全てはその底流にある「物語」を読み解くことができるかの感受性にかかっているように思う。
あらゆる出逢いに意味を見出せるセンスのある人とだけ付き合えということなのかもしれない。
だって時間はもったいないもの。
シン・ゴジラを観た時はちょうど高校野球の賑やかな時だったので、共通のキーワード「全員野球ならぬ全員映画」をそこに見た。
聞けばエキストラまでもが、崇高な意志を持ってこの映画に参加していたと後に聞き、やはり自分の考えは強ち間違ってなかったと確信した。
そして、その後、リオ五輪での男子400mリレーの銀メダル。
やはりこの国は、突出した天才の出現より、持ち場持ち場のスキルアップと調整力で推進してゆく国なのだなあと改めて実感した。
官僚の敏と政治家の鈍をコアに、はみ出し者たちが、協力してゆく。
外敵によって結束したチームワークで苦難を乗り切るという意味では明治維新以来その体質は変わっていないのかもしれないけど。
結局、世の中を変えるのは、触れ合った人をいかに本気に出来るかの一点なんだよね。
発信者側のパワーと受信者側の感性。
その積があらたな物語を生む。
人は物語にしかときめかない。
小さな文庫一冊にだってそれがあふれている。
中身の物語を作り出す作者だけではない。
それに絆された編集、営業、広告宣伝、そして書店員さんという売り場のプロ。
いわば「酔い痴れ仲間」だ。
そんな仲間の輪に最後に加わろうとするのが読者なのだろう。
映画も、本も、落語もみんな同じだ。
立川談慶が、天下の大師匠 立川談志 の
無茶振りに耐えつづけた9年半で手に入れた、
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