小さい頃やった他愛もない遊びだけど、世の中すべて「この指止まれ」じゃないのかなあと思えてきた。


談志のこしらえた立川流に集う落語家もみんなそうだ。

俺自身自発的に落語家になろうと入門し厳しい前座時代に遭遇したのだが、

上田サントミューゼこけら落としの打ち上げで志の輔師匠に言われた

「お前が弟子になったんじゃない。師匠がお前を呼んだんだ」

こそ一番しっくり来るもの。


だから本来、企業の入社面接で

「当社の志望動機は?」

なんて聞く会社はナンセンスなのかもしれない。

「呼んだのは、お前のほうだろ」

というのがそもそも学生側のホンネのはずだから。

 

違和感丸出しなのはそこだ。

むしろ答えるべきは「そそのかされた恥を知的に分析すること」だ。

そこを突けば何かが広がるはず。

 

売れている人は、そういう意味で言うと
この指止まれの「指出し上手」な人なんだよね。

向こう側が掴みたくなるようなセリフとタイミングできちんと上手に指を出している。
 

売れている本などもしかり。

中身はもちろんタイトル、装丁と、買う側の人間をついつい

「子供の頃に戻って仲間の輪に加わっている状態」

にさせてしまっている。


当たっているクラウドファンディングなんかまさにそうだ。

参加することの楽しさが横溢しているものだ。


結婚もそうだ。

まさに「この指止まれ」の図式で子孫という応援団がどんどん増えてゆく格好。

正確には指ではなくちがうもの同士を結びつけて増やしていくのだけどねw。

 

自分はまだまだその渦中にいるのだけど、

「この指止まれ上手」なずば抜けた天才たちの言動を見ていると、

とにかく他者を無防備にさせている。

ガキの頃に戻してしまう魔法をかけている。

いくつになっても「こいつといると楽しい」と思わせる何かを発揮したいものだ。

 

「陸王」がなぜ面白いのかは、ここだ。

人間はずっと何かに駆られて一生を終えたい生き物なのだ。

人生の目標なんてそれしかない。

死ぬ間際、

「騙されていたんじゃない。俺が夢を見ていたんだ」

とにっこり笑えるなんて考えただけで震えが来そうになるほど羨ましいじゃないか。

 

「この指止まれ」。


コツは与太郎になるしかない。

夢を見ようと言い出す人はまずおおらかでバカだ。

今日は子供の頃から憧れ続けてきた武論尊さんにお会いする日。

「ドーベルマン刑事」はガキの頃の「この指止まれ」だった。

「北斗の拳」を読んで身体を鍛えたくなった。

 

「この指止まれ」は自分から声をかけるのも、人の指に止まるのも、どちらも楽しい。

 

「この指止まれ」、今日は誰がくるかな。


そして、今日は誰の指に止まろうかなあ。

 

 

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