昨年の話だ。
翌日、人生最初の受験に挑む次男坊のこともあって中山法華経寺へご祈祷を受けて来た。
昨年より懇意にしていただいている工藤上人のお父上に当たる正傳師猊下から
直にお話しも聞けて、また新たな出会いもあり有意義なひとときだった。
それにしてもものすごい波動だった。
前日は一昨年亡くなった親父の話を、次男坊にしてあげた。
「俺は、学校に、行きたかったんだ」という俺が小学校の頃接した親父の慟哭を、
無論ソフトに言い伝えた。
「満州事変の次の日に生まれて、家族のために14歳から働き続けたんだよ、じいじいは」。
聴き入る次男坊。
41年間働き続けたせいで公害病という「宿痾」を背負ってしまったのだから、
まさに日本の負の部分と共に歩いてきた後ろ姿も包み隠さず話してあげた。
「君は確かに一人で今日まで勉強してきたんだけど、でもね。
君が明日向き合う世界は、君が一人でたどり着けた世界じゃないんだよ。
じいじいも含めた家族みんなの思いがそこにあるんだよ。
目の前に立つ壁にくじけそうになったら、安心して後ろを振り返ってごらん。
みんなが優しく見守っているんだよ。
一人じゃないんだよ」。
どこまで伝わったか、わからないが、
いつも俺の机の上に置いてある親父のミニ遺影を部屋に持って行き、
その日はじっくり語りかけていたようだ。
人間って、誰でも自分のためより、
人のためにやることの方が得てして大きなことをやってのけるものだと思う。
「昨日さ、パパ」
「なあに?」
「受験するコたちは、僕以外みんな学校休んだんだよ。
でも、僕は行ったんだ。
そしたらさ、受験しないほかのコたちがさ、みんな僕に頑張れって言ってくれたんだよ」
号泣。それ、最高の宝物だよ❗️
全国の受験生、頑張れ❗️
天下の大師匠 談志 の
無茶振りに耐えつづけた9年半で手に入れた、
”笑う”コミュニケーション術