おはようございます
セラピストになると決めた3人のママです。
子供たちの動きについていけていない10月です(じゅ、受験かも・・・)
息子は中3,長女は小5,次男は小2。
ただ一言、
年齢が、
数字だけが増えていくけれど
みんな可愛いということ。
働いているときは、
可愛いって思う瞬間ももちろんありましたが、
忙しさでそんな実感する時間なんてなかったかな。
目の前の仕事と、家事をこなすのに必死だった。
今は時間がある分、子供たちとの時間を
取り返してやる~ってまではいかないけど…
いや、そうかもしれない。
一緒に、共にこの時間を共有できていることの
愛しい時間を感じることができています。
でもそれはきっと、
子供がまだ小さかったら実感できなかったのかもしれない。
ゆっくりしたいのにギャーギャー泣いていたりして
ぎゃ~すか喧嘩したりして(喧嘩は今もしてますが・・)
うるさ~い!!!ってなっていたかな。
今はそれなりに子供たちの身体も心も成熟してきているから
わたしも余裕がある接し方ができているのかもしれない。
子供って親を選んでくるという説があったり。
子供のほうが親よりも魂レベルが高いんだという説があったり。
私の子供になりたいと志願してきた子供たちは
どんな想いでお腹にきてくれたのだろう。
きっとママを幸せにするために来てくれたのかなって。
自分が自分を幸せにできる余裕がないときに
ちゃんと幸せになるための道しるべをくれる。
会社に退職願を出す前に、
子供たち3人に、
「ママお仕事辞めたいと思うんだけど、どう思う?」
次男:純粋な小2らしい言葉
「ただいまって帰ってきてママがいたらすごくうれしい」
長女:ママ想いで愛犬想い
「ママが笑顔でいるのが一番、愛犬もママがおうちにいたらうれしいと思う」
長男:思春期の彼から出た、純粋で目一杯の心の叫び・・・
「そんなに簡単に仕事って辞めちゃっていいものなの?!」
「ママがおうちにいるのがゼロだとしたら、ママがいないのはマイナス1」
今自分で書いていて読み返すだけで
思い出すだけで涙があふれてくる。
私なりに解読してみたら、
ママがいるのが当たり前=ゼロ
マイナス一は=さみしいよって。
長男部活のママに長男からこう言われたって言ったら
「〇〇君らしい言葉だね。本当はママがいるのが100なのにね!」
このお母さんはよく長男を見てくれていたからこそ
こういうことが言えたのだ。
改めて素敵なお母さんと出会えて私は幸せ。
ママがいないことは当たり前だったから。
そう思って今まで過ごしてきたから。
なのに突然ママが仕事辞めるって。
混乱したのだろう。
それは彼にとっては驚きだっただろうし、
きっと
なんでもっと早く辞めなかったんだよという
想いもあとから出てきたのかもしれない。
でも彼からの精一杯の言葉もあって
わたしは退職する決断をして
良かったと心から思っている。
近くにいてこれからはちゃんと
そばにいて見守るからねって。
もう遅いかもしれない。
あと数年も一緒にいれないかもしれない。
一人暮らしがいいとか
言い出すかもしれない。
でも今からでも一緒にいて、
一緒にいられる時間を大切にしたいと思う。
子供ってなんなんだろうって思うことがある。
親っていう漢字は
木の上に立って見ると書くけど
この写真のような感じではない
子育て真っ只中のときには
木の上で見る、見守る~なんてできなくて。
めちゃくちゃ木から降りて忙しい。
家族だけど。
親も子も、
もって生まれた使命というものは
それぞれ全然違くて。
見えている景色も感じる感覚も全然違っていて。
だから親としてできることって。
衣食住を整えてあげて
進路については最終的には本人が決めるんだけど、
その子が輝ける道を、
選択肢を広げてあげることしかできなくて、
結局はすべて本人たちの感覚で、行動によって
未来を自分で現実に変えていくしかなくて。
死ぬまで親なんだけど。
死ぬまでわが子はわが子だけど。
何が言いたいのかもわからなくなってきましたが、
今はただ一緒に過ごす時間を大事にして。
一緒に家族になれたことに
感謝しているし、感謝したいと思います。
お読みいただきありがとうございました