西野亮廣さんの「新世界」という本が現在無料公開されています。
「ウォルトディズニーを超える」とか言って一時期めちゃめちゃ叩かれてたあのキングコング西野です。


いやどんな始まり方やねん〜て感じの始まり方のブログですが、今回は御察しの通りキンコン西野さんの話を読んで面白いと思って僕も記事にしようと思ったっていう話です。



文章の始まり方をこんな感じで書いちゃったもんやからまずはしっかり西野亮廣さんについて紹介します。
いや、紹介って言ってもみんな知ってると思うけど。
特に僕が小学生の時に毎週水曜のゴールデンの時間にやってた「はねるのトびら」のメンバーとしての顔が個人的にはめっちゃ印象的です。
あの時のテレビはめっちゃおもろかったなあ。

そんな「はねるのトびら」のメンバーとしてもテレビ出演していた西野亮廣さんですが、ご存知の通り今は絵本作家として活動されています。
一昨年くらいに「えんとつ町のプペル」を発表して色々話題になったんでみんなご存知やと思います。
この方、『ウォルトディズニーを超える』て言うてはるみたいで。
実際ウォルトディズニーを超えられるかどうかっていうのは置いといて、そんな壮大すぎる夢を恥ずかしげもなく語ってるせいで世間からだいぶ白い目で見られてますよね。
正直僕個人としては西野さんの考え方に共感する分が多々あって、尊敬もしてるんですけど、世間の西野さんへの否定的な目が強すぎることを知っているがためにあんまり往々にして彼を尊敬していると言うのが拒まれてしまうくらいです。
この文章の文体的にも読んでもらったらわかる通り、ちょっと彼を嘲笑的に表現してる感じでてますよね。
世間の目を気にして、尊敬する人のことをこんな嘲笑的な文体で表現してる自分が情けないなあ。
まあでもそこは正直に行きたいんでありのままを書いてます。

うわ、ここまでですでにだいぶ文字数食うてもうてるな…。

とりあえずそんな西野さん、これまでにも何冊か本を出してはって、最近新しいのをださはりました。
「新世界」ていう本です。
どうやら、この本がネット上で全文無料公開されてるみたいです。
タダなんで時間があれば読んでみたら良いと思います。



で、本題です!
なるべく手短にまとめたいと思います。


僕はその西野亮廣さんの「新世界」、読んだんですけど、とても面白い視点で社会を推察してて色々勉強になりました。
その話の中に、とくに興味深い内容のものがあって、それを今回紹介させてもらいたいです。




最近「CDが売れない時代になった」という言葉をよく聞きます。

僕もバンドをしているので少なからず関わりのあるテーマです。


今年の4月、僕がブログを書き始めて間もない頃にこんな文章を書きました。

その当時話題だった違法漫画サイトの「漫画村」や違法音楽アプリの「music fm」について書いた文章です。
短い文章なんでもしよければ読んで欲しいんですけど、この文章の中で僕は「時代に合わせたエンタメの売り方を考える必要がある」て言うてます。
具体的な例として、ライブチケット転売問題の対策や、アイドルの商法等に触れてます。

このブログの中で、「CDが売れないことについて」っていうような話にも軽く触れているんですが、結果的に当時の僕は、その問題提起に対する答えを持っておらず、この記事の中では答えを述べることができませんでした。


CDが売れない時代に、CDの何に価値付けをし、どうやってCDを売るか。

西野亮廣さんの話の中にこの問いに対する答えの形の一つになりうるヒントがありました。
以下に西野さんの話を僕なりに解釈した上で、僕の論も交えて、CDの新しい価値について述べていきたいと思います。





まず、自分は普段何を買っているか、これを分析します。

食べ物や服や電化製品など、いわゆる生活必需品は多少高くても買っています。

では何を買っていないか。

絵画 、買ったことないです。
本、 買ったとしても週1冊くらい。
CD、ほぼ買わへん。Apple Musicとかで聞くし。

音楽をやってる僕でさえもこんな感じ。創作物やいわゆる芸術品を買うことはあんまりないです。

こうして、買うものとあまり買わないものを二つに分けると生活必需品と、そうでないものに大きく分けられます。

しかしここで例外が出てきます。

お土産 です。

修学旅行で広島に行った時に買っちゃったしゃもじ 、これ、僕それから一回も使ったことありません。

旅行から帰ってきてから使わへんもんでも、お土産は買ってしまうんです。
これは、なぜかといえば、僕たちは旅行に行った思い出を、形として残すためにお土産にお金を払って買っている、というふうに西野さんは言います。
つまり、思い出の形象である“お土産”は、生活必需品 の方のジャンルに分類できる、というのです。


この話を僕たちバンドマンに当てはめて考えると、CDというものの在り方が変わってくると思います。

現状、僕たちバンドマンは、CDを“楽曲のデータの入った商品”という意識で販売していると思いますが、今後もCDに価値を持たせ、CDを残し続けるためには、この意識に対して改革をもたらすべきなのではないでしょうか。

つまり、現代においてCDを売るためには、楽曲データとしての側面よりも、その日のライブのお土産としての側面が重要視されるべきなのでは、ということです。

お客さんは、日々の退屈な暮らしの中に一時の発散や気分転換を求めてライブハウスに足を運びます。
ライブハウスに足を運んでくださったお客さんに、日々の鬱憤を晴らしてもらえるようなライブをします。
そのライブの効果をその日限りで終わらせないように、明日、明後日、来週からも、その日を糧に退屈な日々を乗り越えていけるようにするためにあるのが、その日お客さんが物販で買っていったCDです。
ライブの記憶を頭の中に留めておこうとするだけでは、すぐに薄れてしまいますが、物販で買ったCDの装丁にはその日のライブの記憶が形象化されて残っているのです。


CDに入っている音楽を買っているのではなく、ライブの思い出をCDという形に落とし込んで買っている、これからの時代のCDは、そんな形のものになるのかもしれません。

僕たちバンドマンは、そういった意識でCDを作り、売るべきなのかもしれません。





というわけでした。
今回述べたCD論はあくまで一つの答えでしかないし、僕自身この話に完全に満足いってるわけじゃなくて、ほんまはもっと革新的な案があると思いながら今も色々考えてる途中です。

でも、こんなふうに、多角的に問題を見て、新しいカタチをもっと大勢の人が探していけたら素敵やなあ と思って、一つ提案してみました。



なんか「こんな考え方どうやろ」とかあったら一緒に話したいです。

今回も長い文章を読んでくださってありがとうございます!