長男坊が幼稚園に通い始めた時に真打ちに昇進した。
いまから12年前。
昇進時はいわゆるご祝儀相場で、仕事も増えて賑やかな日々が続くものだが、
その低レベルのバブルはおよそ一年ぐらいで崩壊する。
結構誰もが通る道で、難儀といえば難儀なのだが、
自分でも気づかぬうちに、精神的に堪えていたのだろう、
医者から処方された安定剤に頼るような日々もあった。
夜眠れなくなるのだ。
そんな時だった。
あの頃長男坊は3歳。
夕食後長男坊が「パパを描く!」といきなり言い出し、広告の裏におもむろに俺の顔を描き始めた。
それはてるてる坊主みたいな風貌だったのだが、にっこり笑って口角を上げた笑顔だった。
「これ、パパ?」
「うん!」
そうか、彼は俺のことに対して「いつも笑っている」というイメージしかないのか。
ガツンと教えられた。
この小さな瞳の奥には、俺にはいつも笑っていてほしいという願いが込められているのか。
「いつも笑っていろよ、落語家だろ」
「ごめん、ありがとう。パパは笑っていなきゃなあ」
「子どもは誰もが宗教家だ。だから子どものことも坊主と呼ぶ」
とはよく言うネタだけれども、確信した。
その時こんな話をいろんな人にも伝えたけれど、
「かわいいのはいまのうちだけだよ、もう中学に上がると憎たらしいだけ」とよく言われたものだ。
あれから数年。
仕事も露出も増えてきた。
いや、まだまだ全然だけど。
いま長男坊が高1、次男坊が中2になってしみじみ思った。
いまでもかわいいまんまだ。
あの時のそんなことばは、明らかに嘘だったと。
いくつになっても子どもはかわいい。
「パパはきもい!」と言われれば言われるほど燃え上がる。
叶わぬ恋みたいだな。
天下の大師匠 談志 の
無茶振りに耐えつづけた9年半で手に入れた、
”笑う”コミュニケーション術