バタバタバタ…

急いでお出かけの支度をする私。


「ちょ、ちょっと待って…」

眉毛を書く時間もない。



ブルルルルル…

駐車場からエンジンの音がする。



急げ急げ!

スニーカーの踵を踏みながら
小走りに車に駆け寄る。



「お母さん、セーフ!」

助手席の咲希が笑う。


後部座席に乗り込んで
フゥーッと一息ついた。



「じゃあ出るよ」

「お父さんレッツゴー!」

ハルの運転で、車は走り出す。



まったく。

なんでこんなに毎回毎回
バタバタしなきゃならんのだ。

出かける前からグッタリする。



ハルは私を待ってくれない。


前に一度、わずかの差で遅れ
目の前で出発されたことがある。



信じられないが

ハルはそれを悪いとも何とも
思ってないのだ。


『間に合わなければ置いていく』

ただ、それだけのことらしい。



下手に文句を言うと

『じゃあ、あなたが運転しなさいよ』

だの

『萎えたから行くのやめた』

だの

言い出しかねないから手に負えない。




「お父さん、虫いっぱいいるかなあ」

「いっぱいいるぞお!」

「ゴキちゃんも…いるかな」

「ああ、いるいる!ワサワサいるぞ!」

「いやあーーー!」


今日はハルの希望で
遠い町にある昆虫博物館に向かっている。



咲希は

『本当は虫が嫌いだけど
お父さんと出かけるのは嬉しいから』

と、覚悟を決めたようだ。


ちなみに私も行きたくはない。






「咲希、こっちこっち!」

「なになに?」

「ほら、蟻の巣」

「わあ!こうなってるんだね」


ガラス越しに巣の中が見えるように
なっていて、無数の蟻が動いている。


うげえ………

あんまり見たくない。





お弁当のおにぎりと唐揚げを
たらふく食べた咲希は

ハルに抱っこされてスヤスヤとお昼寝中。



「いやー久しぶりだったわ、蟻の巣」

蟻の巣に久しぶりも何もあるんかい。



この後、ハルは

ひとつずつ思い出すように
子供の頃のことを話し始めた。



「…俺が、咲希と同じ年の頃ね」

「うん」

「よく蟻の巣を観察してたんだよ」

「へえー」


その話は初耳だ。


「友達と遊ぶより、虫とか植物とか
そっちの方に興味があってさ」

「うんうん」

「気付いたらいつも一人、ってね」

「そりゃそうだろうね」



5月の爽やかな風が

私とハルの間をサアッと通り抜けた。



「俺、子供の頃 自閉症でさ…」

「え!そうなの」


自閉症って…

自分の殻に閉じこもるような
イメージしかない。


「IQは異常なほど高かったけどね」

「へえー」


確かにハルは頭が良いってのは
一緒に過ごしていてわかるけど…

IQって実際、なんだ?



「幼稚園の先生に『伊藤君はちょっと
変わった子だから検査した方がいいです』
って言われてさ」

「ブッ!ちょっと変わった子!」

思わず吹き出してしまう。


今も『ちょっと変わった大人』だよね。


「ちゃんと調べたらそんな結果だった」

あ、なんか
笑いごとじゃなかったみたい。



咲希の頭をそっと優しく撫でるハル。



「もっと小さい頃は精神的に弱くて、
よく自家中毒を起こしてたよ」


自家中毒?なんだそりゃ


「そうなんだ…」

 

さっきからハルの話についていけない。

なんて言えばいいのやら。



自閉症で、IQが高くて、自家中毒…


ハルには
親に愛されなかった過去がある。

それがなにか影響してるのかな?

わからないけど…



でも、だからなんだというんだ。


ハルが子供の頃の
そんなのは本当にどうでもいい。


今のハルが側にいるんだもん。

今のハルと生きてるんだもん。



ハルの手をぎゅっと握った。


「まあ、生きてるんだからいいじゃん!」

アホなことしか言えなかった。






帰りの車の中で

夕焼けに染まった空を
ぼんやりと眺めながら考える。



正直、ハルは難しい人だ。

めんどくさい所
わけわかんない所
ドン引きする所
破天荒すぎる所

取扱説明書をくれ!と思う時もある。



でも、人間だもの。

欠点なんていろいろあるさ。


私もダメ人間だしね。




ハルがもし、過去に囚われて
苦しんでいることがあるのなら

そんなのは

私の愛情で上塗りすればいい話。



簡単なことだ。