令和3年8月5日から10日まで、一人で巡礼を行いました。関東平野から奥武蔵の山を通り秩父まで歩いて、秩父修験霊山である武甲山、三峰山、両神山に登拝しました。このコースは約100キロです。昨年、秩父曼荼羅小屋の峯龍先生からこのコースのことを初めて知り、すぐ自分で回ってみたいと思いました。以前、峯龍先生が素敵な歴史や文化的な説明を彼のブログで書かれました。先生は僕よりとても詳しいので、興味ある方は彼のブログを是非お読みください。このブログでは僕の主観的な経験を話したいと思います。

 



なぜこんなことするの?

丁度一年前、秩父曼荼羅小屋で修験道の実践を開始しました。大学の頃から日本の宗教や信仰に興味ありましたが、小笠原諸島に住むまで、それはただの学問的な興味で止まっていました。小笠原に住んで山や海に入り、僕が相互作用していた自然は、生き物であることに段々気付かされました。前はただの石や水だと思ってた物が、意識を持っていたことが分かり、コミュニケーションをする方法を持っていると感じました。この経験を通して、魔術に初めて興味を持ちました。直後に、友達に『Quareia』という無料の魔術の独学課程を紹介されました。Quareiaはジョセフィン・マッカーシーと呼ばれるイギリスの魔法使いが書いた物となります。残念ながら、Quareiaの日本語訳はまだないんですが、英語、中国語、フランス語読める方にお勧めします。

 

半年後、埼玉に引っ越してきました。Quareiaの実践では、自分が暮らしてる大地と一緒に暮らしてる生き物にケアしてあげることがとても重要です。それは、大地に関係を作らない魔術の財団は不安定ですし、いろんな精霊と関係作る魔法使いはチームの強力で実践できますから。埼玉に住んで、地域の精霊と関係作りながら歴史や物語を調べて、何回も登場した人物がいました。それは、山伏のことでした。Quareiaの実践と同様の、大地と人間のために勤務する日本地元の伝統があると分かってきました。僕も体験したくなりました。

 

この視点から秩父曼荼羅小屋で修験道の実践を始めました。初めて秩父に行った時も、怪我をしている武甲山を感じました。秩父での実践が意味あるために、武甲山に自己紹介することが必要だとすぐ理解しました。峯龍先生のおかげで、秩父修験霊山の話しを聞くと、お世話になっている山々でも登拝してみたくなりました。

 

なぜ一斉に三つの山?

連続の巡礼で武甲山、三峰山、両神山で登拝するのは大事だと感じました。この巡礼の前も、武甲山と三峰山に何回も行ったことはありました。個別的にみても、とても力のある山ですし、特別な雰囲気と性格を持っています。

 

ですが、その個々の山の中の関係を感じたかったのです。山は曼荼羅に似ていると思います。つまり、例えば、胎蔵界曼荼羅をみると、何百柱の神仏が描かれています。密教の修行者はよく、性格に適切な一柱の神仏と関係作ります。しかし、曼荼羅の中にその神仏の周りの神仏とどんな関係しているか、その神仏達のグループは他のグループにどんな関係があるかを見れば、個別の神仏も全体的の曼荼羅もより深く理解できます。

 

曼荼羅と同様に、関東から両神山まで歩けば、個別の山の特徴を気付けるし、全体の奥武蔵と秩父の雰囲気を感じれるかなと思って行きました。願った通り、より深い視点からお世話になっている大地を感じることができました。

 

なぜ一人でやったの?

他人にこの旅について話した時、「一人修行」と伝えました。ただ実は、一人で入峰しても、全然独りではありません。つまり、普通に暮らしてる山の生き物で囲まれています。この一人の実践は挑戦になります。結局、人間なんて猿です。グループで強い動物ではあるものの、独りではとても弱い動物です。グループであれば、人間のうるささ、臭さ、そして心理的な安定は個人と自然の間に張りを掛けます。一人で入峰すれば、その安定は消えます。実践がより危なくなりますが、人間と自然の間にある膜が透過性するようになります。この実践の目標は、山により深い関係を作ることだったので、一人で行くのは重要でした。山伏という言葉にもこの意味が含まれると思います。修験行者は荒々しい山に伏して、命も山に任せます。

 

役行者、空海、円空などの昔の行者について読んで、皆さんは一人で山や森にさまよっていたときに深い洞察を得ました。そして、一人の経験をしてから、美しい美術や安定のある伝統を社会と共有をしたくなりました。その時代の行者はよく何ヶ月の入峰をしていたし、僕みたいに綺麗な道路やホテルの贅沢がなかったが、少しだけそうした孤独の経験を自分で触りたかったのです。

 

1日〜2日目:越生駅から四番札所金昌寺まで

一人修行の序盤は越生駅から秩父市内の金昌寺まででした。30キロのコースとなりますが、15キロのザックと夏の暑さを考えて、2日に分かれることが必要だと決めました。キャンプ用のハンモックとタープを持って、どこか森の中に寝るつもりで行きました。あんまりにも楽しみと緊張していたので、朝食を食うことを忘れてしまいました。それはひどいミスでした。

 

1日目の行き先は3つでした。まずは、昔から修験行者の滝行場となっている黒山三滝。それから、1000年前ぐらいから存在している大平山役行者尊。最後は、地域の修験道が大事にしていた高山不動尊。

 

黒山三滝までの道は奥武蔵の綺麗な森といくつかの静かな村を通りました。黒山三滝の直ぐ下にある熊野神社で参拝したとき、もう一人の白装束を着てたおじさんがいることに驚きました。僕のことをじっと見てから、笑いながら、「外人もやってんだ!」と言われました。彼は東京でオガミさんとして生計を立ててるそうで、験力を得るために時々黒山に来ていると言っていました。両神山まで行くと言ったときに「若いな〜!」と言われました。旅中に、彼以外の行者に一人も会っていないですが、彼と話して「僕だけじゃないんだ」と感じて、勇気をもらいました。

 



黒山はとても神秘的な場所です。一番感動したのは、天狗滝という強い流れにより霧になる不思議な滝です。熊野神社で話した行者さんは「天狗滝で滝行してきたの」と言いましたが、観光客が多くて、フンドシしか持っていなかったので滝の前で瞑想だけ行いました。とても強力で平和のある場所でした。休憩するのもとても気持ちよかったです。SoyJoyを食べようとしましたが、強い日差しで何キロ歩いても、お腹が全然減りませんでした。食べると吐き気になってしまいました。今考えると、それは熱中症だったかもしれません。お水をたくさん飲んで、夜ご飯をたくさん食べようと考えながら、進むことにしました。

    




黒山三滝から急な山道で登ると、やがて大平山役行者尊に辿り着きました。等身大石仏の役行者と二人の鬼、そして不動明王と観音様の銅像があるのですが、何百年の苔で覆われているので、初めは気づきませんでした。大峯龍泉寺から持ってきた線香に火をつけてから、役行者さんの優しい視線の下に法螺貝を吹いてお経を唱えました。山火事を避けるため、線香が消えるまで休憩しました。とても疲れていましたが、そこの神秘的な雰囲気で唱えることで、少し元気になりました。波を乗るように高山不動尊へ出発しました。その時から、ギブアップする気になると、役行者の優しい顔を思い出しました。「頑張ってね。わしもやったからお前もできるぞ。」を言ってたようでした。

 

高山登山口まで、意外と降りました。最後の登りは思ったより大変になるとわかってきました。谷には山の早い夕暮れでもう暗くなっていました。シャベルを持っていたおじいさんが山道から降りに来て、僕をじっと見ました。心配が入った声で「今から?」と聞かれました。自信持っているマネをして「高山までだけ!」と答えました。厳しい表情で会釈して「気をつけてね」と言われました。

    

高山不動のシンプルなお寺に辿り着いて1日目の最後のお経を唱えた時、足も背中も痛くて、足もひどい水ぶくれになっていて、白装束がお風呂に入ったみたいに汗で濡れていました。体があまりに疲れていたので、ボトルに7キロのお水を入れることが恐れていました。ゆっくりと白滝という高山のちょっと下にある滝まで降りて、キャンプをたてました。

 

丁度日暮れにハンモックとタープをたてました。準備を済ませると、杉の根っこに座って、急に「もうすぐ真っ暗になるよ。一人だよ。何時間前から電波辻てないよ。」と気付きました。一人で森にキャンプすることは怖いと分かっていたが、その恐れの強度は意外でした。最後の光が消えながら、ヘッドランプをつけてインスタントラーメンを作りました。

 


SoyJoy二つしか食べていなかったが、お腹が全然空いていなかったです。体はパニックモードになっていました。普通の森や川の音で不安になっていました。深く息を吸って、「事故は珍しいよ、この森には危ないことそんなにないよ」頑張って考えても、全然落ち着いていませんでした。麺を食べてみると、ゲロになりそうでした。次の日に食べるためにジップロックに入れて、何も食べずにハンモックに入りました。そんなに疲れて、早く寝落ちて明るい朝まで寝れることを願っていました。寝る前山に話しました。『ダンと呼ばれるよ。アメリカ人だけどここに住んでいる。いつもお世話になる。明日まで生かせてもらえると大変嬉しいよ。」

    

全然寝れませんでした。何回も、寝落ちそうになって、変な音や不気味な気持ちがあって直ぐ起きました。いつもヘッドランプで熊やイノシシを探していたけど、毎回何もいませんでした。やがて、木の後ろに夜明けの光が見えてきました。ハンモックから出たとき、入ったときよりひどい疲れを感じました。

    

あの夜は人生の中の一番怖い経験の一つです。もちろん、もっと危ない場所にフリーキャンプやっている人たくさんいますし、事故は少ないです。奥武蔵と秩父に熊はいるけど、出没はかなり珍しいです。襲われるときは大体熊に驚きさせるときなので、森で寝ることのリスクが低いかもしれません。統計的に、街の暮らしの方が危ないと思います。森で寝ることより、森でハイキングする方が事故が多いかもしれません!ずっとそいうことを自分に言っても、脳みそがサバイバルモードになっていました。二回目があれば、一回目はより少し安心できるだろう。

    

太陽の日差しが強くなってきた頃、キャンプを片付けていると、自分の中の何かが変わったと感じました。意図的に山で脆弱になることで、山の違う側面を見えてきました。山は優しい鳥や可愛い熊が棲んでいるディズニーの世界ではありません。山の世界のルールは、人間社会のルールとは違います。つまり、外人が森で死んだら、熊やカラスがよく食べる意味しかしません。

 

でも山のお陰で、あの夜を生きて乗り越えました。普通に「僕」だと思っている人は日常生活の安定や何千個の当たり前だと思っている贅沢なことがないと存在できません。その怖い夜に、その物から完全に離れていました。ハンモックに入った人とハンモックから出た人は別人でした。

 



白滝で滝行をして、錫杖を振って真言を唱えながら、前日の汗と恐れを体から洗いました。冷たい麺食べてから、ザックを担って、秩父へ出発しました。

 

白滝から高山不動尊の奥の院まで登りました。奥の院は360度の綺麗な山展望に囲まれています。前日の長い歩きの後、やっと距離に武甲山を見えたことで元気になりました。それでも、今日の旅はまだまだ長かったです。反対側に、奥武蔵の向こうに関東平野まで、前日歩いたコースを全部見えました。いつも奥武蔵に行くとき、山々のお陰で東京都が存在できることを思い出します。田んぼや流しに入るお水は全てこの静かな山々から流れてきます。



東京へ向かって、法螺貝を吹きました。法螺の由来の使いは遠くから合図するためでした。僕は同じように使っていますが、他人にメッセージする用じゃなくて、山や大地などの巨大な生き物にメッセージを伝えるために使っています。「ありがとう」と思いながら吹いて、下の谷の中に法螺貝の鳴り響きを聞きました。越生まで聞こえただろう。

 



2日目のコースは、ほぼ奥武蔵グリーンラインという山道が横にある道路を通りました。足も心もあんまりにも疲れていたので、大体道路で歩いて進みました。段々考えがネガティブになってしまいました。「1日だけで足がこんな疲れてるなら、最後までできないじゃん?水ぶくれは小さくなるはずないし、腰は楽になるはずないぞ。また昨日みたいに全然寝れないなら死んじゃうじゃん。」残りの旅は無理かも知れないと感じました。

 

最初の予定は公共交通機関を避けて、キャンプをしながら両神山まで歩くことでした。グリーンラインで、とぼとぼ歩きながら、トレーニングとプランニングが足りていなかったことが明らかになりました。予定を変えないと、諦めるしかないことに気づきました。電波が少しでも通じると、秩父市内の安いホテルを予約しました。

 

壁で囲まれたベッドで寝れることができて安心しました。両神山まで行けたか分からなかったですが、少なくとも秩父まで行けると感じました。役行者の顔が思い出しました。「一歩ずつ進んでね。」

 

やがて、秩父の近くの丸山の登山口に辿り着きました。日陰でお昼寝することでリフレッシュしてから、ゆっくり座って風の音を聞きながらアリの忙しい働きを見ました。それから、金剛杖を持って最後の登りを始めました。

 

途中に東京が見える展望台で、もう一人のハイカーさんがいました。孤独の夜の後、他人に会うことがとても気持ちよかったです。何分一緒に話した後、「なんでこんな服着てる?なんかお坊さんとかですか?」と聞かれました。

「いや、秩父で修験道やっていますので、今回一人で修行を行ってみたかったです。」

「そっか、本当にお坊さんに似てるね!いつもその服でハイキングするの?」

「いや、基本は普通の服で行っています!」

 

この会話をして、修行中で白装束を着ることの理由について考えました。大峰(山上ヶ岳)を登ったときのブログで書いた通り、一つの理由は死者が着る服を着て、死者として黄泉の国になる山の別世界に入ることです。

 

もう一つの理由もあると思います。それは、他人が行者の白装束の姿を見ると、修行を行っていることがすぐ理解できることです。四国や他の有名な巡礼がある地域に、巡礼者が地元の人によく助けてもらうと聞いたことがあります。

 

僕の一人修行で特別な手伝いをされた訳ではないですが、きっと白装束着ている背の高い外国人の姿は他人に気付かれやすかったと思います。特に三峰神社や駅などの人が多かった場所で、じろじろ見ていた方がたくさんいました。彼らのささやきを聞くと、外国人であることじゃなくて、白装束の話をしていました。修験道や山岳信仰に関わると理解していそうでした。

 

かつては、奥武蔵と秩父の大地は修験古道でクモの巣のように描かれていました。この一人修行の一つの願いは、最近そんな使われていない昔の修験の模様に、再び力を入れることでした。それはただ僕一人の労務ではありませんでした。白装束を着て、他人に山々の神聖と、自然と相互作用する日本の伝統の大事さを思い出したと願っています。

 

結局、修行は心の中で行うことですが、衣装に象徴的なものを羽織ると、他人も自分自身の自然との関係を新しい視点から考えさせることになります。これに気づくと、謙虚さを感じることができました。ただ一人のことではないので、威厳ある修行を行うことが大事だと思いました。

 

暑い山登りの後、丸山山頂につきました。武甲山は朝からとても近くなっていましたし、両神山までの残りのコースを全部見ることができました。秩父の山に「ここまで来たぞ!これから登るつもりだから、よろしくね!」ということを伝えるために、法螺貝を吹きました。



金昌寺までの道は素敵な混交林を通ります。夏だから、何回もセミが顔や口に飛んできましたし、クモの巣を何回も顔にぶつけました。初日は驚いて悲鳴をあげましたが、2日目以降は、虫に怪我をさせないように優しくはねのけて、進みました。なんだか、白滝で恐れを置いてきたと感じました。

 



金昌寺で、感謝を感じて2日目の最後のお経を唱えてから、バスでホテルまで乗りました。次の日に武甲山を登れるか分かりませんでしたが、そんなに気にしていませんでした。旅の半分だけ済ませても、修行の結果を感じていました。これからできることは、最初の二日間に感じた心の開放と自然とのつながりの気持ちが深くなると感じました。

 

3日目:武甲山

早朝に起きて天気予報を見ると、11時まで武甲山で雷の可能性があると書いてたので、ゆっくりとホテルでヨガと瞑想を行いました。水ぶくれが痛かったですが、筋肉痛は意外と楽になっていました。白装束を着けて、足をクロステープで包み、必要の無い物をザックから取り出しました。軽くなりとても楽になりました。出発した時に、ホテルのスタッフはインスタにアップするために写真撮ってもいいか尋ねてきました。黒い雲に日差しが当たると、西武秩父駅の近くからスタートする琴平ハイキングコースを通って、武甲山へ出発しました。

 


昔の修験古道になる琴平コースを何回も歩いたことありますし、武甲山山頂まで登るのも三回目になっていました。秩父市内に向かう武甲山の北面は、石灰岩を抽出する工事を行っており傷付けられていますが、裏面は綺麗な森と川で覆われています。武甲山の川は荒川と重なり、東京湾まで流れます。武甲山に初めて行った時に、工業化のため怒っている精霊ばかりいるのかなと思っていましたが、そうではありませんでした。武甲山の精神的な環境はまだ健康であるので、大好きな自然の力を感じれる隠れ家になっています。そのような古代から人間が世話になっている場所で登拝できることはいつも名誉に感じます。



石灰岩抽出工事で山頂が削られる前、縄文時代の遺跡があったそうです。現代「橋立鍾乳洞」と呼ばれる武甲山の麓にある鍾乳洞にも、何千年前に縄文の人々が暮らしていました。一般的に、山頂にある縄文遺跡はとても珍しいので、古代日本の山は黄泉の国であるという信仰は縄文時代のしきたりから開発したと思っている研究者が多いと思います。山の上流は立入禁止の場所となっていました。そのような信仰があった人でも、武甲山の山頂まで登った事実は、武甲山の居心地の良い雰囲気と人間にの寛大さを表すと思います。100年の工事を終えた後でも、その雰囲気を感じれることはすごいことでしょう。琴平コースで歩いてた時に、丁度12時半に武甲山からダイナマイトの音が鳴り響きました。それは毎日行っていることです。


中世から、武甲山は修験道の行場になりました。現代でも、武甲山の裏参道は「一の鳥居」という二匹のオオカミが守っている鳥居からスタートします。琴平コースは橋立の馬頭観音堂からスタートする裏参道につながります。

 

出発が遅かったので、日暮れの前に帰れるようにダッシュで進みました。道はよく覚えていたので、途中の神社やお寺の雰囲気にすぐ入ることができます。心が森の音や色と楽に融合しました。その道は友達になっているように感じました。27番札所大淵寺の上に、猿の群れがいました。なんだか、いい前兆だと感じました。

 



既に時間が遅くなってきたため、馬頭観音堂のカフェにお客さんはもうほぼおらず、武甲山登山口に入ると、下山している人しかいませんでした。裏参道はかなり急な山道なので、表参道で登ることの方が人気があると思います。地図を見ると、山頂まで3時間かかるとよく書かれていますが、ダッシュで行って、2時間で到着することができました。



一番辛い部分が終わると、杉のプランテーションになっている森が、巨大な赤松と高い草のある綺麗な混交林になります。山頂まで登る時毎回、この部分に少し緊張を感じます。僕が動物だったら、ここに住むかもしれません。進むと、道の横に種がたくさん入っていた熊のフンがたくさんあることを気付きました。一つのフンは、ハエがまだついていなかったほどフレッシュでした。段々「一人じゃないな」と感じてきました。

 

急に、右側の草から大きい動物の動きが聞こえました。草のせいで何だったか見えませんでしたが、何かいました。意外と、全然怖く感じませんでした。ネットで読んだ熊出没の注意を思い出しました。笑顔で静かな声で「ヤッホー。迷惑させてごめんねー。何も悪い目的はないよー。」と言いました。動物の動きが止まりました。ゆっくり歩いて少し離れてから、錫杖を少し振りました。動物もゆっくり、山道から降りて行きました。後ろに従っていないことを確認しながら、山頂の方へ進むことにしました。

    

その過程で恐れを感じていないのは本当に驚きました。「二泊前ものすごく怖かったけど、何で急にこんな勇気持っている?」と思いました。般若心経の言葉が思い出した。

 

「菩提薩埵(ぼだいさった) 依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみったこ)心無罣礙(しんむけいげ) 無罣礙故(むけいげこ) 無有恐怖(むうくふ) 遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)究竟涅槃 (くうぎょうねはん)」

 

「菩薩たちは智恵の完成に頼るので、心は菩薩と現実の間の妨げにはならない。妨げがないと、恐れもなくなる。間違っている想いから離れて、悟りを開く。」という意味します。

 

般若心経によって、恐れの解毒剤は妨げを削除する力持っている智恵です。その心の中の妨げは、間違っている想いと同じ意味を持ちます。我々は川の魚のようであって、間違っている想いは網のようであります。網に捕まる時、恐れに感じます。しかし、その恐れは網で捕まる怖さではなく、また川に開放される恐れです。自分の部分であると考えてしまうほどその網に絡まって、解放されたら自分自身のことも解けると感じるかもしれません。実は、網を手放すことを選ぶと、意識の川の流れと一緒に楽に動くことができるようになりますし、自由になります。そうしたら、前「網」で経験していた、日常生活において大変なことでも、より軽い視点からもう少し優雅に乗り越える事が出きるでしょう。

 

山に行くと、心が普通に捕まる「網」から離れていたことを感じました。一泊目のいつの間にか、普通の「僕」を定義する物を少しでも手放して、よりシンプルな注意深い状態に入りました。「僕」という思想を手放して、人間社会の者より、山の一つの物になっていたと感じました。武甲山山頂まで登っていた時、その感情に驚かされました。山で死ぬ可能性があることを感じることで、本当に生きていると感じながら、環境に優しさと喜びで応答できるになりました。それは、パニックや恐れより役に立つでしょう。



山頂に辿り着いた時、下の石灰岩の砕石場さえ見えなかったほどの神秘的な霧状態になっていました。御嶽神社でお経を唱えました。不動明王さんのご真言を唱えていた時に、足の下に全体の山の存在を感じました。不動さんと同じように、巨大で安定な気持ちがしました。裏参道で降りて、馬頭観音の滝の池で水行を行ってから、夕方の最後の日差しで浦山口駅まで歩きました。