。
不屈の精神。
日本代表、ベスト8ならず。残念でしたね。
120分もチームが一丸となって戦ったのに、最後にPKで決着というのは酷なルールだと思いませんか?
少年野球などでは、規定回数で決着がつかない場合はローカルルールがあって、ワンアウト満塁から延長戦を開始するなんていうルールもあったりします。
サッカーも、たとえば延長戦後半はオフサイドなしとか…
素人発想ですが、やっぱり最後まで「走る」スポーツであった方がサッカーらしくていいのではないかと思うんですけどね。
今回のW杯で日本代表が、そして我々日本人が得たものは何だったのでしょう。
その答えはひとりひとりの胸の内にくっきりと形をなしていることでしょう。
何事も諦めないで、不屈の精神で挑む。日本人が未来永劫忘れてはいけないものかもしれませんね。
120分もチームが一丸となって戦ったのに、最後にPKで決着というのは酷なルールだと思いませんか?
少年野球などでは、規定回数で決着がつかない場合はローカルルールがあって、ワンアウト満塁から延長戦を開始するなんていうルールもあったりします。
サッカーも、たとえば延長戦後半はオフサイドなしとか…
素人発想ですが、やっぱり最後まで「走る」スポーツであった方がサッカーらしくていいのではないかと思うんですけどね。
今回のW杯で日本代表が、そして我々日本人が得たものは何だったのでしょう。
その答えはひとりひとりの胸の内にくっきりと形をなしていることでしょう。
何事も諦めないで、不屈の精神で挑む。日本人が未来永劫忘れてはいけないものかもしれませんね。
偶然か必然か。
3月末に台湾出身の彼女が、留学を終えて帰国しました。
スカイプで喋ったりすることもできるんですが、彼女がシャイで電話が苦手なためにメールやチャットでのやりとりがほとんでです。
この度、彼女が仕事を見つけたと連絡をくれました。
かねてより希望していた日本企業の通訳の仕事です。台北の郊外にある新竹という街は、台湾のシリコンバレーと呼ばれています。そこにある一企業との契約が決まったということでした。
私自身はその企業を知りませんでしたが、その方面ではそこそこスケールのある会社です。
ほんの二日後ぐらいでしょうか。
偶然にも同じ会社絡みの仕事が私の元に舞い込んできました。
私は自営業(フリーランス)で広告関係の仕事をしていますから、いろいろな業界の仕事依頼があります。
そんな中、彼女が勤めだした会社がこのタイミングで自分のクライアントになるという偶然に驚きを感じると同時に、何となく嬉しさを感じています。
単なる偶然といえばそれまでですが、やっぱり僕らは繋がっているのか。なんて都合よく考えたりします。
ちょっとしたことだけど、こうしたモチベーションを持てることを感謝するとともに、世の中には不思議な因縁があるものだなとつくづく考えるのでした。
来月、彼女に会いに行く予定です。
スカイプで喋ったりすることもできるんですが、彼女がシャイで電話が苦手なためにメールやチャットでのやりとりがほとんでです。
この度、彼女が仕事を見つけたと連絡をくれました。
かねてより希望していた日本企業の通訳の仕事です。台北の郊外にある新竹という街は、台湾のシリコンバレーと呼ばれています。そこにある一企業との契約が決まったということでした。
私自身はその企業を知りませんでしたが、その方面ではそこそこスケールのある会社です。
ほんの二日後ぐらいでしょうか。
偶然にも同じ会社絡みの仕事が私の元に舞い込んできました。
私は自営業(フリーランス)で広告関係の仕事をしていますから、いろいろな業界の仕事依頼があります。
そんな中、彼女が勤めだした会社がこのタイミングで自分のクライアントになるという偶然に驚きを感じると同時に、何となく嬉しさを感じています。
単なる偶然といえばそれまでですが、やっぱり僕らは繋がっているのか。なんて都合よく考えたりします。
ちょっとしたことだけど、こうしたモチベーションを持てることを感謝するとともに、世の中には不思議な因縁があるものだなとつくづく考えるのでした。
来月、彼女に会いに行く予定です。
