1945年(昭和20年)、3月10日の東京大空襲から79年が経ちました。サイパン島、テニアン島、グアム島から出撃した350機の大型爆撃機B29が東京の下町一帯に2万個の焼夷弾を落とし、一夜にして10万人の東京市民が犠牲になったあの惨禍は、沖縄戦、広島原爆、長崎原爆、ソ連参戦と続く、日本国滅亡へのカウントダウンのような気がします。

                     


                        



 前年の1944年(昭和19年)7月、サイパン島、テニアン島、グアム島などマリアナ諸島が陥落し、そこに飛行場を建設した米軍による本土空襲が始まりました。

 最初のうちは中島飛行機のあった武蔵野地区を標的にしていましたが、高度からの爆撃は効果が薄いということで、翌年空軍司令官に着任したカーチスルメイが、夜間低空飛行による焼夷弾爆撃を提唱、その第一回目の飛行が3月10日未明の東京大空襲でした。

 軍需工場を狙うならともかく、木と紙でできている日本の家屋が密集する下町の住宅街は、焼夷弾であっという間に燃え尽くされ、甚大な被害を被りました。

 こうした結果が生じることは、マリアナ諸島が陥落して米軍が占領したことから容易に想像できたことですが、日本はなぜか戦争を続行するのです。                         

 同時に戦われたマリアナ沖海戦でも惨敗し、日本には大型空母が1隻のみとなって事実上海軍が全滅したのもかかわらず、勝ち目のない戦争を続行したことは残念で仕方ありません。

 と言いますのは、310万人と言われる戦争犠牲者の7割~8割が、それ以降に亡くなっているからです。歴史は巻き戻せないので、諦めるしか仕方ありませんが。

 あれから79年、世界中からの支援もあり日本人は見事復興を成し遂げました。いったんは武装解除したものの冷戦がはじまり再軍備しましたが、戦争放棄を掲げた平和憲法のおかげで戦後79年、日本の軍隊(自衛隊)は一人も殺していません。310万人の犠牲は無駄死にではなかった証です。