ある、宮崎あおいファンの心理 | undulation

ある、宮崎あおいファンの心理

卒研スペース feat.宮崎あおい

ビックリすることがたくさん。小沢氏辞任は裏があるのかな。



宮崎あおいの大ファンであることを公言している僕だけど、周囲の理解をあまり得られないことは、「別に出演作品をチェックしたり、DVDを買ったりはしない」ということだ。

僕は、彼女のファンというよりは、同世代の一人の人間として尊敬しているのであって、可愛いからとか演技がうまいからとか、たしかにそう思うけど、その辺はあまり重要なポイントじゃない。


はじめて宮崎あおいを見かけたのは、映画でもCMでもない、札幌の通りでポケットティッシュと一緒によく配られているような、某コンタクトレンズ会社のチラシだった。小さい頃から努力をして、「映画俳優」というこだわりを持ってること、小さな仕事もやること、芸能界にいながら同じ男性と7年間も付き合える誠実さがあることなど、仕事内容もそうだけど、それ以上に取り組みの姿勢や人間的なところが本当に素敵だと思えるから、「好きな有名人は宮崎あおい」と公言している。一度も会ったことはないし喋ったこともないのにここまで人の印象を決めつけることは少し怖いけど、自分も彼女のようになれたらいいと思う。


だから、主演する映画を見るために劇場に何度も足を運んだり、DVDを何枚も買ったり、純情きらりは毎日見たけど、そういう意味での、お金が絡んで事務所が喜ぶような「ファン」とはちょっと違うし、誤解されたくない。たとえるなら、父親の人格は尊敬してるけど、彼が今日は何の仕事をしたとか職場はどうだとか、そういうことは別に、みたいな感覚かな。上手く言えないけれど、この辺のニュアンスがどうも友達に理解されなく。


オタク的な要素を含むファンの持つ力も、タレントを応援する力としてはたしかに絶大なのだけど、それって裏を返せば一個人レベルで精神的にタレントにすごく依存しているわけで、そういうのってあまり好きじゃない。僕は宮崎あおい「さん」―ここでは尊敬して「さん」付けで呼ぶけど―をものすごく尊敬している一方、それをして「大ファン」などと表現すると、今述べたみたいな印象を抱かれて、誤解されるのがとても心外だ。他人様の誤解を恐れるなんてなんて小さいな、と自分でも思うけれど、その辺の区別を主張したいということだ。でもこれってやっぱり、まだ子どもなのかしら。