昨日の「芝浜」と「演出」。
昨日は、とある公共交通機関さんのクリスマスパーティーの余興で一席。
毒蝮三太夫さんの事務所の社長からいただいた。
先方社長からのリクエストの「芝浜」を、芝のホテルで。
一箇所「この演出を差し込めば絶対、あれはやっぱり夢だった」と、
そう思わざるを得ないようなワンシーンを入れてみて、奏功。
なんでも挑戦してみるべきだ。
またその演出を取り入れることで、
「魚勝が長屋のみんなから愛されている様子」
が伝わるようになる思わぬ副産物を産んだ。
またどこかでやりたいな。
打ち上げにも軽くお付き合い。
社長の乾杯で、
「まずはいま勤務中のこの場にいない社員に乾杯しましょう。
彼らのおかげでいただけます!」という一言が、グッとくる。
いい社長だなあ。
さすが落語好きのお方だなあと納得。
芝浜の細部も「演出」なら、普段の言葉遣いも「演出」なんだと思う。
何も「演出」って舞台や映像の世界だけのことではない。
「日頃の立ち居振る舞いは全て演出」だ。
だって人はその言動でしか、判断されないから。
談志はその怖さを知り抜いていた。
だから天下を取れたのだとも言える。
演出とは「自分の意図を他者にわかりやすく伝えるための作法」と
言い換えれば、日常生活でも使えるはすだし、使わない手はない。
役者さんたちの世界からパクっちゃえ。
何しろ、効果的だ。
談志といい、蝮さんといい、話術の達人たちはそれに長けている。
だからこそ毒舌吐いても、愛されるのだ。
実はその裏には、ネタばらしのようだが、緻密な演出が施されているのだ。
「お前のいまの言動は、悪意を持った奴なら、こう思うぞ」と、
前座の頃食らった山のような小言の意味が、やっとわかってきた。
遅すぎるけど。
師匠と蝮さんとのご縁でいただいた仕事を振り返り、ふと思う。
蝮さん、そして、師匠。
ありがとうございました。
天下の大師匠 談志 の
無茶振りに耐えつづけた9年半で手に入れた、
”笑う”コミュニケーション術