おはようございます。


団塊親父です。


親父の敬愛する堀越千秋のエッセー「ぼろの美」の完結編です。


 神泉村に戻って、トイレにしゃがんで見ると、わがクモは相も変わらず、乾いたままで、何を食っていたのか食わずだったのか、死んだようになって自らの巣に逆さまにひっかかっている。私はマドリードに残した家族を思って、暗タンとした。ぼろ、とは私自身の生活である。

 後日、上野の東京国立博物館のすばらしい特別展「最澄と天台の国宝」を見た。そこに、比叡山延暦寺蔵の「七条刺納袈裟」(しのうげさ)(国宝)を見出して、私は唸った。それは、釈迦のまとうていたという糞掃衣を模して、薄い茶色や紫や青を迷彩のように入り組んで染めたものを縫い合わせ、まさに東北の農民たちが何代にもわたって縫い込んだかのような荒々しい縫い目が刺し子の様に走っている僧衣で、八世紀の唐から招来されたものである。

 大変に美しいものである。国宝である。しかし、それはニセ物である。糞掃衣を模した工芸品である。本物の糞掃衣は何なのか。釈迦のまとうたものはもうない。しかし、東北の農民らが何世代にもわたって、文字通り血も汗も掃き取ったであろうぼろ布こそは、本物の糞掃衣ではないか。

 国宝の糞掃衣は、それを模したものであるに過ぎない。工人たちの汗の賜物の美術品ではある。が、そこには、土をなめ、貧困にあえぎ、飢えに死んでいった者の血も汗もない。別種のものである。

 釈迦の糞掃衣は名もなき農民のものであり、高僧らはそれを模した美術品をまとうていたという、歴史の、人類の、皮肉。国宝は後者に属すのだが、真に美しいのは前者である。いや、私は社会主義リアリズムの理論をのべているのではない。この目で見たままの、美の奥深さ、トーンの重厚さ、を言っているのだ。そして、美の基準、カテゴリーの逆転を見て、深くうなずき、笑うのである。

 しからば、私の陶の作品は、「国宝!」などではなく、以後、「糞掃衣」と呼びたいようなものであるが、威勢が悪い。ただでさえ、ゴッホと良寛を尊敬するのあまり、美神より先にまず貧乏神がのりうつってきたと見える身の上、握手するごとに「貧乏神がうつりますよ」と言っている。

 先頃は、神泉村山中の穴窯を一週間たいた。無一文なのにこういう暴挙をするのである。友人から「暮れには返すよ」とだまして借金して薪や食料を買うのである。噂をきいて、田中泯さんが山梨から車で四時間かけて、やって来た。手ブラである。私は村の酒屋で八海山を四本買いしめ、彼に供した。泯さんは全部飲み、また帰っていった。彼は素晴らしい天気を持ってきてくれた。窯から、赤城山、日光連山はおろか、北アルプスまで望めたのは、はじめてであった。マドリードの妻から、とうとう電話が切られる、との報も届いた。しかし、窯の焼き上がりは、素晴らしいものだった。またまた国宝の、在庫の山である。


千秋の生き方はまさにフラメンコそのものである。


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