ふらふらきょろきょろして新しいものに飛びつく  「日本辺境論」 | フォトリーディング読書感想文

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日本辺境論 (新潮新書)/内田 樹

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日本人が国際社会で侮られているというのがほんとうだとしたら、・・・・・自分がどうしてこのようなものになり、これからどうしたいのかを「自分の言葉」で言うことができないからです。


謙虚で奥ゆかしく、ペコペコ頭を下げ、曖昧に答え、何を考えているのかわからない、思い切った発言をしない・・・
そんな日本人を強く意識するのは、外国人とかかわったときです。
特に外交交渉や国際会議のときの日本人の存在感のなさには、私たち自身ですら、「もう少しどうにかならないものか」と、その対応をじれったく思ってしまいます。




日本は地理的位置が極東といわれる辺境の地にあります。
中国の隅っこにある民族としてスタートしました。
それが辺境な日本人というものをつくったのです。
日本は辺ぴなところに住む田舎者なのです。




田舎者である日本人は、「なんとなくおとっている」という意識をずっと持って生きてきたのです。
ある種の文化的劣等感をつねに持ち、たえず外を向いてきょろきょろして新しいものを外の都会という世界に求めるようになってしまったのです。




本書は、「日本とは何か」について書かれています。
日本人を否定する内容が多いですが、辺境であることは、決してマイナスばかりではありません。
辺境だからこそ素直に何でも躊躇なく取入れ、学び、進化させることができたのです。
日本は辺境であるからこそ、今の日本の発展があるのです。




ずうずうしく、横柄で、プライドが高く、自己顕示欲が強く、自分の意見ばかり主張する・・・・
そんな人たちよりも、僕は、もちろん日本人の方が好きです。
ということは、僕は田舎者だということかあ。







・ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。
どうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。



・他国との比較を通じてしか自国のめざす国家像を描けない、国家戦略を描けない。
そのような種類の主題について考えようとすると自動的に思考停止に陥ってしまう。
これが日本人のきわだった国民性格です。



・世界のどんな国民よりもふらふらきょろきょろして、最新の流行の世界標準に雪崩を打って飛びついて、弊履を棄つるが如く伝統や古人の知恵を捨て、いっときも同一的であろうとしないというほとんど病的な落ち着きのなさのうちに私たちは日本人としてのナショナル・アイデンティティを見出したのです。



・「大東亜戦争」を肯定する、ありとあらゆる論拠が示させるにもかかわらず、強靭な思想性と明確な世界戦略に基づいて私たちは主体的に戦争を選択したと主張する人だけがいない。
戦争を肯定する誰もが「私たちは戦争以外の選択肢がないところまで追い詰められた」という受動態の構文でしか戦争について語らない。



・「国際社会はこれからどうあるべきか」という種類のイシューになると、日本人は口を噤んでしまう。人種や信教や言語や文化を超えるような汎通性を持つような「大きな物語」を語る段になるとぱたりと思考停止に陥る」



・私たちは「われわれはこういう国だ」という名乗りから始まった国民ではないからです。



・日本人がどうして自分たちが「ほんとうは何をしたいのか」を言えないのは、本質的に私たちが「弧」だからです。
私たちは常に他に規範を求めなければ、おのれの立つべき位置を決めることができない。自分が何を欲しているのかを、他者の欲望を模倣することでしか知ることができない。



・私たち日本人は学ぶことについて世界でもっとも効率のいい装置を開発した国民です。







目次

1 日本人は辺境人である
「大きな物語」が消えてしまった;日本人はきょろきょろする ほか
2 辺境人の「学び」は効率がいい
「アメリカの司馬遼太郎」;君が代と日の丸の根拠 ほか
3 「機」の思想
どこか遠くにあるはずの叡智;極楽でも地獄でもよい ほか
4 辺境人は日本語と共に
「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか;「もしもし」が伝わること ほか