「あれになろう これになろうとあせるより 富士のようにだまって己を揺るぎないものに作りあげろ。世間に媚びずに世間から仰がれるようになれば自然と自分の値打ちは世の人が極めてくれる」(吉川英治「宮本武蔵」より)
東海道線の旅、ネタばらしはまずいので詳細は観てのお楽しみだが、
ロケ中ずっと富士山に見守られている格好となったので、
大好きな「宮本武蔵」の大好きなこの一節を思い出した。
この言葉、「評価は他人が下すもの」という師匠の言葉の解説バージョンなんだよね。
「結果を出さないと他人は振り向いてくれない」なんて非常に厳しい言葉のように感じるけど、「誰かははきっとかならず見ていてくれるよ」という優しさにもつながっているんだよ。
本当の名言には味わえば味わうほど救いがある。
最初から「救い」で釣ろうとする名言とはやはり違う。
インチキ坊主が筆でテキトーに書いた言葉なんかに救いを求めると
金魚掬いのようにこっちが掬われて遺族の金目になるだけだからね。
誰のこととは言わないけど。
いや思う存分言ってるけど。
で、名言について。
今回の仕事はレポーターだった。
いままで出身地長野では、
かなり「湯けむり紀行」と銘打った形のレポーターをやらせていただいた。
10年以上前か。
二つ目になりたての駆け出しの頃をよく使っていただいたものだ。
あの頃は先回りして名言を言うのが自分の役回りだと思っていたものだ。
だからなんか肩に力が入りすぎて空回りばかりしていたような気がする。
それでも頻繁に使ってくださり宦官のイタリアであります、はい。
で、今回気づいた。
「レポーターってメイクしないで挑む仕事なんだ」と。
落語家も人前に立つとは言え、舞台役者さんたちとは違って入念にメイクをしたりはしない。ギャツビーの顔を拭くやつでこざっぱりして出るだけだ。
基本テレビの場合もそれに準じる。
先日もNHKの民謡番組では頻繁に手直ししてもらった。
基本俺が男だからかもしれないけど、
火野正平さんが自転車漕ぎながらメイクを合間合間に整えているとは思えない。
これはどういうことか。
「もう素で勝負するしかない」ということなんだろう。
これがレポーターの基本なんだろうな。
発信者的立ち位置ではなく、受信者側に立つべきなのだ。
名言を自分で言うのではなく、相手側に言わせる存在なのだろう。
そんなマウントポジションを目指す時、
メイクしてたんじゃ、それは取り繕うことにもなり兼ねないから、
向こうの心は閉ざしてしまう可能性も出てくる。
女性レポーターはともかくも、
男性レポーターはメイクなしで向き合うと言う理由はそこなんではないかとふと思った。
積み重ねたもので勝負する世界ではなく、
積み上げたものをどこかに置いてきた感じにして、
何も持たない素の部分で出会う人や風景と溶け合うのが
レポーターの理想のような気がする。
名言は向こうに言わせる。
つまりシュートを決めるのではなく、キラーパスを出す立場。
何が言いたいのかというと、
「メイクからは名句は生まれない」という名句。
最後のこの一言が言いたかっただけである。
あースッキリした。
てなわけで、
4月6日19時からのBS日テレ
「鉄道唱歌の旅 東海道線編」
をお楽しみに!!!!!!!!
要するに番宣でした!
天下の大師匠 談志 の
無茶振りに耐えつづけた9年半で手に入れた、
”笑う”コミュニケーション術