「つながり」とは  ◎書評 「痴呆老人は何を見ているのか?」 | フォトリーディング読書感想文

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痴呆老人は「自分で構成した虚構の現実」を生きている。


「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)/大井 玄

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 目次
第一章 私と認知症
第二章 「痴呆」と文化差
第三章 コミュニケーションという方法論
第四章 環境と認識をめぐって
第五章 「私」とは何か
第六章 「私」の人格
第七章 現代の社会と生存戦略
最終章 日本人の「私」



記憶や認知能力が、社会生活を営めないほど低下した人々の「世界」とは
【環境世界】
 人は全く同じ環境に住んでいるように見えて、それぞれに別の意味を見出し、
 自分なりの「環境世界」に住んでいる。
【最小苦痛】
 人は与えられた環境で、本人にとって最も苦痛が少ない状態で生きようとする。
 より苦痛が少ない状態へ自分を変化させようとする。
【根本煩悩】
 人には自分を中心として世界があるという思い込みがあり、どうしてもそれに気づかない。


生きるには周りとの「つながり」が必要。
自己とは記憶でもある。
記憶力、思考能力が低下すると、「私」の認識力が落ちると、「つながり」が感じられなくなる。
この「つながり」の喪失が生きることの不安を抱かせる。
怒りや妄想などは、存在を脅かすその不安が形を変えたもののようである。
しかし、認知症の人たちは、私たちが「世界」と信じている世界と厳密につながらなくても、
それぞれの世界を記憶に基づき作り上げ、そこに意味と調和を見出している。

私たちは(もちろん僕も)怒る理由があるから怒る、楽しいことがあるから笑顔になると思っていますが、エスキモーの住む地域では「怒り」が認められません。
感情表現はそれぞれの文化の中で受け入れられて、継承されているだけで、普遍、一般ではないということです。
私たちは環境の中で育ち、環境が私たちを作っている、感情や思考方法までも。

とすると、実は
私たち自身も「自分で構成した虚構の現実」を生きているのでは?

人間とはわかりづらいように見えますが、単純なのかもしれませんね。