「1980年代のバルバラ」を「強く印象付けた」のが、1987年9月の、この「シャトレ劇場」での公演だと思います。

 

「母の死」からちょうど「20年」となったこの年の公演で、バルバラ(1930-97)は、あらためてこの曲を採り上げ、観客の前で歌いました...。

 

 

 

 

「CD」は、「2枚」に分けて発売されています(「曲順」は、「DVD」と異なります)。

 

 

今回の曲、「Remusat "レミュザ"」(1972)は、その「後半部分」である「Vol.2」に収録されています。

 

 

 

「発表」から「2年後」の、「ヴァリエテ劇場」でのライヴ(1974年2月)でも、この曲は歌われていました...。

 

 

他の公演では、なかなか聴くことの出来ない曲が含まれ、「現在」となっては、大変「貴重」なディスクともなりました...。

 

 

こちらが、「オリジナル録音」です(1972年8~10月録音)。

 

 

こちらは、「大全集」となります。

 

 

これまでの記事

 

 

(参考)こちらは、私が「参考」としている「ファンサイト」です。

http://www.passion-barbara.net/

 

 

 

さて、「6月9日」は、フランスを代表する「偉大な女性歌手」、バルバラ(1930-97, 本名モニック・セール)の「誕生日」となります。

 

 

そして、「今年」は何と、「没後25周年」にもなるということで、「時の流れ」を、あらためて感じてしまうことも確かなのですが、その、バルバラが残した「珠玉の作品」の数々は、「現在」になってもなお、色褪せることはありません...。

 

 

ところで、今回のこの曲、「Remusat "レミュザ"」(1972)の記事を書くにあたり、「過去記事」からの「大幅な転載」をお許しいただきたいと思いますが、「このこと」は、バルバラを「(正しく)知る」上でも大変「重要」なことでもありますので、こちらにも、「そのまま」載せておきたいと思います。

 

 

(↓ここから↓)

 

バルバラは日本で大変人気のあった歌手ですが、実は、その「経歴」は、正しく伝えられてきたとは「言い難い」面もあります。と言うのは、蘆原英了先生(あしはらえいりょう)(1907-81)が、日本発売のアルバムの「ライナーノーツ」(1972年発売、アルバム「la fleur d'amour "愛の華"」より。後に、エッセイ集「シャンソンの手帖」にも収録)にも書かれているように、「バルバラは、自身の過去を訊かれるのが大嫌いで、過去の"不明な部分"を訊くも、たちまちに色をなして、"私は過去を知らない、今があるだけだ"と言った」(要約)ということです。

 

 

このことから、ある「誤解」が生まれました。

 

 

バルバラと言えば、すぐ、「ナチスの迫害から逃れるために各地を転々とした」という、「幼少期」のエピソードが思い浮かぶことでしょう。当然のことながら、バルバラも、さすがに「最小限」のことは口にしなくてはならない状況だったと言います。

 

しかし、このエピソードは、そのうちに、今回のこの曲、「mon enfance "私の幼いころ"」の内容(真意)を、「誤って伝える」ことにもなってしまったのでした。

 

「古く」からのファンの方ですと、「バルバラ最愛の母は、ナチスの犠牲に...」という解説を読まれたことが、少なからずあると思います。「詞」そのものが、「そのように読み取れる」ことも確かで、「紛らわしい」点が無きにしもあらずなのですが、現在公表されている「バイオグラフィー」によれば、これは「事実」ではありません。

 

バルバラは、1943年から45年までは、家族とともにローヌ=アルプ地方の「サン・マルスラン」(グルノーブルから約50km)に住んでいました。もちろん、「ナチス」から逃れるためでしたが、ここで「家族が亡くなった」という記載はどこにもありません。

 

この曲「mon enfance "私の幼いころ"」で歌われているのは、「子ども時代」を過ごした、「想い出」のこの街へ戻って来て「感じた」ことではありますが、バルバラの母(ウクライナ・オデーサの出身)が亡くなったのは、この曲の発表の1年前、「1967年11月6日」のことなのです。

 

それは、「イタリア公演」のさなかのことでした。当時「同居」していた母の「訃報」を聞き、公演は「中断(中止)」となったようです。そして、程なくその家を離れることになったようですが、そのことが歌われているのが、1972年の名作、「Remusat "レミュザ"」(旧題「les saisons "季節"」)なのです。

 

 

(以上、2018年11月30日付け「mon enfance」についての記事より)

 

 

 

こちらが、その1968年の名作、「mon enfance "私の幼いころ"」です。

1978年2月のオランピア劇場公演でのこの「熱唱」は、一聴に値するものです。

 

この曲についての記事

 

 

 

1970年の名作、「quand ceux qui vont "行く人は何時"」でも、「母の死」について語られています。

 

この曲についての記事

 

 

こちらの曲「chanson pour une absente "居ない女(ひと)のために"」(1973)には、母親の「命日」である、「le 6 novembre "11月6日"」の「副題」が付いています。バルバラの「モノローグ」から始まる、言ってみれば、「歌詞のない歌」です。

 

 

その「chanson pour une absente "居ない女(ひと)のために"」から始まるのが、2018年に日本でも公開された映画、「バルバラ~セーヌの黒いバラ~」(2017年。マチュー・アマルリック監督・脚本・出演)です。

 

 

この作品は、いわゆる「伝記映画」というわけではなく、その「主役」を演じる「女優」の物語という、少し「変わった」映画でもあるのですが、「フィクション」と「ノンフィクション」の「境界」が「あいまい」でもあり、そこが、「賛否」の「分かれる」ところでもあります。

 

また、この作品でも、「母親の存在」が描かれてはいますが、「不充分」だという「印象」は拭えません...。

 

 

 

この映画についての記事(この記事を「リブログ」した、「DVD発売の記事」もあります)。

 

 

 

バルバラは、その、「母親の命日」である「11月6日」に「こだわり」があったのか、「最後」となった、「2回目」の「シャトレ劇場公演」の「初日」も1993年11月6日、そして、「最後」に録音された「スタジオ盤アルバム」の発売日も、1996年11月6日でした...。

 

 

これらの例からも分かるように、バルバラにとって、「母親」とは、まさに、「最愛の存在」だったのです。

 

 

「そのこと」が、より「具体的」に歌われた作品が、今回の曲、「Remusat "レミュザ"」(1972)であり、そして、その「レミュザ」とは、パリ16区、ミラボー橋近くにある通りの名で、バルバラは、そこに、母親と一緒に住んでもいたのです...。

 

 

 

さて、「戦争や、子どもに対する暴力反対」という立場を「明確」にしていたバルバラの、その「代表」となる「3曲」を、こちらにも「再掲」しておくことにしましょう(これらの曲は、「正式な記事」として、すでにアップしています。「詳しく」は、最初に挙げている、「これまでの記事」からどうぞ...)。

 

 

 

「perlimpinpin "ペルランパンパン"」(1972)。

 

1978年2月のオランピア劇場公演の、こちらは「ドキュメンタリー映像」からです。

 

「le soleil noir "黒い太陽"」(1968)。

1978年2月のオランピア劇場公演より。

 

「le mal de vivre "孤独のスケッチ"」(1964-65)。

同じく、1978年2月の、オランピア劇場公演からの「絶唱」。

 

 

 

 

それでは以下に、「Remusat "レミュザ"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

1987年9月の、シャトレ劇場公演で歌われたものにそって、記してあります。

 

 

なお、この曲の「原題」は、1972年の「初発売」当時は「les saisons」となっており、「日本」でも、「季節」というタイトルで紹介されていました。

 

 

ありがとうございました。

 

 

それではまた...。

 

 

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Remusat (les saisons)  レミュザ(旧題「季節」)

 

vous ne m'avez pas quittee

le jour ou vous etes partie

vous etes a mes cotes

depuis que vous etes partie

et pas un jour ne se passe

pas une heure en verite

au fil du temps qui passe

ou vous n'etes a mes cotes

 

あなたが旅立った日

あなたは私から去ったわけではない

あなたは今も私のそばにいる

あなたが旅立って行ってしまってからも

それから、1日だって

1時間だって過ぎてはいない、本当に

あなたが私のそばにいなくなった

その時からずっと

 

moi, j'ai quittee Remusat

depuis que vous etes partie

c'etait triste, Remusat

depuis que vous n'etiez plus la

et j'ai repris ma valise

mes lunettes et mes chansons

et j'ai referme la porte

en murmurant votre nom

 

私は、レミュザを離れた

あなたが旅立って行ってしまってから

とても悲しかった、レミュザは...

あなたがもういなくなってしまってから

私はまた荷物を手に取り

メガネと、私の歌を持って

その門を閉ざした

あなたの名前をつぶやきながら...

 

sans bottines, sans pelerine

mais avec un chagrin d'enfant

je suis restee orpheline

que c'est bete, a quarante ans

c'est drole, jamais l'on ne pense

qu'au-dessus de dix-huit ans

on peut etre une orpheline

en n'etant plus une enfant

 

ブーツも、肩掛けもなく

けれど、子どものような悲しみを抱いて

私は「孤児」のまま...

何てバカなこと...40歳にもなって

おかしなこと...誰も考えない

18歳以上にもなれば

けれど、もう「子ども」でなくても

「孤児」になることはある...

 

ou etes-vous, ma nomade

ou etes-vous a present?

avec votre ame nomade

vous voyagez dans le temps

et lorsque les saisons passent

connaissez-vous le printemps?

vous qui aimiez tant la grace

des lilas mauves et blancs

 

あなたはどこにいるの 私の放浪者

あなたはいまどこに?

あなたの放浪する魂で

あなたは時間の中を旅している

移ろいゆく季節の中で

あなたには、「春」が分かりますか?

あなたがこよなく愛したその優美さ

薄紫色や、白い色のリラの花の

 

que vos etes se fleurissent

dans votre pays, la-bas

aux senteurs odorantes

d'une fleur de mimosa

que vos hivers se rechauffent(que votre hiver se rechauffe)

au coin d'une cheminee

que les saisons vous soient douces

vous avez tant merite

 

あなたの夏は花盛り

そちらの、あなたの国では

ミモザの花の

その香りに包まれて

暖炉の隅で

あなたの冬は暖かく

季節が優しいものでありますように

それは、あなたにとっては当然のこと...

 

vous disiez "pas une larme

le jour ou je n'y serai plus"

et c'est pour vous(ca) que je chante

pour vous(ca) que je continue

pourtant, quand je me fais lourde

oh que j'aimerais poser

mon chagrin a votre epaule

et ma tete sur vos genoux

 

あなたは言っていた 「泣かないで

私がいなくなる日が来ても」と...

あなたの(その)ために私は歌い

あなたの(その)ために私は続ける...

けれど、それが重く感じられた時には

ああ、私は...

私の悲しみをあなたの肩に置いて

あなたの膝に頭を置いてみたい...

 

vous ne m'avez pas quittee

le jour ou vous etes partie

vous m'avez faite orpheline

depuis que vous etes partie

et je suis une orpheline

depuis que vous m'avez quittee...

 

あなたが旅立った日

あなたは私から去ったわけではない

あなたは私を「孤児」にした

あなたが旅立って行ってしまってから

私はひとりの「孤児」...

あなたが私から去って行ってしまってから...

 

(daniel-b=フランス専門)