「はっちゃん。早くしないと
 みんなきちゃうよ」

「りんたろう。飛べるかな」

「はい。はっちゃんならきっと
 飛べる・・飛べると思います」

「飛べると・・思います・・か・・」

二人は山間の小さな滝つぼを
見下ろす崖の上にいた。

「いえいえ。跳べますとも」

りんたろうはそう言うと
六、七メートルはあるだろう
崖の上からもう一度下を覗いて見た。

「ここがいちばん高い所なんだよな」

はっちゃんもりんたろうの横で同じように
下の滝つぼを見下ろしていた。

「はい。私も去年の夏、父上と此処に
 はじめて来た時にはずいぶん高いなと
 最初の内は腰が引けてしまいました」

「でもいざ飛んでしまえば
 何てことないです」

りんたろうは腰のふんどしに
両手を当てると自慢げにそう答えた。

「それでは私が先に飛んでみます」

「そうか・・そうしてくれるか
 それをみて私も腹をくくろう」

はっちゃんの顔が一瞬真剣になった。

「それでは・・」

そう言って膝を曲げお尻を突き出し
両手を後ろに上げて構えはしたものの
りんたろうには去年一度飛んだだけで
今年も飛べるという自信は全くなかった。

「どうした・・」

「やっぱりさすがのお前でも怖いのか」

はっちゃんが後ろで嗾けるように言った。

りんたろうは下を見ながらゆっくりと
片足を崖の先端に掛けてみた。

「どどどど・・」

前方の崖の上から流れ落ちた水流は
凄い音としぶきをたて滝つぼの中に
吸い込まれて行った。

「ごおおお」

そして滝の上から流れ落ちた小枝が
あっという間に滝つぼの渦の中に
消えて行った。

それを見てりんたろうはもう片方の
足を出すのやめるとふんどしの
お尻のあたりにぐっと力を入れた。

「初之丞さまあぁー」

遠くの方でそう叫ぶ声がした。

「りんたろう。今日は諦めるか」

はっちゃんは後ろを振り向きながら
りんたろうの背中に向って言った。

「嫌です。今日飛びましょう」

「飛べるのか・・」

「飛びますとも・・」

りんたろうは意を決して両足を
崖の先端にかけると一気に飛んだ。

「とりゃああぁー」

しかし余りの勢いに空中でふんどしが
解けてしまった。

「りんたろう。ふんどしが・・」

「若様。何をなされております」

お伴の家臣たちがはっちゃんの
すぐ後ろに近づいていた。

「はっちゃん。飛ぶんだ」

見ると滝つぼの水面にりんたろうが
顔を出し大きく手を振っていた。

「おりゃあぁぁー」

次の瞬間はっちゃんはそう叫ぶと
勢いよく地面を蹴り飛んだ。

「どぼんっ」

はっちゃんはりんたろうのいる
真横あたりに着水した。

「飛べたぞ。りんたろう」

はっちゃんは水面に顔を出すと
りんたろうのふんどしを握った手を
空に向って突き出し大声で叫んだ。

「はっちゃん・・そのふんどし」

「あはははは」

二人はお互いの顔を見合わせると
滝の音に負けないぐらいの
大きな声で笑い合った。

「初之丞さまぁ」

「若様あぁー」

「ご無事でらっしゃいますかぁ」

崖の上では家臣たちの慌てふためいた
声がしていた。

幼名「麟太郎」後の「勝海舟」十歳。


そして「はっちゃん」こと幼名「初之丞」


後の「一橋六代当主徳川慶昌」八歳であった。