「いつも同じお題なのになぜ落語家の話は面白いのか」を、大絶賛してくださった方がいた。訳あってそのお方の名前は公表できないが

師匠の次に自分の人生に影響を与えてくれた方と言っても過言ではない大物だ。

 

その人は自らの永遠のライバルと目される人と重ね合わせて読んでくれたようで、

「お前の本のおかげであいつが救われる」とまで述べた。


この本は、若手有能編集者から

「このタイトルで書いてください!」

という無茶ぶりで投げられた球だった。

自分が長年抱き続けてきた素朴な疑問と向き合いながら書き進めていたら

面白いものに出会えた本になった。

 

その本を読みこなす中学三年生との再会が昨日だった。

うちの長男坊と幼馴染み。

小さい頃長男坊と公園で遊んでいたコが、大人顔負けの読書家に変貌していた。

 

「職業インタビュー」だったけど、

「修行の合理性」、

「どの業界にも天才がいる」、

「世の中楽しいことだらけ」

などなど、気がつけばあっという間の一時間半だった。

 

「ビール、飲むか」。

談志が幼稚園に通ううちの子供らに放った一言は完全に子供の心をキャッチしたものだ。

「俺たちを一番最初にオトナ扱いしてくれた人」と彼らの頭に刻印された人たらしの一言を、

昨日はパクった。

 

これは使える。

学校の先生では絶対言えないセリフだ。

一気に打ち解けた。

女を口説くより、人を口説こう。

その方が幅が広がるし、何よりカミさんに怒られない。

そこかい。

 

彼から間欠泉のように出てくる質問は、オトナ以上の感性のみずみずしさを感じ、

きちんと俺の書いた本を消化してくれているという信頼関係が確かにあった。

 

本は実用品だと思う。

断言していい。


吉川英治の「宮本武蔵」は俺にとって完全な実用品だ。

思い悩む度に読む。

リハビリで行く草津温泉と同じ効能だ。

いや実用品にならないと商業ベースに乗らない。

これは真実だ。

 

つまらない本はすべて自分の狭い価値観がすべてだと押し付けてくる。

無論売れない。

すくなくとも重版がかかる本は困った人を救うために書かれている。

売れている本はどんな形であれ人を助ける救援物資になっている。

売れない本が書いた人間にとってのただの記念品になっているのと好対照だ。

自分の思い出作りのためだけに人を巻き込んで紙を浪費してはいけない。

 

怪我をした部位に当てはまるサポーターを作っているメーカーの開発者と同じ感じか。

それに基づいて思考なり行動なりをスムーズにすると快適になるというか、

そんな使い手や読み手に即した本はやはり必ず売れている。

お金を出す人はとことん正直だもの。

 

そのサポーター作りの観点から見ると、実用書も文芸書も全く同じだ。

先日能川さんからもそろそろ文芸方面ですねとも言われてその気持ちをさらに強くした。

 

次は小説を書きます!

 

いま書いて佳境に入っている「与太郎論」は、

「ダメな奴でも愛されたら勝ち」という本だ。

編集というサポーターの共同開発者の女性が、また素晴らしいお方で、

乗せ上手で、カミさんが彼女から来る感想メールの素晴らしさに驚くぐらいだ。

ほんと俺は編集者運がいい。

 

「あなたって扱いやすいもんね」。

カミさんがつぶやいた。
俺自身が扱いやすい実用品なんだよ。

原稿を書き続けます。
いや、サポーターを開発し続けます。


ご期待ください。

 

 

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