そんな事を言われても、知らないし分からない。
 
ーーーーー

僕は一人っ子だ。
もっと詳細を添付するなら、父子家庭の一人っ子だ。

よく、こんなまともに育ったな、と自分では思ってるけど?
大学の友人達にそう話したら?笑わせようとした訳ではないのに、爆笑された。
少しだけ?まともでは無いようだ、やはり。


父は?母の亡くなった後?ちょうど一年して、数多の女性と遊ぶようになった。
家には、様々な女性が上がり込み泊まって行った。

『お前には新しいお母さんが必要だ!』てのが父の口癖だった。
今にして思うと?父も父で寂しかったんだ、と分かる。今ならね?
 
8歳の冬の夕方、何人目かの?父の連れて来た女性から僕が冷水シャワーをかけられてる時、父が帰って来て、それ以来。父は家に女性を上げるのを一切止めた。

そこから?父は僕ととても多くの時間を過ごしてくれるようになった。

父の口癖は三つだった。
一つは?『男は火と刃物を使いこなさなければならない!』
もう一つは『男てのは、強くなければ生きていけない、優しくなければ生きて行く資格が無い!』
最後のは?『女を殴る男は最低だ!だが殴らなければならない時も有る!』だった。
 
一つ目の口癖に添い、僕は8歳から料理を覚えさせられた。
何でも?火と刃物を使いこなす訓練なのだそうな。
幸い、大きな火傷も切り傷も付けず、僕は無難に料理を覚えていった。

二つ目の口癖は?よく分からんけどカッコいい!と思ってたら?五十年以上前の昔の映画の名台詞だ、と社会人になって知った、あおいさんが教えてくれた。

三つ目の口癖については?父が女性を殴ってるのを見たのは後にも先にも一度だけだった。
そう、顔も名前も覚えてないけど?父が連れて来た女性から、僕が冷水シャワーを浴びせられてるのを知った時だけ。
今で言う?虐待の始まりだったんだろうな、アレは。


僕は?父の血を引いてか?
料理を覚え、16歳からお酒も覚えた。
未成年に酒飲ませて良いのか?と父に言うと?
欧州の貴族の息子は?水で割ったワインを子供の頃から飲んで、舌に味を学ばせるのだ!と言った。
当然、父は貴族でも無いし、欧州にも縁が無いのに・・。
ただ、酒の呑めないような男にはなるな!と半分真顔でいつも言ってはいた。

おかげで?
17歳から始めたイタリアンのビストロ?でのバイト先では、とても重宝された。
この少子化の時代に良いのが来た!のだそうだ。
時給も?かなり良かった。

夜間大学への進学が決まると、ビストロのオーナーはとても喜んでくれて、ランチ営業を始め、僕を責任者にし、時給プラス出来高?のインセンティブ?扱いにしてくれた。
大学の費用捻出含めて、コレはとても助かった。 

20歳になると、父が飲みに連れ出してくれて色んなお酒に関する逸話?を話してくれた。
話し半分に聞いてたのだけど?
最後に父が言った。
『大病もせず、罪を犯す事もなく、良くぞ無事に20歳を迎えてくれた、ありがとう。』と。
驚いてる僕に、更に続けて言った。
『母さんとの約束は果たした。
で!今のうち、俺はもう一回だけ今のうち勝負したいんだ!』

父は料理人だった。
名の有る豪華客船の料理長就任!の話しを受けたいのだと言う。
今のうち!を二回も言う位、本当にラストチャンスなのだろう?と、いつの間にやら耳の辺りに白髪の増えた父を見て、僕はもちろん、受けなよ!と言った。

僕は一人暮らしを始めた。まぁ今迄も似たようなものだったのだけど。
 
22歳になり、僕は就職を考えなければならなかったが、考えなくて良かった。
五年働いたビストロのオーナーから?この店をしばらく頼めないか?と言われたのだ。

オーナーは?もう一回だけイタリアで勝負したいのだ!と何処かで聞いたような事を言った。
昭和のアラウンド還暦は?皆が似たような思考回路なのだろうか?

バツイチ出戻りなオーナーの娘さん、と。三年だけ頑張ってくれないか?と。

娘さん居たのかよ!とツッコミたかったんだけど、止めといた。
こうして?23歳の僕と十歳年上のオーナーの娘/あおいさんとのビストロ経営が始まった。

父子家庭の僕的に?大学では女の子とのトラブルは多かった。
距離感?が、僕には良く分からないのだ。
年頃の女の子は皆がそうなのだろうか?
買い物が長いのも嫌だったし、人の悪口ばかり言うのも嫌だった。
マニキュア塗った爪先で料理作るのも嫌だったし、何より最低限の料理すら出来ないテのは、もっと嫌だった。


あおいさんは十歳年上なので、その点とても楽だったし、一緒に仕事してて愉しかった。
マニキュアも香水もつけてなかったし(飲食店勤務だから当たり前だけど)。


二年たち、僕は24歳になった。
来年帰る、とオーナーからは連絡が来ていた。
(*父は?台湾籍の客船からフランス籍の大型客船に、昨年移籍していた。)

オーナーが帰って来るまでに、僕はサプライズを考えていた。『もう一店舗出したい!』と。

この経験は、僕の人生に必ず役に立つ!と僕は信じて疑わなかった。資金的にも人材の育ち方からも、出来ると確信していた。

でもあおいさんはそうでは無かった。

二年、お互い上手くやって来てたけど。
いつも優しかったあおいさんとは、この話し以降良く衝突し、気まずい空気の中で営業する日も増えていった。

ある日、いよいよ二人して鬱積してた物が相互にぶつかった。
口角泡を飛ばし、その日僕らはトコトン議論をした。

議論の後、何分かの沈黙の後、あおいさんがポツリと言った。
『失敗して欲しく無いし、何より父の店に貴方を縛りたく無い!』と。

あおいさんは離婚の話しをしたがらなかったけど?僕は良く、父や、よく遊ぶ女の子らの話しをしていた。
外国の豪華客船で料理人として働く父を、僕は超えられる!と、あおいさんは良く話してくれてもいた。

そんなのは良い。

僕は、父ともオーナーとも違う。
勝負したい!とか、そんなのは一切無かった。

ただ、安定した収入が有って、面白おかしく暮らせて、幾ばくかの貯金が有れば良い。それで良い。
この街を出ていくつもりすら無かった。


あおいさんは、ジッと僕の目を見つめ、とても深く見つめ、一言言った。
『言い争いをしたい訳でなかったの、ごめんなさい。

仲直りに、今夜はシェリー酒を飲んでも良いかしら?』
 
ーーーーー

知らなかったんだ。そんなの。

正直言うと、一度だけ父から聞いた事は有ったけど?
あおいさんが僕の事をそんな風に思ってくれてるなんて、全く思わなかったし。その意味を忘れてもいた。

女性が?男性に?シェリー酒を飲んで良いか?を聞くのは?そう言う意味らしかった。
あおいさんは、僕の事をとでも大切に考えてくれていたし、好いていてくれたのだ。


僕は僕で?あおいさんの中に、面影しか覚えてない母を、勝手に投影し甘えてたんだと思う。

だから、昨日はビックリしてビストロを飛び出してしまったんだ。
 

夜が明ける。

僕は考えていた。
考えていたと言うか、たった今理解した。

少なくとも今は、僕にとってあおいさんはとても大切な存在だと。
これが、恋愛感情なのか?どうか?は正直フワッとしてる。
でも、もっともっとちゃんときちんとあおいさんと向き合いたい!と。


スマホ鳴らすと、あおいさんは直ぐに出てくれた。
電話の声は硬い。

僕は言った。
『そんな事、急に言われてもビックリして分からない。』と。そしてこうも言った。
『・・分からないけど、ちゃんときちんとお話がしたい。今から。あおいさんと。シェリー酒を飲みながら。』
あおいさんは、まだビストロに居るとの事だった。


僕はスクーターの鍵を取り、玄関のドアに手を掛けて、二つの事を思った。
『そういや今日は、ランチおやすみだったな』と。
『やっぱり、二号店は出そう!』と。

新しいキッチンで、僕の作るまかないブランチを、新しいカウンター越しに、二人で食べながら?
その日のメニューやワインリストをアレやこれや考える。あおいさんと二人で。


良さそうだ。なんだかとても良さそうだぞ。



シェリーに合って、朝六時に相応しいチーズて?何だろう?
僕は玄関のドアを開けた。







↑どうでしょうかね?大丈夫?
もっとサクッと書くつもりだったんだけど、エラく長くなってしまいました。申し訳ない☆ミ

ま、こんなのも書いたりしますよ?て事で。
御高覧ありがとうございました!!!
 
暖かい目で見て下されば幸いです(=´∀`)人(´∀`=)


何かしらの?食やお酒に関するお仕事の御依頼、お待ちしております!!!


〜〜〜〜〜



↓備忘録兼ねて、今後予定のインデックス?書いときますね。
 


ハード】】】
・エントランス
・店外メニュー/QRコード
・カウンターをどう考えるか?
・エッシャー?ドンキさんのようなラビリンス的〜
・小上りをどう考えるか?
・個室系店舗の善し悪し
・オープンキッチンの良し悪し
・タブレットオーダー???

ソフト】】】
済】待つ時代は終わった!ゲストさんを(SNSで獲りに)迎えに行く時代!
済】アナログもまた良し!名刺!
・続/アナログもまた良し!年賀状と暑中見舞い
・シスター制度/寺子屋の侍と大店(おおたな)の婆や
・信賞必罰/アリとキリギリス スタッフの評価制度(自己申告版と/他者評価版)

その他(似非エッセイ?)】
・ボトルキープ
済み】・シェリー酒
・ビストロ
・洋風居酒屋
・ガッツリ居酒屋
・ファミレス
・オーセンティックバー
・ホテルバー
・オイスターバー
・シガーバー
・イタリアン
・フレンチ