「伊藤ちゃん、最近元気ないね?」
職人さんが心配してくれた。
「そんなことないですよ!」
無理して明るく答える私。
本当は図星だった。
ハルの円形脱毛症が見つかってから
本人はすっかり塞ぎ込み、
私は私で
そんなハルを見るのは辛く、
何もしてあげられないことに苦しみ、
私の存在がハルを追い詰めているんだと
自分を責めるばかり。
さらに
ギリギリと差し込む胃の痛みは
日に日に酷くなり、
息が苦しくなる恐怖に怯える。
ボーン ボーン ボーン…
会社の古い時計が5回鳴った。
ああ、今日も退社時間か…
「はぁぁ…」
溜息をつく。
正直、家に帰るのが辛い。
帰り道
重い足取りで ちんたら歩き
公園のベンチで
ボーッと座って空を見たりした。
「ただいま…」
バタバタと駆け寄る子供達が
私を急かす。
「お母さん、お腹減ったー!」
「ご、は、ん!ご、は、ん!」
「はいはい、今作るからね」
ハルは家事をしなくなった。
ほとんど空っぽの冷蔵庫から
なんとか使える食材を探し
適当に作る。
「お母さんは食べないの?」
全く食欲がない。
「うん、お昼ご飯食べすぎて
お腹すいてないや」
「ふーん」
「お父さんは?」
「調子悪いみたいで寝てるよ。
風邪でも引いちゃったかなあ」
「そっかあ…」
心配かけまいと
子供達にも嘘をついた。
お母さんは食べない、
お父さんはいない、
こんな異様な食卓では楽しく
食べれないようで
子供達も無言。
食器を洗い
散らかり放題の部屋と
大量の洗濯物を
私ひとりで全部片付ける。
「ハル、ご飯は冷蔵庫に入れてあるから
お腹すいたら食べてね」
「………」
お布団の中の塊に声をかけた。
「これから買い物は私がしてくるから
申し訳ないけどお金を置いといてね」
「………」
パタン
部屋のドアを閉め、
私はリビングのソファーに倒れこんだ。
鉛のような重さが
どっしりと体に覆い被さるようだ。
「はぁぁぁ………」
溜息も長くなる。
この状況から
どう脱すればいいんだろう。
かと言って私にできることは、
もう何も無い。
ただひとつ、あるとしたら…
私が消えるだけだ。
毛布を体にかけ
目をつぶる。
このまま
消えてしまわないかな…
私の体の細胞が
粉になって
蒸発して
空気になってくれないかな…
どんなに願っても
朝はまた来てしまう。
のろのろとソファーから起き上がり
子供達の朝食を作る。
リンゴを剥いて
果物ナイフをじっと見つめた。
この刃で
手首を切ればいい
なんの躊躇もなく
左手首に刃を当てた。
スッと引いてみる。
薄皮一枚切れただけで、
血も出やしない。
馬鹿だなあ
死ぬ勇気もないくせに。
バタバタバタバタ…
起きてきた子供達の足音。
「お母さん、おはよう!」
「寝ぐせひどいよ、光希」
「実希、忘れ物ない?」
「お母さん、今日子供会だからね」
こんな親の元でも
子供達はしっかり育ってくれて
本当に有難い。
学校に送り出したあと
「俳優の〜さんが女子アナの〜さんと
結婚しまし…」
ブツッ
騒々しいテレビを消し、
仕事の支度をしに夫婦部屋へ。
カチャ…
ドアを開けると
カーテンから漏れる光が
布団の中で丸まっている
人間の形を映し出していた。
夜中に食べたらしく、
床に食器が置かれている。
所々に散乱したティッシュ。
パチッ
電気をつけた。
ドレッサーの上に
一万円札が置いてある。
また このお金で
1週間暮らさなきゃいけないのか……
ノーメイクのまま身支度をして、
たらたらと会社に向かう。