1990年3月、パリ、モガドール劇場公演のライヴ録音からです。

 

この年の秋には「日本公演」も行なわれましたが、これが、「最後の来日」となりました...。

 

 

1993年12月の、2度目の「シャトレ劇場」は、「病(呼吸器疾患)」を押しての「壮絶」な公演となり、このライヴ録音(12月10~12日)の直後に「入院」となったため、以降の公演は、すべて、「キャンセル」となってしまいました。

 

「年明け」から再び「ツアー」を行なったバルバラでしたが、「3月26日」のトゥールが、「生涯最後の公演」となりました。

 

より、「ブルース」的なテイストが強まったとも感じられる歌ですが、残念ながら、「日本」での発売は、「ストップ」してしまいました...。

 

 

この曲には「スタジオ録音」も存在しますが(1980年11~12月録音)、その音源は、残念ながら、「動画サイト」にはアップされていません。

 

こちらは、その音源も含めた「全集」ですが、いわゆる「文庫版」となります。

 

 

こちらは、最新の「大全集」です。

 

 

1981年11月の「イポドローム・ド・パンタン」(「再開発」された「現在」では、この場所に、「ゼニット・パリ」があります)での公演でも歌われていますが、「CD」のみの収録で、「DVD」には収録されていません。

 

 

 

 

これまでの記事

 

 

(参考)こちらは、私が「参考」としている「ファンサイト」です。

http://www.passion-barbara.net/

 

 

 

さて、「11月24日」は、フランスを代表する「偉大な女性歌手」、バルバラ(1930-97, 本名モニック・セール)の「命日」です(元「KARA」、ク・ハラさんの「命日」でもありますね...あれからもう「2年」...)。

 

 

昨年は、「生誕90周年」という、「記念の年」にも当たっており、「来年」にはまた、「没後25周年」ともなるバルバラですが、やはり、「数奇な運命の持ち主」であったとも、言うことが出来ると思います。

 

 

その、「波乱に満ちた生涯」は、ここに「簡単」に記せるものではありませんが、少なくとも、今回紹介する「この曲」は、それを「物語っている」とも言えるでしょう。

 

 

「関連」する「文献」として、「未完」に終わった、その「自伝」があります...。

 

 

「日本語訳」も「出版」されています...。

 

 

(参考)「リベラシオン紙」の記事(フランス語)

 

 

 

今回の曲、「Monsieur Victor "ムッシュー・ヴィクトール"」(1980-81)は、バルバラ自身が若かった頃の、「実際にあった出来事」が歌われているものです。

 

 

1990年9月、「最後の来日」時に、日本の新聞社のインタビューに、バルバラは、次のように答えています。

 

 

「私は、自分の身に起こったことしか歌いません。

社会的な事件を歌ったものもありますが、それは、私の"心"が体験したことで、すべてが"実話"なのです。

音楽家でなければ、私は、"ルポ作家"になってたでしょう...」

 

 

その「40年前」、1950年2月、バルバラは、「ブリュッセル」を目指していました。

 

 

その前の年に、「父親」(後の名曲、「Nantes "ナントに雨が降る"」で歌われている父、「その人」です)が突然家を去った後、その「レンタル料」が支払えなくなったため、家にあったピアノが「回収」されてしまったのです...。

 

 

「絶望」の末、バルバラ自身も家を出て、従兄弟のいる「ブリュッセル」に向かうことになりましたが、その彼も、次第に「暴力的」になっていったため、「2ヶ月後」のある日、「逃げ出した」ということです。

 

 

ブリュッセルに、「歌うためにやって来た」バルバラには、「挫折したままパリには戻りたくない」という想いがやはりありました。

 

 

しかしそのころ、「苦しい生活」ながらも、「手を差し延べてくれる人々」も何人か現われたことは、まったくの「奇跡」だったとしか言いようがありません(バルバラ自身は、「成り行きに任せる」ことを嫌い、「もうこれ以上、彼らに甘えたくなかった」とも言っています...)。

 

 

そんな「不思議な強運」に守られるように、ついに「パリ」へ戻ろうとした際(1951年6月、または5月)にも、「救いの手」が差し出されたのです...。

 

 

そう、それが、今回の曲で歌われている、「ムッシュー・ヴィクトール」、「その人」なのです!!

 

 

上掲の「未完の自伝」にも、まさに「その通り」に書かれていますが、「何の準備もせず、何も考えず」に、「着の身着のまま」歩き始めたバルバラは、「国境」を目指していました。

 

 

現在のような、「(EU内の)加盟国」間を「自由」に往来出来る「シェンゲン協定」がまだ「なかった」頃(注:「ベネルクス3国」間では、1948年に、すでに「発効」していました)、「フランス」へ入るための「身分証(パスポート)」を、ホテルに置いたまま「飛び出して」来たバルバラは、話に聞いていた、「密入国が可能な小道」を目指してもいたのです...。

 

 

「そこ」に現われたのが、「ムッシュー・ヴィクトール」(おそらく「仮名」)の運転する、「黒いクライスラー」でした。

 

 

「乗りな、国境なんか、オレが通してやる!」

 

 

言われるままに、バルバラは車に乗り込みましたが、やはり「不安はあった」ということです。

 

 

しかしムッシュー・ヴィクトールは、「頻繁」にこの道を往来していて、国境の係員とも「顔見知り」なのか、「通過」も、実に「スムーズ」でした。

 

 

バルバラは、その後、レストランで彼に食べさせてもらった料理の味を、「いまでも忘れていない...」と、上掲の、その「自伝」に書いています...。

 

 

 

そして実は、「近年」になって、ようやく明かされた「秘話」のようですが、何とバルバラは、ブリュッセルにて、当時すでに、ジャック・ブレル(1929-78)とも「知り合っていた」ということです!! (2012年に発表された「ドキュメンタリー」からのようですが、これは「ビックリ」!! )

 

 

ブレルとの、「最初の接点(時期)」が「謎」のままでもあったバルバラですが、やはり、「ブリュッセル」ということで、その当時に、もうすでに「出会い」があったわけですね...。

 

 

「当時のブレル」(1950年)と言えば、カトリック人道主義の青年組織、「フランシュ・コルデ」にて知り合った、テレーズ・ミシェルセン(1926-2020)(「ミッシュ」=昨年3月31日に逝去)と「6月」に結婚していますが、ブリュッセルの「イロ・サクレ地区」のキャバレーにて、「ジャック・ベレル(Berel)」という「変名」で歌っていた頃でもありました(有名なダンボール会社の「工場長(社長)」である父親が、「ブレルの名を出す」ことを嫌っていたため)。

 

 

ともに、「歌手として成功したい」という、「同じ目的」を持つ者同士でもあったため、すぐに「意気投合」したようでもありますが、すでに「自作」のみで勝負していたブレルは、その後、バルバラに、「自分で曲を作ってみては?」と、アドバイスを送ったそうです。

 

 

1971年には、自身が「監督/脚本/主演/音楽」を務めた映画、「わが友フランツ~海辺のふたり~」(原題「Franz」)の「相手役」としてバルバラを選んだブレル...。

 

その時の「役名」である、「レオニ」を用いて、1990年のモガドール劇場での公演、そして、その年の「日本公演」でも披露された新曲、「Gauguin "ゴーギャン"」には、後に、「ブレルへの手紙」という「副題」も付けられ、その「想い」を、明確に「表明」もしたバルバラ...。

 

 

この、「二人の伝説」の「始まり」は、ともに「最初期」の頃、すでに「あった」のです!!

 

 

(参考)「Gauguin (lettre a Jacques Brel) "ゴーギャン(ブレルへの手紙)"」(1990年の「モガドール劇場公演」より)。

 

 

この曲の記事(「歌詞対訳」を載せています)

 

参考記事(フランス語)

 

 

 

次のような「舞台公演」も行なわれました(カナダ・モントリオール)。

 

 

「公式サイト」(フランス語)

 

「ラジオ・カナダ」による記事(11月4日付け)。

 

 

そんな「ブレル」とのエピソードは、実は、上掲の「未完の自伝」には、ほとんど書かれてはいません。

 

おそらく、「大変重要なこと」だと思っていたので、「後で書く」ことにしたのではないかと考えられますが、もしそうなら、「全体的」に、かなり「壮大」な内容になっていたのではないかと思います...。

 

 

(「エピソード」はやや「前後」しているところもあって、本当に、「断章」という印象も受けますが...)

 

 

 

今回の曲の「カバー」では、こちらを見つけました。

 

 

女性歌手、その名も「バルバリ」によるこのアルバムは、「2017年」(バルバラの「没後20周年」)の発売です。

 

こちらは、この曲が歌われた、舞台「Barbara, le noir couleur lumiere(バルバラ 黒い色の光)」(2017年10月)の「プロモーションビデオ」だということです。

 

 

 

 

 

 

バルバラは、より「大衆的な支持」を受けるようになった「1980年代」以降、「幻想作家」としての一面も、さらに「色濃く」感じられるようになって来ました...。

 

 

やはり1990年のモガドール劇場公演にて発表された新曲、「vol de nuit "夜間飛行"」も、そうした1曲です。

 

 

「モガドール劇場」と言えば、その「6年後」に、「最後のスタジオアルバム」でも歌われることとなったこの曲、「les enfants de novembre "11月の子どもたち"」が「発表」された公演でもあります。

 

 

1986年11月、学生たちの「権利要求」のデモの際、一人の「マグレブ人」が、警察の手によって「殺された」ことを受け、フランス全土から学生たちがパリに集まり、「(非暴力による)抗議活動」を繰り広げました。

 

「警察」はその後、ついに、「その非」を認めざるを得なくなりました。

 

この作品は、その「出来事」を歌ったものです...。

 

 

「みんなは一人のために」と、「三銃士」の精神も感じられる作品です。

 

 

(参考)詳細な解説(フランス語)

 

 

しかしやはり、「11月」と言えば、「こちらの曲」の方が「親しみやすい」かと思います...。

 

 

「il automne "秋になります"」(1978-81)。

 

 

こちらも「11月のパリ」を歌ったもので、「11月の子どもたち」という言葉も出て来ますが、まったく意味合いは違います。

 

 

(「11月半ばのパリ」って、もう、「冬」なのでは? という感じも少ししますけれどもね...)

 

 

この曲の記事(「歌詞対訳」を載せています)

 

 

「11月」と言えば、1981年11月21日、「イポドロ-ム・ド・パンタン」(もともとは、「サーカス団」の使う、「大テント劇場」)での公演の「最終日」に歌われた、その名も「Pantin "パンタン"」という、「名曲」もあるのですが、「動画サイト」に「音源」がないため、「記事」が書けないまま、「現在」に至っています...。

 

 

ちょっと、「今回の曲」からは「離れる」お話にもなってしまいましたが、まあ、「11月」ということで...。

 

 

以下に、「Monsieur Victor "ムッシュー・ヴィクトール"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

今回の訳詞は、一部、「細かい修正」はありますが、当時の「日本盤」(アナログ)に掲載の、鳥取絹子さんのものを、「そのまま」お借りしています(「名訳」です!!)。

 

 

それではまた...。

 

 

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Monsieur Victor  ムッシュー・ヴィクトール

 

vingt kilometres avant la frontiere

j'avais tant marche

je n'en pouvais plus

je ne ramenais que la poussiere

collant a mes bottes

aux semelles usees

qu'est-ce que ca veut dire, vingt ans, si tu creves

devant un desert de portes fermees

qu'est-ce que ca veut dire si tu n'as pour reve

rien que ta folie de vouloir chanter

 

国境まであと20キロ

歩き過ぎて

くたくただった

わたしの荷物は

ブーツについたほこりだけ

かかとのすり減ったブーツ

ドアの閉まった空き家の前であなたが死んでも

20年は、どうってことはない

あなたの夢が、歌を歌いたいという

熱狂だけだとしても、どうってことはない

 

Victor, Monsieur Victor

vous aviez un drole d'air

quand vous avez stoppe

je n'avais pas confiance

pourtant, je suis montee dans votre coupe Chrysler

ce jour-la, Monsieur Victor

sur la route du nord

 

ヴィクトール、ムッシュー・ヴィクトール

あなたは面白い人だった

あなたが車を止めたとき

わたしは信じていなかった

でも、わたし、あなたのクライスラー・クーペに乗った

あのとき、ムッシュー・ヴィクトール

北の道を走りながら

 

vous n'etiez pas de ceux qui posent des questions

avec vos tatouages jusqu'aux oreilles

vous aviez l'air d'un drole de cinema

en croco-diamant, sous ce chapeau mou

vous m'avez dit: "je suis trafiquant de voitures,

on contournera la frontiere"

peur de rien, j'avais la folie de chanter

Paris etait loin, je n'en pouvais plus

 

何もわたしにきかなかった

耳まで入った入れ墨が

映画の3枚目のように

おどけた雰囲気を漂わせ

やわらかい帽子をかぶって、あなたは言った

「俺は車の取引人さ 国境を大回りしている」

何も怖くはなかった わたしはとにかく歌いたかった

でも、パリは遠く、出来なかった

 

Victor, Monsieur Victor

je me souviens encore

de cette auberge et du cafe chaud

Victor, Victor, vous aviez un coeur d'or

pour moi, ce jour-la

sur la route du nord

 

ヴィクトール、ムッシュー・ヴィクトール

わたしはまだ覚えている

あの宿と、熱いカフェ

ヴィクトール、ヴィクトール、あなたは美しい心の持ち主だった

あのとき

北の道を走りながら

 

il faisait presque nuit, j'avais beaucoup parle

Paris n'etait plus loin

j'avais le coeur serre

quand vous avez stoppe votre coupe Chrysler

Porte de la Villette, vous aviez un drole d'air

vous m'avez dit: "chanter, c'est pas un metier

pour faire l'artiste, il faut des connaissances

Victor connait la vie, tu peux lui faire confiance

laisse-moi m'occuper de toi, t'auras plus jamais faim"

 

夜になり、わたしはいっぱいしゃべった

パリも近くに感じるほど

わたしの心はパリ一色

ポルト・ド・ラ・ヴィレットで、あなたがクライスラー・クーペを止めたとき

あなたは面白い人だった

「歌? そんなの仕事じゃないさ

アーティストになるには、いっぱいものを知らなくちゃ

ヴィクトールは人生を知っている、信じていいぜ

俺と一緒になれば、ひもじい思いはさせないぜ」

 

Victor, Monsieur Victor

j'aurais dit oui peut-etre

mais j'avais en moi la folie de chanter

Victor, Monsieur Victor

vous aviez un coeur d'or

pour moi ce jour-la

sur la route du nord

 

ヴィクトール、ムッシュー・ヴィクトール

私は「はい」と言いそうだった

でも、わたしの中には、歌への熱い思いがあったの

ヴィクトール、ムッシュー・ヴィクトール

あなたは美しい心の持ち主だった

あのとき

北の道を走りながら

 

Victor, Monsieur Victor

j'ai change de decor

je chante maintenant

sur les routes de partout

pourtant Monsieur Victor

je n'ai pas oublie

ce cafe chaud

sur la route du nord

Monsieur Victor

vous aviez un coeur d'or...

 

ヴィクトール、ムッシュー・ヴィクトール

わたしは姿を変えた

そしていま、歌っている

あらゆるところで

でも、ムッシュー・ヴィクトール

わたしは忘れない

北の道を走りながら飲んだ

あの熱いカフェを

ムッシュー・ヴィクトール

あなたは美しい心の持ち主だった...

 

(daniel-b=フランス専門)