談春兄さんと飲んだ時というか、俺がたかった時だが、

「落語家にとって一番大事なことは?」

的な一番照れる質問をぶつけた時、

「覚悟」

と答えた。

 

こはるを一番弟子として取った時も、これを感じたからだろう。

 

だいたい落語家なんて超絶の照れ屋なんだから、

そんな野暮に近い質問なんか酒の力を借りなきゃ聞けないもの。

酒の上、酔った勢い、結構大事だ。

しくじるリスクも高くなるのだが。

 

では覚悟の具体例はというといつも思い出すのが、亡くなる3か月前か、

談志が直門の弟子たちを前にして送った最後のメッセージの、

あの放送禁止用語の4文字だ。

 

あの場で、

「落語に命をかけてみろ」とか

「にんげんだもの」

みたいなことを書かなかったからこそ談志の凄さがあったのだ。

 

病が身体を蝕み、恐らく死期も悟りつつある中で、

力を振り絞って紙に書いた字が、あの言葉だったのだ。

無論テレビなんかじゃ公開できない。

まさに永久秘仏的なキーワードとなった。

 

そこにプロとしての覚悟を見た。

ちょうど6年前の今頃の出来事だった。

ずらり並ぶ弟子たちを一通り見つめる際の眼光だけは、相変わらず鋭かったけど。
 

あそこで教訓的な言葉を書いていなかったから伝説化されたのだ。
 

一挙手一投足ってとても大事なんだと思う。

すべてこれらは受け手に判断を委ねられるものだ。

つまり「そんなつもりで言ったわけではない」

という言い訳は通らない。

そういう言い訳をしないのも「覚悟」だ。

 

そんな覚悟の初期的確認段階として、「修行」があるのかもしれない。

「覚悟」は誰でも持てるようになれるものには違いないという

「公平性」を担保するシステムが修行なのだ。

 

談志だって前座からスタートしたのだから。

 

「こんな思いをしてまでも、お前は落語をやりたいのか」

というめんどうくさい訓練の中で、覚悟が鍛えられてゆく。

 

「こんな場所じゃできない」という人たちは、みんなアマチュアだったっけ。

佐久のホールの館長時代に痛感した。

 

「覚悟」。


芸人だけではない。

誰もが自分の職業と向き合う際に持つべきものだ。

この言葉の前ではテクニックとかスキルなんて薄っぺらく霞んでしまう。

それらはあくまでも前提条件に過ぎないものだから。

 

以上、夏が来れば思い出すこと。

 

残暑お見舞い申し上げます。

 

 

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