みなさんこんばんは!はじめましての方ははじめまして。陸上短距離選手のダニエルです。


ここでは、ブログを通してダニエルという選手について皆様にもっと深く知っていただきたいと思い少し深掘りした自分のことをお話ししていこうと考えております。

普段はInstagramやTwitter、YouTube等で情報発信をさせていただいておりますが、ブログでは他のSNSでお話ししきれていない部分を中心にお話してしていきます。大したものではありませんが、読んでいただけると嬉しいです。



さて、初投稿は自己紹介と陸上と出会ったキッカケ、僕の陸上人生についてお話ししていこうと思います。


へったくそな文章で読みづらいし長くなってしまうかもしれませんがそれでも最後まで読んでいただけたら嬉しいです。


  ​名前

気になる方もいらっしゃる?と思いましたので、、、


VILLAFANA JHORGE ACE DANNIELLE CRUZ

ビリヤパニヤ ジョージ エイス ダニエル クロス


です。笑笑


長いですが、ビリヤパニヤが苗字、ジョージエイスダニエルまでが名前(母が好きな名前をくっつけて僕の名前にしてしまいました。笑)、クロスが母の元々の苗字でミドルネームっていうやつですね。


  ​現在


千葉に住み、神奈川を拠点とするチームに仲間たちと所属し、自分の夢を叶えるため日々走っている陸上短距離選手です。現在(2022年9月4日)の自己ベストは100m 10.63、200m 21.62です。

かけっこ教室の代表・ヘッドコーチもしています。


  ​幼少期〜小学校4年生


僕が陸上と出会ったのは小学校4年生のとき。それまでは陸上はもちろん、スポーツとは全く縁のない生活を送っていました。幼稚園入学のときは当日泣き喚き入園拒否、そのまま入園せずお菓子を両隣りに置きゲームをだらだらやる毎日。特に裕福な家庭でなかったため小学校入学後は『プロゲーマーになってお金を稼いでやるんだ!』と思いながらゲームをしていました。笑笑


※YouTubeから引っ張ってきたもので文字が入ってしまっております。


  ​小学校4年生〜6年生


陸上と出会ったのは前述した通り小学校4年生のとき。学校の決まりで陸上か音楽かを選ばないといけなかったので、女子が集まる音楽は無理!と思い陸上の種目の中で一番楽そうな幅跳びを選びました。

それまでは、素晴らしい程?太った体型で徒競走やマラソンではいつもビリか下から2番目だった僕が陸上を嫌々ながら始めていった結果、みるみる痩せていき5年生、6年生のときにはかなりのダイエットに成功していました。笑笑

陸上の市民大会の学校代表にも選ばれ出場したものの結果は予選敗退でした。


  ​中学1年生〜3年生


中学では恩師である当時の部活の顧問の先生と出会い、ここから一気に『陸上で上を目指したい!』と思いはじめました。


100mの結果からいうと、

中学1年 12秒台

中学2年 11.84

中学3年 11.44


でした。200mは当時めちゃくちゃ苦手で(というか今も)タイムは忘れました。笑笑 

中学3年で23秒4だったような気がします。


中学1年はサボってたりもしましたが、2年、3年と学年が上がるにつれて真剣に打ち込むようになっていきました。それでも中学総体準決勝止まり。『上には上がいる。世界は広いなぁ。でも高校ではもっと這い上がってやるんだ!』と思いながら中学を卒業します。


  ​高校生1年〜3年生


実は入学前、推薦が決まっていたこともありめちゃくちゃに怠けていました。


高校生での結果は、

1年生 11.9

2年生 100m11.21、200m22.50 →シーズン終わりに退部


でした。


高校生のときは当時の顧問の先生と合わず、反発してしまっていました。部活の雰囲気も中学の頃と比べてかなり違う雰囲気で、1年生のときは飲まれて練習をやっていましたが、2年生になるとその雰囲気に耐えかねて先生に反発し自分でメニューを作成してそれを一人でこなしていました。運良く最初は自己ベストの11.21と22.50をマークするもその後は完全に記録が止まってしまい、2年生最後の大会ではかなり記録を落としてモチベーションが下がり退部します。退部した後は3年生になってからもひたすらに一人で走っていましたが、部活に所属していなかったことで大会に出れなかったのでやはりモチベーションが維持できずそのまま陸上を引退しました。


  ​社会人一年目(2014年)〜社会人二年目(2015年)当時19〜20歳


高校を卒業したあと大学には行かず、普通に工場に就職し、陸上からは完全に退いていました。

仕事以外は幼少期の生活に逆戻り。仕事に行きゲームをし、食って、寝て、また仕事に行く。そんなつまらないと感じていることを延々と続けていき、心と体はボロボロに。そんなある日。体重が重すぎて仕事場の道具を壊してしまいました。笑笑  かなりショックでそれが陸上をまた始めるキッカケになりました。笑笑  『最悪またやめることになってもいい。まずは太った体を脱却してマッチョになるんだ!』と意気込みまた走ることを始めていきました。


  ​社会人三年目(2016年)当時21歳


当時日中しか空いてなかった競技場に通うため夜勤にも転職し競技を再開していきました。最初から順調。。。とは行かずそこからはケガの連続。至る所を痛めて休んでは走ってを繰り返していました。チームにも所属させていただけることになりそちらで活動をしておりましたが、結果はギリギリ11秒台だったと思います。


  ​社会人四年目(2017年)当時22歳


苦手だった200mにも取り組むようになりましたが、結果は自己ベストに遠く及ばず。

100m11秒4

200m23秒ギリギリだったと思います。


膝裏と腰に違和感が出始め治療院に通うことにしました。痛みが軽くなるものの根本解決にはならず大変な年だったことを覚えています。


  ​社会人五年目(2018年)当時23歳


この年は自己ベストをマークすることになります。ですが、膝裏の痛みが発生してしまい思うように体か動かせなくなります。工場勤務のときから腰にも違和感がありそれも相まってケガをしてしまったのだと思います。ケガ予防のため200はあまり出場していなかったと思います。


100m11.08


このままではいけないと感じ始め、別の治療院にいくことに。。。するとあれだけ悩んでいた腰と膝裏の痛みが軽減していき、また走り出せるようになりました。そして次のシーズンに向けて冬季練習に励みます。


両方の治療院の方々には本当にお世話になりました。たまたま合っていたのが今の治療院さんで、どちらも通ってなければ今の僕はなかったと思います。


余談ですが、今現在も通わせていただいている治療院の先生が中学生のときの顧問の先生の後輩さんでした。笑笑

世間は狭いですね。。。



  ​社会人六年目(2019年)当時24歳


この年は印象的な年になりました。密かに目標にしていた100m10秒台をついに達成することになります。200mでも自己ベストを達成。


100m10.84

200m22.28


嬉しかった年であると同時に大変でもありました。


訳あってそのとき所属させていただいていたチームが解散になり、大会の手続きを一人で全ておこなうことに。チームのサポートがこんなにも有難いことだと気づいた年でもありました。おまけに減量にチャレンジし大失敗した年でもあります。


困難が続きましたが夏頃に自己ベストをマーク。いろんなことを乗り越えられたと思いました。そして10秒台になったことでようやく陸上競技のスタートラインに立てたと思っていましたが、この時はこれからが本当の勝負であることには気づいていませんでした。



  ​社会人七年目(2020年)当時25歳


この年はシーズンに入る前にYouTuberのケンちゃんとシダパンに゛SIGNAL゛という大会で初めて出会います。いろんなことが始まると思った矢先、コロナで緊急事態宣言が発令。試合シーズンも8月末頃まで始まりませんでした。ですが、前に所属していたチームが再結成されることになり、シーズンに向けて気持ちを保つことができました。


そして迎えたシーズン。千葉県選手から始まり、松戸市選手権、全日本実業団、川口選手権、千葉クラブ対抗と続きます。


松戸市選手権で100m、川口選手権で200mの自己ベストをマークしました。

100m10.81

200m22.10


他の大会でも10秒台を連発。最後のクラブ対抗は10月末。二ヶ月と短いシーズンでしたが、かなり好調だったと思います。


  ​社会人八年目(2021年)当時26歳


コロナ禍で前年のようにシーズンが遅れるかとも思われましたが、シーズンインは無事にいつもと変わらず3月末頃から入れました。


シーズン出だしから好調。10秒台を連発していきます。5月の東日本実業団では200mの自己ベスト21.72もマーク。


ですが。。。そのあとからが絶不調の始まりでした。。。かなり苦しむことになります。


詳しくは省きますが、原因不明の手足の冷え、不眠症、練習が積めない、などなど様々な困難が。


その中でも追い風参考記録ではありますが、100mを10.60で走ることができ、200mも21秒台を数回出すことができていました。ですが、とうとうそれ以降は自己ベストをマークすることなくシーズンを終えます。競技では力を出し切れず私生活にも影響が出ていました。とても辛かった時期でしたね。。。正直トラウマになりました。いろんな病院を回りましたが原因がわからず。


その反面良いこともたくさんあり、東日本実業団B決勝、千葉県選手権決勝、関東選手権準決勝と大きな舞台に立つことができました。サポートしてくださる企業様にも出会うことができ、総合的に見れば良かったんじゃないかなと最後は思えたシーズンでした。YouTubeにもちょくちょく出演させていただき応援してくださる方々も増えていきました。感謝の年でもありましたね。本当にありがとうごさいます。


  ​社会人九年目(2022年)27歳現在


そして今年ですね。チームの移籍もあり、新しい環境で上を目指していくことになります。


昨年のトラウマもあり、不安を抱えながら迎えた初戦。悪い予感が的中し、シーズン中盤戦まで苦しむことになります。


そして不安を拭いきれないまま迎えた平塚ナイターという試合でようやく昨年から出せていなかった100mの自己ベストを出すことになります。念願の10秒7台。10秒75を出すことができました。ですが、+2.0という追い風参考タイムにならないギリギリの範囲。体調がまだ万全でないこともあり、正直素直に喜べなかったですが、大会が終了しその帰り際に仲間にかけてもらった言葉で吹っ切れ、家に帰る頃には安心と喜びとが勝っていました。


その後、関東マスターズという試合でも200mの自己ベストを出し自分の体の体調の整え方をこの辺りから把握でき始めていきました。

※体調の整え方とは食事のこと。この記事ではなくまた別の機会にお話しできればと考えております。



続く日体大記録会。そしてついにそのときが来ます。

100m10.63、200m21.19というタイムで走ることができたのです。200mは惜しくも追い風参考記録になってしまいましたが、自分の中でかなり価値のあるものだと感じております。


ようやく、本当にようやく2020年から全力で走れていなかった悪い感覚がない中で走ることができたと思います。本当に嬉しかった。。。


『このままでは終わらせない。波に乗ってここから更に上げていくぞ。』と思いながら次の試合への準備をしていきます。




その後は関東選手権、北麓ワールドトライアル、松戸市選手権と続きます。


関東選手権では、前回の大幅自己ベストの影響かアキレス腱を痛めてしまい、個人としてはリレーのみの出場でしたが、チームに全力で貢献することができませんでした。個人だけでなくチームみんなが悔しい結果となり、陸上は甘くないなと再認識する大会になりました。というより僕は最近は陸上は甘くないなと感じてばかりでしたが。。。


北麓ワールドトライアルでは、トップ選手たちとの戦いに全く歯が立ちませんでした。初めてのグランプリシリーズ並みの大会。チャンスをものにできなかった悔しさが残りました。日体大記録会で掴み始めた体調のコントロール。まだまだ奥が深そうで、今後も試していく必要がありそうです。

ちなみに結果は、

第一レース10.71

第二レース10.79


でした。


そして松戸市選手権。このブログを書いていて最後の大会になります。

結果からお伝えすると21.94。やはりか。という結果でした。


ここからはアキレス腱と体調のこともあり、一旦休養をおくことにしました。現在休養中でそろそろ走らないでトレーニングを開始していこうかなと考えているところです。




  ​まとめ


すっっっっっっっっっっっっごく長くなってしまいましたが、以上が自己紹介と僕の陸上人生になります。今でこそほんの少しだけ速い選手なのかもしれませんが、なんにもできなかったただのこどもが今や陸上競技を楽しんでいる。辛いことの方が多いかもしれない。やめたくなるときだってたくさんある。そんなちっぽけで弱い選手が頑張って夢を叶えようとしていることを心の隅っこでいいので留めておいてもらえると幸いです。


こういった形で自分の事を書き出していくのは初めてで、不慣れな部分も多く、もしかすると不快な思いをさせてしまう方もいらっしゃるかもしれません。ですが、今の僕が知ってもらいたいことを素直に書き出しました。意味が違っていたり誤字脱字もあるかもしれませんが、温かい目で見ていただければと思います。

(YouTubeをご覧になっている方々はご存じかもしれませんが、私、サイボーグなので大目に見てください。 ワタシ ガイコクジン サイボーグネ ユルシテチョ。)





最後に一言。

僕の目標は『世界記録を塗り替え、世界で1番になること』です。本格的に陸上に打ち込み始めた中学生のときから変わらない気持ち。なにかの1番になりたい。自分が生きた証を残したいと思っています。




最後まで読んでいただいた方々本当に、本当にありがとうございます。

不器用な僕ではありますが、応援してくださっている皆様、どうぞこれからも応援してくださると本当に嬉しいです。



それでは、また次回の記事でお会いしましょう。