最近テレビ東京のIS - アイエスというドラマを観ています。
30年程前に一般教養科目として取った自然人類学と生物学の講義の中で「半陰陽」という言葉がたまたま重複して印象に残ったことと、可愛らしい福田沙紀ちゃんと剛力彩芽ちゃんが主演しているからです(^_^;)
当時の講義の中では「半陰陽」、俗語としては「ふたなり」という言葉が使われていました。
それ以来私は、男性・女性というのは二元論的なものではなくグラデーション的なもの(男性、女性をグラフ化した場合、ふたこぶ形ではあるものの真ん中のところはゼロではない)のだと認識していました。
真性・仮性の定義やXXY型(またはその類型)の遺伝子、ホルモンの脳や身体への影響、人間の基本形は女性形に近いもので第一次性徴が無ければそのままだとかの講義を受けた結果です。
また、近年注目を浴びている脳科学(心理学はどうもキリスト教徒の主観という気がして違和感を感じます)での脳の性差による性同一性障害(ISとは異なる)のクロースアップにより、やはり二元論的なものではないと思っていました。
よって「フェミニズム」などにおける女性の定義は行政機関への登録によるものなのか、遺伝子によるものなのか、外性器の主観的な判断によるものなのか、はたまた、性自認によるものなのかといつも???状態でした。
またオリンピックでのセックスチェックでメダルを剥奪された選手の話なども時折耳に入って来ましたし。
性の二元論的な考え方は常々欧米的(キリスト教、あるいは一神教)考え方だと思っています(勉強が足りないので間違っているかも知れませんが)
なにしろ欧米人は性的なこととなるとヒステリックなくらい罪悪感を感じているようなが印象がありますので。
その一方で、陰陽思想や仏教での「二つの要素は調和するもの、調和すべきもので一元化はしない」という考え方は仏教徒兼神道教徒兼アニミズム信者((イザヤ・ベンダサン さん(日本人ですが)の言うところの日本教徒?))の私としては非常にしっくりくるのです(勝手な解釈かも知れませんが)
海外で生活するようになるまでは自分のことを「無宗教の人間」だと思っていましたが、「無神論者」自体、元キリスト教徒(またはその他の一神教教徒)という前提が必要だということがわかり、自分の宗教的バックグラウンドを考えるようになりました。
一言で言えばGodとgodsの違いでしょうか?
海外で本来タブーであるはずの宗教論議を吹っかけられた時には「日本には800万の神様がいるんだ、バカヤロー!」と言って相手の出鼻を挫いています(^_^;)
話が外れてしまいましたが、要は、明治以来の欧米文化の影響を排すれば、日本文化の方が性的マイノリティを受け入れやすい下地があるのではないかと思う次第です。