私が「イチ押し」したい「名演奏」がこちら。

 

ハンガリー出身の偉大な「マエストロ」、ジョージ・セル(1897-1970)が、手兵のクリーヴランド管弦楽団を指揮した1961年の録音ですが、「第8」と言えば、「真っ先」にこれが思い浮かぶくらい、「基準」としている演奏です。

 

「世界最高のアンサンブル」と称されたほど、セルは、その「厳しい練習」でも知られましたが、「人情味」を感じさせるエピソードもまた、残っています。

 

下に挙げている、「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-89)も、セルを非常に「尊敬」していましたが、並び立つと、「緊張」のあまり、「言葉が出なかった」というほどです。

 

「最晩年」(1970年)には、「日本万国博覧会」関連事業として、クリーヴランド管とともに「来日公演」を行ないましたが、帰国後すぐ、「病気」のため、「急逝」しました。

 

 

 

「音を磨き上げる」という点で、「他の追随」を許さなかった、「マエストロ」、ヘルベルト・フォン・カラヤン。

 

そういった意味では、やはり、ジョージ・セルの「影響」も受けているのでしょうか。

 

こちらも、「手兵」、ベルリン・フィルを指揮しての「名演奏」です。

 

こちらのBlu-rayは、「12月23日」発売予定です。

 

 

「オーストリア音楽総監督」とも呼ばれた偉大なマエストロ、カール・べーム(1894-1981)指揮、ウィーン・フィルの名演奏(1972年9月)でもお聴きください。

 

 

こちらの「全集」は、「SACD」によるものです。

 

 

テーマが「ベートーヴェン」のこれまでの記事

 

こんなサイトも見つけました...。

 

 

さて、今年は、「楽聖」ベートーヴェン(1770-1827)の「生誕250周年」に当たります。

 

そして、「12月16日」は、事実上の「誕生日」であり、「翌17日」に、「洗礼」を受けています。

 

 

今回は、この曲で行ってみましょう...(本当は、「秋頃」に聴いた方が、「ハマる」曲ではあったのですが...)。

 

 

「交響曲第8番 へ長調 op.93」。

 

 

1812年に完成し、1814年2月27日に「初演」された作品です。

 

 

「先」に仕上がり、すでに「初演」もされて、「高い評価」も受けていた「交響曲第7番 イ長調 op.92」(1811-12)とともに演奏されたのですが、「観客」からの「反応」は「いまひとつ」で、「第7番」の方にだけ人気が「集中」したことに、ベートーヴェン自身も大いに「不満」のようでした。

 

そこで、次のように「コメント」したということです。

 

 

「この曲(「第8番」)が理解出来ないのは、この曲が、あまりにも"優れている"からだ!!」...

 

 

この「第8番」は、「現在でも不人気」という見方もありますが、果たして、本当に「そんな作品」なのでしょうか?

 

 

私自身は、それほどの「重苦しさ」を感じさせない、「軽やか」で「愛らしい」、この「第8番」がとても「大好き」なのですが、当時は、規模も「小さく」、それまでの作品と比べても、「精神性の深みが感じられない」などといった理由から、「創作力の"減退"を示すもの」とまで「酷評」されたようです。

 

 

ベートーヴェンの「交響曲」は、よく、「奇数番」は「男性的」、「偶数番」は「女性的」と言われることがあります。

 

「中期以降」には、例えば、この「第7番」、「第8番」の他にも、先立つ「第5番 ハ短調 op.67 (「運命」)」、「第6番 へ長調 op.68 "田園"」(ともに、1808年)のように、2曲が「セット」で書かれるケースが「目立つ」ようにもなって来ますが、そのことにより、「バランス」を取っていたのではないかという感じすら受けます(「第9番」も、もともとは、「2曲ワンセット」の構想でした)。

 

「第8番」は、この時期の作品としては、演奏時間が「30分」にも満たないこと、また、同じ調性で書かれた「第6番 "田園"」との「区別」の意味もあり、「小さなヘ長調」と呼ばれることも多く、「大柄」な「第7番」の陰に隠れて(あるいは、後の「第9番」に「圧倒」されて)、すっかり、「目立たない曲」というイメージが出来てしまったことも、「残念」ではありますが、「事実」のようです。

 

 

この「第8番」は、1812年夏、「前年」に引き続いて訪れた、ボヘミア(現チェコ)の有名な「保養地」、テープリッツ(テプリツェ)に滞在中に書かれたものです。

 

「第7番」もほぼ「完成」し、ベートーヴェンは、続けて、「第8番」の作曲も進めていきますが、「第7番」の「最終仕上げ」が「年明け」にも行なわれたのに対し、この「第8番」は、「年内」に「完了」したと言われています。

 

 

この当時、ナポレオン(1769-1821)は、大軍を率いて、「ロシア」へと「侵攻中」でした。

 

後に、「歴史的大敗北」を喫することでも「有名」なこの「大行軍」ですが、ウィーンとベルリンのほぼ「中間」に位置するこの「テープリッツ」は、「中立地帯」でもあり、この時期には、続々と、ドイツやオーストリアの王侯貴族たちが集まり、今後の、「ナポレオン」への「対応」が話し合われていたのだと言います。

 

また、「文化人」たちも、続々とこの地を訪れたおかげで、ベートーヴェンも、大詩人ゲーテ(1749-1832)に、ついに「会うことが出来た」のでした。

 

 

ベートーヴェンが「この地」に到着したのは、「7月5日」のことだと言われています。

 

 

そしてここで、ベートーヴェンは、「不滅の恋人」と呼ばれる人物に宛てて、「手紙」を書いています。

 

 

それも、「3通」も!!

 

 

しかし、「7月6日朝」、「7月6日 (月曜の)夕方」、「おはよう7月7日」と日付の入れられたこれらの「手紙」は、ベートーヴェンの死後、その「遺品」の中から「発見」されたのであり、今なお、「多くの謎」に包まれ、「研究者」たちの頭を悩ませているようです。

 

「1812年」のものであることまでは「確定」がされているということですが、宛名は「不明」のままであり、「最有力候補」として、「アントニー・ブレンターノ」(1780-1869)、ヨゼフィーネ・ブルンスヴィック(1779-1821)、また、その「姉」の、「テレーゼ・ブルンスヴィック」(1775-1861, 「ピアノソナタ第24番」は、「彼女」に献呈)が考えられているそうです。

 

 

ベートーヴェンは、この曲を、この「誰か」に宛てて書いたのでしょうか。

 

 

その「愛らしく」もある「曲想」から、そのように考えてしまうことも「ごく自然」なことだと思いますが、結局、ベートーヴェンは、「全9曲」の「交響曲」の中で、「この曲」のみ、「誰にも」献呈しなかったということです...。

 

 

それでは、その「曲」を聴いていくことにしましょう。

 

 

まずは、「第1楽章第1主題」。

 

「序奏」はなく、いきなり、この「爽やか」で「楽しげ」な、「舞踏調」の主題で始まります。

 

「透明」で、「澄んだ青空」のようなイメージも受けます。

 

その「解放感」!!

 

「展開」もぬかりなく行なわれ、「低弦」の強奏で現われる「再現部」もまた「見事」です。

 

 

「第2楽章」は「ハイドン(1732-1809)」風であり、愛らしい「スケルツォ」風の楽章です。

 

その、「リズムを刻む」ような音楽は、「メトロノーム」をも思わせますが、この曲の作曲は、その「実用化」(1816年)よりは「前」の話です。

 

その「メトロノーム」の考案者、ヨハン・ネポムーク・メルツェル(1772-1838)とは、一時「争った」こともありましたが、ベートーヴェンが使用していた「補聴器」も、メルツェルとその「弟」が作ったものであり、その関係は、概ね「良好」だったようです。

 

 

「第3楽章」に「メヌエット」が来ていることで、「第7番」同様、この交響曲にも「緩徐楽章がない」と言えるのですが、「交響曲」として書かれたものでは、これが何と、「初」の「メヌエット楽章」ということにもなっています(「第1番」にも「メヌエット」はありますが、「名前」だけで、その「内容」は、明らかに「スケルツォ」です)。

 

そのために、「古典派風」という印象も強く受けるのですが、一方で、「大衆的な新しさ」を感じられる曲想であるとも言うことが出来ます。

 

トリオ(中間部)の旋律は、7月の終わりに移動した、「カールスバート」(現チェコ、「カルロヴィ・ヴァリ」)での、「郵便馬車」をモチーフにしたと言われています。

 

 

「第4楽章」は軽快な「フィナーレ」ですが、同時に、「激しさ」もあわせ持っています。

 

「ロンド」、「ソナタ」、両方の形式に当てはまる、「ロンド・ソナタ形式」であると言え、やはり、「新しさ」を感じずにはいられません。

 

その「主題」の「展開」の仕方には、もはや、「ロマン派」の香りが漂うと言っても過言ではないでしょう。

 

 

この、「親しみやすくもある」交響曲第8番が、もし、「目立たない」という理由で聴かれることが「ない」のであれば、それは大変「不幸」なことだと思います。

 

 

「冒頭」に書いた、ベートーヴェン自身の言葉からも分かるように、この曲は、「自信作」であったことは「間違いない」と、私もそう思います。

 

この記事に挙げた演奏をお聴きになって、「どう思われる」かは、人それぞれの「自由」であるとは思いますが、少なくとも、「不人気」であることだけは、「信じられない」と思うのではないでしょうか。

 

 

最後に、「参考」までに、「第7番」も載せておくことにしましょう。

 

この曲は、「あらゆる意味」で、すでに「有名」でもありますね。

 

やはり、「実りの秋」を感じさせる曲です。

 

 

「フレッシュな解釈」で「一世を風靡」した、カルロス・クライバー(1930-2004)指揮、バイエルン国立歌劇場管弦楽団による、1986年5月19日の「来日公演」の模様です。

 

 

それではまた...。

 

 

(daniel-b=フランス専門)