女性チームと再会した後、母公堂でその日の最後の勤行をあげました。母公堂のご本尊は白専女(しらとうめ)様で、役行者の母親です。息子がとても危ない山で修行を行っていると聞き、白専女様は心配して大峯までついていったと伝われています。母がそばにいるため、役行者は村の人々に彼女の家を建ててもらいました。その家の場所は現在の母公堂の所です。宇宙の限りまで旅をした役行者でも母の子であった事がとても面白く感じます。母公堂に行くのは、色々知識を持っている長老に来訪する感じがしました。
大峯で経験した中の重要な事は「感謝」です。山を登って、役行者尊の前でお経を唱えたとき、彼が始めた伝統に感謝をしました。母公堂に行ったとき、素敵な先生にこの神秘的な道を導いてもらえることも感謝深く感じました。お風呂に入った後、鹿や猪の肉など地域の材料で作られた食事を食べて、他のメンバーと遅い時間まで和気あいあいと話しました。やがて、カエルの声を聞きながら眠りに落ちました。
日曜日に、天河大弁財天社で参拝しました。とても綺麗な神社の祀られている神は、お水と舞台芸術の後援者になる弁財天様です。上の聖域まで急な木製階段を上った前、神主様に祝祷をもらいました。上の所に入るのは、静止した泡に入ったようでした。下で外の草刈り機の音がうるさく集中出来ませんでしたが、上の方は静かで全然気づきませんでした。空気は声や楽器の振動を奏でることを待っていたように感じました。
天河大弁財天社は神仏習合をする修験道と関わる長い歴史がありますので、神道形の儀式の後、般若心経を唱えました。それに合わせて太鼓と木魚を神社の方がリズムを取ってくれました。この神社は崖の横にある建物なので、般若心経のリズムで、全体の構造と僕の体は振動しました。前日の行事でとても疲れていましたが、その疲れのお陰で、体に受け入れやすくなっており、より強力な経験になりました。唱え終わると、神社の方が篠笛を吹きました。その優しい音色は山の空気と自然に融合しました。
次に、来迎院という大弁財天社近くのお寺で参拝しました。来迎院に、弘法大師空海が植えたと伝われている巨大な銀杏が存在しています。こういう古い木に近づくと、上の枝を見て、下の広い根っこの網をイメージして、木と一緒に息を吸い出すようにしています。木に囲まれてることを感じるのはとても気持ちがいいです。その木の影に、何百年の間、何千人が参拝をしに来たことを考えると、謙虚になりました。
それから、今年のワークショップ最後の行事を龍泉寺で行うため、洞川へ戻りました。その行事は、柴灯護摩という修験道で重要な火の儀式です。初めての柴灯護摩体験でしたので、とても楽しみにしていました。儀式の前、参加者の皆さんは護摩木にお祈りを書きました。僕は、家族、同僚と生徒、そして暮らしてくれる大地の健康のため願いを書きました。
強力で厳粛なる儀式でした。祭祀者の皆さんのピッタリな行動には強い印象を受けました。柴灯護摩が魅惑的に感じました。杉の枝に火を灯した後、般若心経と不動明王様のご真言を何回も唱えました。私達の声、火と煙、2日前水行をした池、近くの木々からの鳥や虫の鳴き声、すべての刺激が一つになったようでした。強い日差しに当でられて焚き火の前に立つことは疲れると思っていましたが、柴灯護摩が終わったとき、とてもクリアな気持ちで元気でした。
儀式の最後に、メンバーの二人は小先達になりました。小先達とは、3回大峯修行に参加した人が貰う先達の中での一番低いランクとなっています。小先達になるとき、とてもかっこいい修験道の特徴になる結袈裟をもらいます。二人ともやり遂げた笑顔をしていました。新しい先達さんたち、おめでとうございます!!
最後の写真を撮ってから帰る準備をしながら、もう来年の大峯修行を楽しみにしてきました。曼荼羅小屋のグループメンバーは、大体何年もやって先達になっている方々ばかりです。
電車で大阪へ行くときに、去年小先達になった友人と一緒で、彼女に「今年先達として何か違いを感じましたか?」と聞きました。「前より緊張が少なくなったが、新しい行者たち、特に山によく入らない人を手伝う責任の重さを感じた。」と言っていました。先達になってから「やっと成功した!」という感じより、長い道に最初の一歩をした感じだと言いました。この修験の道は、直ぐに個人的な経験から奉仕の実践になると思いました。
初めて秩父曼荼羅小屋に行ったときに、峯龍先生に「修験道の実践したかったら、どんなことすればいいんですか?」と聞きました。期待は、チベット密教のンゴンドロみたいな、新しい人がすべきのルーチンでした。しかし、峯龍先生が、「一番大事なのは、自然と関係することですよ。家の近くの公園でもいいけど、外に座って、風を感じたり、周りに何が起きてるに注意を払うのが一番いいんですよ。」最初聞いたとき、少しがっかりしました。「それだけ? かっこいい宝具、儀式、印、ご真言はどうしたの?」と自分の中に思いました。
しかし、峯龍先生のアドバイスは完璧でした。この修験道をやっている一年間、修験道実践の基本は二つのことであることを学びました。つまり、自然の生き物や精霊たちと関係を持つこと、そして相手の役に立つこと。その二つがないと、修験道はただのコスプレしながらするハイキングだと思います。
ずっと大峯修行に楽しみにしていましたが、先達の友達と同じように、終わったときに「やっとできた!」という感じは全然しませんでした。感じたことは、より深い神秘の感覚、地球との繋がり、そしてこの道で続ける決定でした。いつか、秩父曼荼羅小屋の先達たちと同じ知識と忍耐で、修験道の豊かさを他人に伝えれることが出来ればと願っています。
僕の高校と大学は両方ともイエズス会の学校でした。イエズス会の実践の中には、イグナチオ・デ・ロヨラ聖人の「霊操」という修行がとても重要です。霊操とは、一ヶ月間の黙想みたいなものですが、週ごとにキリスト様の人生の関わるテーマで分かれています。黙想の後は「5週間目」の時期に入ります。言い換えると、人生の残りの全てはまだ黙想となっています。それからの目標は、黙想と同じ様に、キリスト様とより深い関係を作って、その視点から生きることです。
金剛杖を手に持ち、ガヤガヤして暑い大阪に辿り着いたとき、似ているなと感じました。大峯から出たという感じは全然しなかったです。大峯は場所というよりも、自分の中に持っている経験になりました。どこに行っても、その経験の影響は自分の中に繰り広げるでしょう。この素晴らしい修験の道を、素敵な同士と一緒に進め続ける事を、これからもとても楽しみにしています。






