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「日本の海岸線
はどのように変化してきたのか?」日本の「海岸線」は異常に長い。
日本の海岸線の長さは、
国土面積が日本に比べて
25倍あるアメリカの海岸線の1.5倍、
26倍ある中国の海岸線の2倍。
このように長く、複雑な海岸線を持つ日本。
その海岸線は大きく変わってきたのです。
本書は、海岸線の歴史と、われわれ日本民族にとって、
ひいては人間の歴史、そして未来の文明に、
海岸線がどういう意味を持つのかを考える内容です。
日本人の生き方、文化の変容も見えてきます。
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海岸線の変遷の3ポイント
① 米作りで白砂青松
② 開国による防衛
③ 産業の工業化
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○米作りが白砂青松をつくった
日本では、江戸時代から長い年月をかけて、米作りのために、全国各地で干拓と水田作りが進められた・・・・
それができる地域では、どこでも防風林、防砂林、防潮林の役目をする松が植えられ、その松原のさきに白い砂がつづき、遠浅の海にひろがるといる、白砂青松の風景が生み出されたのである。
○使い道のなかった港が軍港に
海岸線の意味が、18世紀後半から19世紀のはじめにかけて大きく変わった。
日本の海岸線が、ただたんにそこで漁業をしたり国内外と交易をする場として役に立てられるのではなくて、そこに西洋諸国に対する防衛的、戦略的な意味が出てきたのである。
○四大工業地帯と大きな深い港
戦後日本が経済発展し、たくさんの資源を輸入し、しっかりとした産業をもって盛んに貿易する、という戦略で立とうとしたために工業一辺倒になった。その結果、遠浅の港は掘りなおされ、工業を主とする産業やそのための貿易に役に立つところだけが、海岸線として意味を持つようになった。
○砂浜の消失
港としてそのまま使われていくところには防波堤、その防波堤を守るため、あるいは松林のある砂浜を保護するためという目的で、高度経済成長以降は海岸にコンクリート塊・テトラポットを埋めていくということが多くなった。しかし、日本ではこのことが逆に防潮のための松林を破壊し、とどのつまり白砂青松の風景を壊してしまうことになった。
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築地の魚市場のあたりにある波除神社も、
汐留という地名も、
かつては江戸湾の潮が寄せていた名残です。
東京の山手線より東側は、かつてほとんどが海の中にあり、
江戸時代から明治時代にかけて埋立地として出来上がった土地です。
米作りに必要な水田の拡張のため干拓。
工業用地のため干拓。
軍事的な強さや経済的な繁栄のための海岸線。
今ある海岸線も、港も、江戸の頃に見たものとは、全く別のものになっています。
どんなに近代化を進めても、便利な文明を追いかけても、
国の誇りや、心の豊かさはその風土にあります。
日本の風土と歴史はこのようであったという、伝統的なアイデンティティが急速に失われています。
長い海岸線には日本の歴史が詰まっているのです。
日本は海の中に浮かぶ国。
民族としてのアイデンティティは海にあるのです。
”われは海の子、白波の、さわぐいそべの松原に、
煙たなびくとまやこそ、我がなつかしき住家なれ”
目次
はじめに 海岸線は変わる
第1章 陸と海、神と人間が接する渚―古代から現代まで
第2章 山中に海があった―古代を中心に
第3章 海岸線に変化はなかったが―中世のころから
第4章 白砂青松の登場―江戸時代
第5章 『海国兵談』とナショナルな危機意識
第6章 「開国」と海岸線の大いなる変化
第7章 砂浜が消失する現代
第8章 海へのアイデンティティ
終章 海岸線を取り戻す―ナショナル・アイデンティティの再構築を求めて