「初期の総決算」とも言える、1961年10月のオランピア劇場公演の「ライヴ録音」からです。

 

当初、ドイツ出身の有名な女性歌手、マレ-ネ・ディートリヒ(1901-92)が出演の予定となっていましたが、「急病」(どうやら、「仮病」らしい...)のため、「代役」として、急きょ呼ばれたのがブレルでした。

 

オランピア劇場の、「看板スター」(いわゆる「真打ち」)として行なう公演はこれが「初めて」でしたが、見事に「大成功」を収め、当時の「ye-ye(イエイエ)」(「アメリカナイズ」された音楽)ブームへ、一石を投じる結果ともなりました。

 

この曲、「les bourgeois "ブルジョワの嘆き"」(1961-62)は、このステージにて発表された作品のひとつです。

 

 

こちらは、翌1962年3月23日放送の、「テレビリサイタル」(オランダ)からの映像です。

 

この頃にはすでに、「バークレー社」へ移籍していて、その「第1回録音」(後述)も終えたばかりの頃でした。

 

 

 

こちらの映像は、1964年5月30日、(*)オランダ「Bergen ベルヘン(ベルゲン)」でのライヴ映像からです。

 

 

(*)こちらのライヴ映像は、これまで、ベルギー南部の都市、「モンス(オランダ語名で「ベルゲン」)」でのものとしてきましたが、「最新の情報」により、「オランダ・北ホラント州」(「アムステルダム首都圏」とも言い得ます)の都市ベルヘン(ベルゲン)にある、「Het Huis Met De Pilaren」という「レストラン」でのライヴということが分かりました。なので、「訂正」をしておきたいと思います。

 

 

なお、このライヴ映像を収録しているDVD(CDとの「セット」)は、「ブレル財団公式サイト」(後述のリンク)にて、購入が可能です。

 

 

参考記事(オランダ語)

 

 

この曲は、1964年10月のオランピア劇場公演でも歌われました。

 

 

こちらが「オリジナル(スタジオ)録音」です(1962年3月9日録音)。

「バークレー社」での、移籍「第1弾」アルバムの、その「第1曲目」となります。

 

 

(*上掲の「ジャケット写真」は、「オランピアライヴ1961」のもので、この「スタジオ録音」が収録されているアルバムとは異なります)

 

 

ブレルは、この曲を「オランダ語」でも録音しています(1965年2月12日録音。「オランダ語詞」は、アムステルダム出身の作家、詩人で、「翻訳家」でもある、エルンスト・ヴァン・アルテナの手によるものです)。

 

 

 

以下は「ライヴ盤」(1961年、または1964年のオランピア劇場公演の録音盤)。

 

 

 

 

こちらが、「スタジオ盤」となります。

 

 

「日本盤」のベストにも収録されています。

 

こちらはもうかなり「古い」商品で、「入手」出来るかどうかは「運次第」ですが、「歌詞対訳」、「日本語解説」は大変「貴重」です(「2枚組」)。

 

 

こちらは、最新の「大全集」です。

 

 

以下は、「過去」の「大全集」(現在では、「コレクターズ・アイテム」です)。

 

 

 

 

こちらは「全歌詞集」となります(書籍)。

 

 

 

「公式サイト」

「ブレル財団」は、昨年(2021年)、「創立40周年」を迎えました。

 

これまでの記事

 

 

 

さて、みなさま...。

 

 

「死語の世界」へようこそ...(笑)。

 

 

というのは「冗談」ですが、「21世紀」の現在となっては、「ブルジョワ」という言葉を耳にすることは、確かに、ほとんどなくなりましたよね。

 

 

もはや、「歴史書にしか登場しない言葉」として、「古語」のような扱いですから、「死語」と言っても過言ではないような感じもしますが、1950年代から60年代にかけて、特に、ジャック・ブレル(1929-78)は、「使っていた言葉」でもありました。

 

 

「自身以外」が歌う歌でも、たとえばこのように...。

 

 

4月12日付けの記事で紹介した、「女性版ジャック・ブレル」、マルティーヌ・ボージュー(1949-90)が歌った、「he! M'man "ねえ、ママ"」(1966-67)...。

 

 

仕方ない、あのブルジョワたちが...

いいえ、もう、ブルジョワなんていない

ママ、いるのは俗物な女たちだけ...

 

 

この曲についての記事(「歌詞対訳」も載せています)

 

 

 

「ブルジョワ」と言う言葉は、現在では、「セレブ」に置き換わっているとする意見もありますが、「セレブ」というのは、「celebrity」のことで、もともとの意味は、「著名人」のことです。

 

それが、「著名人=金持ち」のようにもとらえられるようになり、さらに日本では、「成金」の意味でも使われるため、この、「セレブ」という言葉の持つ「イメージ」自体も、「低下(悪化)」しているように思われます。

 

 

「ブルジョワ」は、英語では「middle class」と言い、「中産階級(中流)」のことで、いわゆる「大金持ち」と言うよりは「小金持ち」。

 

 

「蔑称」(「差別語」)という意味合いもあります...。

 

 

(日本では、「一億総中流」という意識も根強いですが...)

 

 

そのため、「富裕層」という意味以外に、「俗物」といったニュアンスも加わり、「ブルジョワ」を「セレブ」で言い換える向きも確かに「多い」のです。

 

 

ブレルは、「ダンボール工場」の経営者の子、つまり、「資産家の息子」として生まれたため、インタビューにおいても、ことあるごとに、「ブルジョワ」という言葉を口にしていました。

 

 

「ブルジョワはいるが、そのみんながブルジョワ(俗物)というわけではない...

 

ブルジョワとは...

 

それは "物質主義" で、夢や美について考えが及ばず

 

常に安全と平凡を求める

 

私は、それが嫌いだ

 

そのような、人を老けさせる考え方が...」

 

 

(RTBF制作のテレビ番組、「BREL UN CRI」より)

 

 

 

「資産家の息子」として「安全に暮らす」よりも、「冒険」を求めたブレルは、「青年組織フランシュ・コルデ」に参加したり、「歌手」を目指して、単身、パリに赴いたり、「人気絶頂のさなか」に、突然、「ステージからの引退」を発表したり、がん手術後の「晩年」には、画家ゴーギャン(1848-1903)も愛した「南太平洋の島」に「移住」したり...と、まさに、「冒険、また冒険」の一生涯だったと言えると思います。

 

 

そうしたところから、自身の書く「詞」にも、「反既成主義(アンチ・コンフォルミスム)」といった「特色」が出ていたわけですが、この考え方は、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)とも「共通」しており、そのこともあって、「親友」ともなり得たのです...。

 

 

 

さて、今回の作品、「les bourgeois "ブルジョワの嘆き"」(1961-62)の「曲」を書いたのは、アコーディオニストのジャン・コルティ(1929-2015)。

 

 

イタリア、ベルガモ県アルメ(ミラノの北東45km)の出身ですが、主にフランスで活躍し、1990年代には、ロックバンド「Tetes Raides(テート・レード)」の「メンバー」としても知られ、2000年代には、「70代」ながらも、精力的に「ソロアルバム」を発表していました。

 

 

1960年にブレルと知り合い、「メンバー」として加わったジャン・コルティは、1965年のアルバム、「ces gens-la "あの人たち"」までアコーディオニストを務めましたが、その後、外れました。

 

 

ジャン・コルティが、「単独」で曲を書いた作品は、この「les bourgeois "ブルジョワの嘆き"」の1曲のみにとどまりましたが、ブレルや、ピアニストのジェラール・ジュアネスト(1933-2018, 「5月16日」が「命日」)との「共作」では、「Madeleine "マドレーヌ"」(1961-62)、「les vieux "老夫婦"」(1963)、「les toros "闘牛"」(1963)、また、「Titine "ティティーヌ"」(1964)(「現時点」では「未紹介」)といった作品があります。

 

 

 

コルティ自身も参加している、1963年7月23日、ベルギー・クノック(・ヘイスト)のカジノでのライヴから、「les vieux "老夫婦"」をどうぞ。

 

こちらは、最新の「HDリマスター」による映像で、これを用いて、ついに、「Blu-ray」も発売されました。

 

 

続いて、1965年4月28日、ベルギーにて放送された「テレビライヴ」から、「Madeleine "マドレーヌ"」。

 

「終曲の定番」らしく、ここでも「終曲」となっていました。

 

ジャン・コルティも、もちろん「参加」しています。

 

 

 

今回の曲、「les bourgeois "ブルジョワの嘆き"」は、上掲の「Madeleine "マドレーヌ"」などと一緒に、「フィリップス社」での「最後の年」である1961年に、「オランピア劇場公演」で発表された「新作」のため、その「ライヴ録音」は、「フィリップス社」が権利を持ち、発売していました。

 

 

しかし、翌1962年、「移籍」した「バークレー社」にて、「新作」として「スタジオ録音」が行なわれたため、「ライヴはフィリップス」(1961)、「スタジオはバークレー」(1962)と、「2社」にまたがる作品ともなりました。

 

 

その後、「販売会社」も「統一」されましたが(「ポリグラム」、次いで「ユニヴァーサル」)、「フィリップス社」が「音楽部門」から「撤退」したこともあり、「レーベル」としては「消滅」し、「現在」では、「バークレー」に「統一」されています(そのため、記事中では、「旧フィリップス時代」などと表現しています)。

 

 

 

この「les bourgeois "ブルジョワの嘆き"」で歌われているのは、「無自覚な意識のあり方」だと言えます。

 

 

「若い頃」は「理想」に燃え、「批判精神」、「反逆精神」をもって、「古い社会のあり方に物申す!!」と意気込んでいた自分たちも、時が経つにつれ、心は「落ち着き」、「大人の余裕」、「社会の一員という言葉」をもって、いわゆる「丸くなる」ということにもなるわけですが、同時に、「経済力」、「分別」が「つく」ということは、「さらに下の世代」から見れば、「まるで豚のようだ」ということに...。

 

 

つまり、過去には、「上の世代」を「批判」して、「罵倒」していた立場だったのに、いつの間にか、「自分たち」が、「同じ言葉」で、そうした「攻(口)撃」を「受ける立場」になってしまっている...。

 

 

そんな、「皮肉」ながらも、何とも「知的」な、「お笑いコント」のようなこの作品...。

 

 

その「オチ」も、なかなか「秀逸」だと言えると思います。

 

 

 

「カバー」としては、ブレルの死後「すぐ」の1979年に発表された、セルジュ・ラマ(1943-)によるこの「名唱」を挙げておきましょう。

 

「ブレルの後継者」とも呼ばれたラマでしたが、当時は、「ブレル神格化」のあおりも喰らって、このレコードは、あまり「好意的な評価」にはなりませんでした。

 

「カバー」が「一般的」となった「現在」こそ、「再評価」されるべきでしょう。

 

 

「オリジナル」の音源(1968年)が見当たらないのが、何とも「残念」ではありますが、「熱狂的なブレル信者」であった、アメリカ出身のモート・シューマン(1938-91)らによる「ブロードウェイ・ミュージカル」、「Jacques Brel is Alive and Well and Living in Paris(ジャック・ブレルは生きていて、元気で、パリで生活している)」の、その1曲ともなっています(「英語版」)。

 

こちらは、2006年の「再演版」の音源からです。

 

 

 

以下に、「les bourgeois "ブルジョワの嘆き"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

「死語の世界」ついでで「恐縮」ですが(日本の「伝統芸能」の分野では「現用」のこともありますが...)、「アナログ盤」の時代には、「ライヴ録音」のことを「実況録音盤」と呼んでいたり、「観客」のことを「聴衆」と呼んでいたりもしましたね。

 

「新しい時代」の解説者は、次第に、「新しい表現」に変えてもいましたが、「古くからの解説者」の方は、「そのまま」であったりもしました。

 

それらの「解説」に「慣れてしまう」と、「現在」でも、つい、口をついて出てしまいそうにもなりますが、やはり「一時代」、いや、「二時代」くらい「前」の表現ですね...。

 

 

間違っても、「ナウい! イマい!」、「ナウなヤングにバカウケの...」とか、「チョベリバ!!」、「ジュクとかブクロのちゃんねー」とか、「ザギンでグーフー」、「シースーをベーター」なんて、口が裂けても言えません...(どこの「不良オヤジ」や...笑)。

 

 

ありがとうございました。

 

 

それではまた...。

 

 

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les bourgeois  ブルジョワの嘆き

 

le coeur bien au chaud

les yeux dans la biere

chez la grosse Adrienne de Montalant*

avec l'ami Jojo

et avec l'ami Pierre

on allait boire nos vingt ans

Jojo se prenait pour Voltaire

et Pierre pour Casanova

et moi moi qui etais le plus fier

moi je me prenais pour moi

et quand vers minuit passaient les notaires

qui sortaient de l'hotel des "Trois Faisans"

on leur montrait notre cul et nos bonnes manieres

en leur chantant

 

心は熱いままに

視線はビールに

モンタランの太ったアドリエンヌの店へ*

友だちのジョジョと

それからピエールと

俺たちの20歳を飲みに行ったものだ

ジョジョはヴォルテールを気取り

ピエールはカザノヴァ

そして俺は...俺はと言えば 一番偉そうに

俺は、俺自身を気取っていたんだ

真夜中頃、公証人どもが、ホテル「トロワ・フザン」から出て来て

通りがかったので

俺たちは、「礼儀正しく」とばかりに、奴らに尻を向けてやった

こう歌いながら

 

les bourgeois c'est comme les cochons

plus ca devient vieux plus ca devient bete

les bourgeois c'est comme les cochons

plus ca devient vieux plus ca devient...

 

「ブルジョワなんて、まるで豚のようだ

歳を取れば取るほどバカになっていく

ブルジョワなんて、まるで豚のようだ

歳を取れば取るほど...」

 

le coeur bien au chaud

les yeux dans la biere

chez la grosse Adrienne de Montalent*

avec l'ami Jojo

et avec l'ami Pierre

on allait bruler nos vingt ans

Voltaire dansait comme un vicaire

et Casanova n'osait pas

et moi moi qui restais le plus fier

moi j'etais presque aussi saoul que moi

et quand vers minuit passaient les notaires

qui sortaient de l'hotel des "Trois Faisans"

on leur montrait notre cul et nos bonnes manieres

en leur chantant

 

心は熱いままに

視線はビールに

モンタランの太ったアドリエンヌの店へ*

友だちのジョジョと

それからピエールと

俺たちの20歳を燃やしに行ったものだ

ヴォルテールは助任司祭のように踊っていたが

カザノヴァは踊らなかった

そして俺は...俺はと言えば、一番偉そうなまま

そのくらい、べろんべろんに酔っぱらっていた

真夜中頃、公証人どもが、ホテル「トロワ・フザン」から出て来て

通りがかったので

俺たちは、「礼儀正しく」とばかりに、奴らに尻を向けてやった

こう歌いながら

 

les bourgeois c'est comme les cochons

plus ca devient vieux plus ca devient bete

les bourgeois c'est comme les cochons

plus ca devient vieux plus ca devient...

 

「ブルジョワなんて、まるで豚のようだ

歳を取れば取るほどバカになっていく

ブルジョワなんて、まるで豚のようだ

歳を取れば取るほど...」

 

le coeur au repos 

les yeux bien sur terre

au bar de l'hotel des "Trois Faisans"

avec maitre Jojo

et avec maitre Pierre

entre notaires on passe le temps

Jojo parle de Voltaire

et Pierre de Casanova

et moi moi moi qui suis reste le plus fier

moi moi je parle encore de moi

et c'est en sortant vers minuit Monsieur le Commissaire

que tous les soirs de chez la Montalant

de jeunes "peigne-culs" nous montrent leur derriere

en nous chantant

 

心は穏やかに

目は地を見据え

ホテル「トロワ・フザン」のバーにて

ジョジョ先生と

それからピエール先生と

公証人同士、時を過ごす

ジョジョはヴォルテールについて話し

ピエールはカザノヴァについて話す

そして俺は...俺はと言えば、相も変わらず、一番偉そうなまま

またまた自分のことを話している

ところが警察署長さん 毎晩、真夜中頃に、ここから出て行くと

モンタランの店から「文無し(ろくでなし)」の若造どもも出て来て

俺たちに尻を向けて

こう歌ってるんです...

 

les bourgeois c'est comme les cochons

plus ca devient vieux plus ca devient bete

disent-ils Monsieur le Commissaire

les bourgeois 

plus ca devient vieux et plus ca devient...

 

「ブルジョワなんて、まるで豚のようだ

歳を取れば取るほどバカになっていく」

と、これですよ 署長さん...

「ブルジョワなんて

歳を取れば取るほど...」

 

 

*訳注:「chez la grosse Adrienne de Montalent(モンタランの太ったアドリエンヌの店)」

 

1950年代に、ベルギーのムスクロン(ムクロン/蘭:ムスクルン)という街にあった、女性の経営していたカフェのことを指していますが、「正式」には、街なかの「モンタルー」という地区にありました。

 

この詞の中では、「韻」を踏みやすくするため、「モンタラン」としているということです。

 

なお、2010年10月の、街の「祭り」の際には、巨大な「アドリエンヌの像」も「登場」しました。

 

 

(daniel-b=フランス専門)