今回の記事は、「アルバムタイトル曲(通称)」でもある、「le pornographe」について書いた記事を「リブログ」して書いています。

 

こちらは、1970年代のテレビ番組の映像からです。

 

こちらは「オリジナル録音」です(1958年10月13、14日録音/同11月発売)。

 

 

こちらは、いわゆる「文庫版」の全集ですが、「オリジナル・ジャケット」を「再現」したスリーヴは大変「貴重」です

 

「初期作品」のみの「後発盤」ですが、「ライヴ録音」、「カバー」、「インタビュー」なども収録されていて、意外と、「侮れない」内容となっています。

 

 

ブラッサンスとも「つながり」のあった、偉大な女性歌手、バルバラ(1930-97)も、「最初期」に、この曲を歌っています。

 

こちらは、1959年に録音されたもので、後の「CBS(オデオン)音源」(1960)とは異なります。

 

私自身、「最初期」に聴いたバルバラの1曲であるとも言うことが出来ます。

 

 

 

 

続いて、1979年1月に発売となった、通称「Brassens en jazz "ジャズ・ブラッサンス"」というアルバムからの音源です。

 

当時、アメリカの「ジャズの巨匠」たちが、パリに集結していたこともあって「実現」した「奇跡のコラボ」ですが、ブラッサンス自身や、ベーシストのピエール・二コラ(1921-90)も、もちろん、そのまま「参加」しています。

 

女性ジャズ・ピアニスト、ドロシー・ドネガン(1922-98)の、「華麗」なソロでどうぞ。

 

 

 

 

この録音についての記事

 

 

ロック歌手ルノー(1952-)は、ブラッサンスの「没後15周年」に当たる1996年、「トリビュート・アルバム」を発表しました。彼は、幼い頃からブラッサンスに慣れ親しんでいたということで、このアルバムは、当時、大変「話題」となりました。

 

 

 

 

 

これまでの記事

 

 

さて、今年は、フランス・シャンソン界の「3大巨匠」の1人、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)の、「没後40周年/生誕100周年」という、「ダブル・アニヴァーサリー」となる「記念の年」に当たっています。

 

その「誕生日」が「10月22日」、「命日」は、そのちょうど「1週間後」という、「10月29日」で、「その頃」には、まさに「ブラッサンス・ウィーク」にもなるのですが、それに合わせて、「名曲」を、順次、紹介していきたいと思います。

 

 

今回紹介する曲は、1958年の終わりに発表された、「6枚目」のアルバム、「le pornographe "ポルノグラフィー思考"」から、「le femme d'Hector "エクトールの妻"」です。

 

 

「私たちの妻の中で、本当に素晴らしい人とは誰なのか」をテーマに歌った曲で、ブラッサンス一流の「ユーモア」が感じられる作品ですが、私自身、本当に「最初期」の頃に聴いた「ブラッサンス作品」でもあります。

 

 

1983年から、84年の、「アナログ末期」の頃でしたが、「ジョルジュ・ブラッサンス」の名を知って間もない頃、そして、「その死」からもそれほど経っていない頃だったにもかかわらず、ブラッサンスに限らず、「廃盤」で「入手不可能」というレコードが、「非常に多い」という時期のことでもありました。

 

店頭に残されていた「数枚」のレコードは、それでも、「当時の私」にとっては「貴重なお宝」そのものであり、「かけがえのない」ものでもありました。

 

このように、「量的」には、まったく「恵まれた」とは言えない状況ながらも、「質的」な面で言えば、「CD(デジタル)化」が進んだ現在でも、やはり「貴重」だと言えるものばかりでした(まさに、「神」が引き合わせてくれたとしか言いようがない...)。

 

 

その頃に、「地元のショップ」で出合ったレコードとして、「Brassens en jazz "ジャズ・ブラッサンス"」(1979年 FDX-482, フィリップス/日本フォノグラム社発売)(このレコードについては、上掲記事をご参照ください)、そして、バルバラ(1930-97)が、「最初期」に録音したアルバム、「晴衣の男/バルバラ」(1959年録音 EOS-40184, 東芝EMI社発売)がありますが、ともに、「初めて」聴いたにもかかわらず、「ベストアルバム」などといった、「一般」によく知られている内容からは、少し「外れる」ものであったことには違いありません。

 

バルバラについては、1960年「CBS(オデオン)」録音の、ブレル(1929-78)の「ne me quitte pas "行かないで"」を、先に聴いてもいますが、やはり、「最初期の録音」には変わりありません。

 

 

こうした「事情」から、今回の曲、「la femme d'Hector "エクトールの妻"」は、「歌」は、先に、「最初期のバルバラ」で聴き、ブラッサンス自身も「参加」しているレコードながら、こちらでは、「ジャズピアノ」で聴くという、何とも「変則的」な体験となったのでした。

 

それでも、「その当時」から聴き続けている曲ですから、当然、「愛着」もあります。

 

 

先述の通り、この「la femme d'Hector "エクトールの妻"」は、「私たちの妻の中で、本当に素晴らしい人とは誰なのか」を、「ユーモアたっぷり」に、しかし、「大真面目」に歌ったものです。

 

「言葉の使い方」としては、やや「古い」ものがあったり、「文学的表現」があったりすることも「ブラッサンスらしい」と思います。

 

前出のバルバラの「日本盤」には、「歌詞対訳」も掲載されていますが、原詞の一部に「誤り」もあり、現在では、「公式の歌詞集」も出版されていますので、それをもとに、従来の「日本語訳」も参照しながら訳してみました。

 

「古い曲」ゆえに、少々「差別的」ととれる表現も中には有りますが、その点は、どうかご了承ください。

 

なるべく「現代的」に、「キツクならない」表現にしてはありますが、「最終節」の終わりに出て来る「les foutriquets」だけは「NG」で、「初めて」、「完全な伏せ字(ピ~ッ笑)」にしてしまいました...(ちょっと、「およろしくない」ので...笑)。

 

 

この「la femme d'Hector "エクトールの妻"」には、「フィクション」なのか「ノンフィクション」なのか、ブラッサンスの周りの「友人たち」の名が数多く登場します。

 

 

これと「同じ手法」で書かれた作品が、もうひとつあります。

 

 

1972年のアルバムの「タイトル曲(通称)」でもある、「Fernande "フェルナンド"」がそれです。

 

 

1987年に、「新星堂(オーマガトキ)」から発売されたCDに添付の「歌詞対訳」、「解説」は、実に「普通」に書かれてはいますが、この曲、実は、「戯れ歌」として「広まった」ということだそうです...。

 

(「フェルナンド」を「男性の名」と解釈しているところが、そもそもの間違い...。

「男性名」ならば、「Fernand "フェルナン"」で、ブレルの曲のタイトルにもありましたね。

ルフランに登場する人物名はすべて「女性」で、それで「ムラムラする」と言ったら...)

 

 

また、同じアルバムに収録されている作品としては、「この曲」もそうです。

 

「mourir pour des idees "信条(思想)のために死す"」。

 

 

「両曲」とも、この「日本盤CD」に収録されてはいますが、現在も手に入るかどうかは、「運次第」です...。

 

 

「9.11」関連で書いた次の記事に、この「mourir pour des idees "信条(思想)のために死す"」もあわせて掲載し、「歌詞対訳」も載せています。

 

どうぞ、こちらもご覧ください...。

 

 

最後に、今回の曲、「la femme d'Hector "エクトールの妻"」が収録されているアルバムの、その「タイトル曲」、「le pornographe "ポルノグラフィー思考"」(1958)もあわせて載せておきましょう。

 

今回の記事は、この曲について書いた記事の「リブログ」となっています。

 

 

 

それでは以下に、「la femme d'Hector "エクトールの妻"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

バルバラが歌っている歌詞は、「女性側」からの視点ですので、「私たち」が、「あなた方」という風に「変更」されています。

 

フランスでは、こうした「変更」は珍しくはなく、ごく「一般的」に行なわれています(「la vie en rose "バラ色の人生"」でも、ピアフとモンタンとでは違っていますよね)。

 

 

なお、バルバラは、(*)の部分は歌っていません。

 

 

それではまた...。

 

 

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la femme d'Hector  エクトールの妻

 

en notre tour de Babel

laquelle est la plus bell',

la plus aimable parmi

les femm's de nos amis?

laquelle est notre vrai' nounou,

la p'tit' soeur des pauvres de nous,

dans le guignon toujours presente

quelle est cette fe' bienfaisante?

 

私たちのバベルの塔の中で

誰が一番美しいのだろう

私たちの友人たちの妻の中で

誰が一番親切なのだろう

本当の「おふくろさん」って誰?

かわいそうな私たちの妹とは

不運の中でもいつも居合わせる

この、情け深い仙女って誰?

 

(refrain)

c'est pas la femm' de Bertrand,

pas la femm' de Gontran,

pas la femm' de Pamphile,

c'est pas la femm' de Firmin,

pas la femm' de Germain,

ni cell' de Benjamin,

c'est pas la femm' d'Honore,

ni cell' de Desire,

ni cell' de Theophile,

encore moins la femme de Nestor,

non, c'est la femme d'Hector!

 

(ルフラン)

それは、ベルトランの妻ではないし

ゴントランの妻でもない

パンフィルの妻でもない

それは、フィルマンの妻ではないし

ジェルマンの妻でもないし

バンジャマンの妻でもない

それは、オノレの妻ではないし

デジレの妻でもないし

テオフィルの妻でもない

もちろん、ネストールの妻でもない

そう、それは、エクトールの妻だ!

 

(*)comme nous dansons devant

le buffet bien souvent,

on a toujours peu ou prou

les bas cribles de trous...

qui racommode ces malheurs

de fils de toutes les couleurs,

qui brode, divine cousette,

des arc-en-ciel a nos chaussettes?

(au refrain)

 

(*)私たちはしばしば

食べるものがないので

多かれ少なかれ

靴下も穴だらけ...

すべての色の糸で

この不幸を繕うのは誰?

まさに神業の刺繍で

私たちの靴下に虹をかけるのは誰?

(ルフランへ)

 

quand on nous prend la main,

sacre Bon Dieu, dans un sac,

et qu'on nous envoi' planter

des choux a la Sante,

quelle est cell' qui, prenant model',

sur les vertus des chiens fidel's,

reste a l'arret devant la porte

en attendant qu'on en ressorte?

(au refrain)

 

人が私たちの手を取り

かばんの中に、聖なる神を見出したとき

そして、サンテ(刑務所)の私たちのもとへ

キャベツを送り届けるとき

誰が手本となるのだろう

忠犬のように

門の前で立ち止まり

私たちが出て来るのを待つのは

(ルフランへ)

 

et quand l'un d'entre nous meurt,

qu'on nous met en demeur'

de debarrasser l'hotel

de ses restes mortels,

quelle est cell' qui r'mu' tout Paris

pour qu'on lui fasse, au plus bas prix,

des funerailles gigantesques,

pas nationales, non, mais presque?

(au refrain)

 

私たちの誰かが死に

その遺骸とともに

引き払うよう

求められているとき

彼のために、とても安く

巨大な葬式を出して

パリ中を感動させるのは誰か

国葬ではないにしても、それに近いほどの

(ルフランへ)

 

et quand vient le moi de mai,

le joli temps d'aimer,

que, sans echo, dans les cours,

nous hurlons a l'amour,

quelle est cell' qui nous plaint beaucoup,

quelle est cell' qui nous saute au cou,

qui nous dispense sa tendresse,

tout's ses economi's d'caresses?

(au refrain)

 

そして5月がやって来たとき

恋愛するのにふさわしい、美しい季節がやって来たとき

こだますらしない中庭で

私たちは愛を叫ぶ

そんな私たちを憐れむ人は誰?

私たちの首に飛びついてくるのは誰?

限りなく優しく

その愛撫を惜しまないのは誰?

(ルフランへ)

 

ne jettons pas les morceaux

de nos coeurs aux pourceaux,

perdons pas notre latin

au profit des pantins,

chantons pas la langue des dieux

pour les balourds, les fess'-mathieux

les paltoquets ni les bobeches,

les foutriquets ni les pimbeches,

 

心のかけらを

豚たちに投げ与えてはいけない

「操り人形」のために

ラテン語を忘れてはいけない

神々の言葉で歌ってはいけない

愚鈍な者や、ケチな者のために

キザな奴、すぐ頭に来る奴

××××や、「お高い」女性 そうでない人は?

 

ni pour la femm' de Bertrand,

pour la femm' de Gontran,

pour la femm' de Pamphile,

ni pour la femm' de Firmin,

pour la femm' de Germain,

pour cell' de Benjamin,

ni pour la femm' d'Honore,

la femm' de Desire,

la femm' de Theophile,

encore moins pour la femm' de Nestor,

mais pour la femm' d'Hector!

 

それは、ベルトランの妻ではないし

ゴントランの妻でもない

パンフィルの妻でもない

それは、フィルマンの妻ではないし

ジェルマンの妻でもないし

バンジャマンの妻でもない

それは、オノレの妻ではないし

デジレの妻でもないし

テオフィルの妻でもない

もちろん、ネストールの妻でもない

そう、それは、エクトールの妻だ!

 

(daniel-b=フランス専門)