この地を初めて訪ねたのは平成16年11月、家内は乳がんの肝臓への転移がまだ見つかっていない元気なときで、前日に私たちはバンクーバーに住む娘とフランクフルト中央駅近くのホテル「エクセシルオール」で落ち合っていた。夕方のICEでベルリンに向かうことにしていたので、それまでの時間を利用してのことである。
IC(特急)で約50分、駅舎は古都に似合わぬ近代的な造りである。「哲学の小径入口まで」と告げ、タクシーでネッカー川を渡ると、小高い丘に続く坂を上りきった辺りで降ろされる。対岸にはハイデルベルク城の下に街並みが広がっている。ゆるやかな上り道を歩くと見晴台があり、アイヘンドルフの胸像があった。私がこの詩人の名を知っているのは、かっての同僚で若き畏友でもある吉田國臣氏から聞いていたからである。
上流に向かって1kmほど歩くと、川岸に降りる細い道がある。傾斜が急なため雨で土が流され、えぐれていて、しかも夜半に雨が降ったのか、すべりそうになる。道の両側には灌木が茂っていて、空を半分おおっている。その枝を掴んで下りてゆくと、なんと自転車をかついだ男が登ってきた(もしかして自転車泥棒?) 。さらに中年の女性ひとりとすれ違うが、空をおおう木々で空気が閉じ込められて、香水の香りがどこまで降りても残っていた。川岸にたどり着き、アルテ・ブリュッケ(古い橋)を渡ると、もうクリスマスの飾りを売っていて、興味のない筈の家内が買ったのを思い出す。
日本語のメニューがあると書いてある店に入ると、大学教授らしい穏やか風貌の男女が数組静かに話していた。そう、ここはゲッチンゲンと同じく学都なのだ。
戯曲「アルト ハイデルベルク」は、私が旧制高校の生徒であったとき、周りでは多くが岩波文庫、あるいは原文で読んでいたと思う。ある小さな公国の皇太子カール・ハインリッヒが、父の後を継ぎ大公の座につくための修業で、この地にやってくる。迎える宿で働く若き女性ケーテイが歓迎の宴で歌うのが、(記憶が薄れあやふやではあるが)
ネッカの川の懐かしき 岸に来ませしわが君に 今ぞ捧げんこの春の
いと麗しき花かざり
いざや入りませわが家に いずれ去ります日もあらば 偲びたまわれ若き日の
ハイデルベルクの 幸多き日の学び舎を
である。学生たちの颯爽とした、しかし儚さ青春の日々を背景に、カール・ハインリッヒとケーテイの束の間の愛が描かれていて、ドイツ教養主義が主流だった戦前、本家のドイツよりも日本で、よく読まれていたとのことである(続く)
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