「予告編」です。

http://barbara-movie.com/(映画公式サイト)

http://www.cine-monde.com/(「金沢シネモンド」公式サイト)

https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10097047678.html(「バルバラ」がテーマの記事一覧)

https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10104181650.html(「洋画」の記事一覧)

 

さて、かねてより、「シャンソン仲間」の間では「話題」に上っていたこちらの映画、「バルバラ~セーヌの黒いバラ」(2017年。フランス)ですが、日本での上映開始(2018年11月16日)から「4ヶ月」あまり...。

 

昨日(3月27日水曜日)、「私」もついに、見ることが叶いました!!

 

つい先日、日本での「DVD発売」(7月2日)が発表されたばかりです。

 

 

私も、地元の「福井メトロ劇場」に「リクエスト」を入れてはいましたが、どうやら今回は、(DVD発売までに)上映が叶いそうにもありません。しかしながら、上掲の「ユトリロさん」の記事(この記事は、その「リブログ」として書いています)にもあるように、「群馬県」でも公開(「シネマテークたかさき」。16日~23日)されたということから、あらためて、「上映劇場」を確認してみたところ、「23日」から、こちらも「1週間限定」(29日まで)ながら、「金沢」で上映されることが分かったのです。

 

そもそも、「ことの始まり」は、やはり、ユトリロさんのこちらの記事からでした。

https://ameblo.jp/utrillo-714/entry-12415883117.html(昨年11月3日付け)

 

私も、「バルバラファン歴」は「長い」と自負していますから、これは、「どうしても見たい」映画でした。

 

先だって上映された「ダリダ~あまい囁き」のこともありましたから、福井市内の名画座、「メトロ劇場」は、必ず採ってくれるものと「期待」していましたが、一向に上映する様子がありませんでしたから、もう、「あきらめかけていた」ところでもありました。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12425638116.html?frm=theme(映画「ダリダ~あまい囁き」についての記事)

https://fukuimetro.jp/(「福井メトロ劇場」公式サイト)

 

それが、先述のように、お隣り、「石川県金沢市」で上映があることが分かりました。

「市内」とは言っても、「行きづらい場所だとちょっとヤだな」、と思っていましたが、そんな心配は、まったく「無用」でした...。

 

そこは何と「香林坊」...。

 

「中心街」なのです!!

 

最近では、昔ほど「金沢の中心街」に足を運ぶことがなくなりましたから、「気付いていなかった」だけなのかも知れませんが、「香林坊東急スクエア(旧称「KORINBO109」)4階に、「常設」となる名画座、「シネモンド」(別に、「必殺仕事人」に「ケンカ」を売っているわけではありません。「cinema du monde(世界の映画)」の「略」です!!)が、「1998年」から開館していたのです!!

 

「バルバラ~セーヌの黒いバラ」は、「14時20分」からの上映です。私は、今回も特に急ぐことなく、「ゆっくり」と、「余裕」を持って出かけました。

 

相変わらず「人の多い」金沢...。

 

「外国人観光客」の姿も多く見られる中、「バス」で「香林坊」へと向かいます(今回は、いつもの「北鉄」ではなく「JRバス」。なので、「Suica」が使えました)。「郊外方面行き」のバスが停車する、昔よく通っていた「香林坊大和」の「向かい側」が、「香林坊東急スクエア」です。

https://www.google.co.jp/maps/@36.5626613,136.653566,18.32z(「香林坊」付近の地図)

 

「オシャレ」なビルの中に、ちょっと「カフェ」を思わせる形で立っているその「シネモンド」は、席数90の「ミニシアター」です。

 

入口前で待っていた人たちは、やはり「年配の女性」が多かったですね。最終的に、入場者は、「30人前後」はいたと思います。

 

さて、いよいよ映画の「始まり」です。

 

これまでにも書いている通り、バルバラ(1930-97, 本名モニック・セール)は、フランスを代表する「偉大な女性歌手」であり、いまや、エディット・ピアフ(1915-63)と並ぶ「伝説的存在」です。この映画は、2017年、つまり、「没後20周年」を記念して作られたということでしょう。監督(「脚本」も)は、「俳優」として、あの「潜水服は蝶の夢を見る」(2007年)での「名演技」も記憶に残る、マチュー・アマルリック(1965-)。主演は、かつて、彼の「パートナー」でもあった、ジャンヌ・バリバール(1968-)です。

 

上掲の「予告編」で流れている曲は、「du bout des levres "口先だけで(くちびるの端に)"」。

1968年の傑作アルバム「le soleil noir "黒い太陽"」からの1曲です(このアルバムからは、「全11曲」中、すでに「6曲」を紹介している上に、「この曲」にも触れています)。

その「5年後」に歌ったこの映像では、冒頭に「ちらっ」と、ジャック・ブレル(1929-78)の姿も見えますね。

 

この映画は何と、この曲から始まります。

「chanson pour une absente(le 6 novembre) "居ない女(ひと)のために(11月6日)"」(1973)

 

バルバラへの「個人的な思い入れ」が「強い」と、バリバールが語った、監督のマチュー・アマルリック...。

 

いきなり「この曲」を出して来るとは、それだけでもう、相当「マニアック」であると言えます。

 

主演のジャンヌ・バリバールは、もともと、「バルバラそのもの」の役というわけではなくて、アマルリックが扮する映画監督「イヴ・ザンド」が作ろうとする、バルバラの伝記映画の「主役」を演じる、「ブリジット」という「女優」の役なのです。

 

劇中でイヴが言う、「16歳の時、あなたの歌に救われた」というのは、「まったくの本心」なのでしょう。たぶん、バルバラ本人には直接伝えることの出来なかった当時の気持ちを、この映画の場を借りて「吐露」しているのだと思います。マチュー・アマルリックが、このバリバール演じる「バルバラ」に、どれだけ「本人のイメージ」をダブらせることが出来たのかは「不明」ですが、「感極まって」、あのような「行動」に出たとしても、決して「おかしくはない」とは思いました。

 

そういうこともあって、バリバールの演じる「ブリジット」は、次第に、「バルバラ本人」との「境界」がなくなっていきます。それこそ、「バルバラなのか、ジャンヌが演じるバルバラなのか」、といったところになるでしょう(この映画では、「ほとんど」の曲を、バリバール自身が歌っています)。

 

「伝記映画の体裁を取りつつ、実験的な手法が駆使されている」とバリバールは言います。マチュー・アマルリックの、「個人的」な、「強い思い入れ」についても、「そのことが、逆にこの映画に普遍性をもたらしている」とも語っていました。

 

「内に秘めた悲しみを覆い隠すために、(バルバラは)あえて速く話したり、歌ったりしているように私には思えた」。また、時に「高慢」な、「負の部分」についても、「そんな矛盾があるからこそ、彼女は偉大なアーティストになれたのでは」と言っています。こうしたバリバール(名前まで「似ている」...)の「解釈」はまったく「正しく」、だからこそ、「バルバラ本人」をも思わせることが出来たのでしょう。

 

しかしながら、このような、監督の「主観性」の「強い」作品では、一方で、「描き足りない」と感じることも、また「事実」なのです。

 

「一般の人」が知らないような(逆に、「マニア」なら分かるような)「細かいエピソード」を、「よく拾っている」とは感じましたが、そのために、全体像が「ぼやけてしまった」のではないかと私は思いました。

 

その1つが、やはり、「母親」とのエピソードでしょう。

 

これまでにも触れている通り、オープニングの曲、「chanson pour une absente(le 6 novembre) "居ない女(ひと)のために(11月6日)"」(1973)というのは、「1967年11月6日」に亡くなった「母親」に向けた曲の1つであり、前半の「モノローグ」の他は、「歌詞のない歌」です。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12422310820.html?frm=theme(参考:「私の幼いころ」の記事)

 

この曲を「トップに持ってくる」ということは、やはりそれなりに、「母親の死」についても「語られる」のかと思っていました。しかし、「母親」役の女性は登場するも、「その死」が語られることはなく、したがって、「mon enfance "私の幼いころ"」(1968)も、「Remusat "レミュザ"」(1972)も、「quand ceux qui vont "行く人は何時"」(1970)も登場しませんでした。

 

また、「予告編」にも登場しているように、「意識不明」で発見されるエピソード(「1974年6月5日」のこと)も盛り込まれていますが、「この場面を入れる」のであれば、「les insomnies "眠れぬままに朝が来て(不眠症)"」(1975-80)の曲は「必須」でしょう。

 

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12439855828.html?frm=theme(参考:「前回」の記事)

 

反面、初期の頃に歌っていた、いわゆる「ベル・エポック(「古き良き時代」)」の、フラグソン(1869-1913)の曲、「les amis de Monsieur "旦那様のお友達"」(1897-1906)や、イヴェット・ギルベール(1865-1944)も歌った、「d'elle a lui "彼女から彼へ"」(1900頃)などは登場しました。この点でも、「マニアック」だと感じました。

 

こちらの「les amis de Monsieur "旦那様のお友達"」は、1969年のオランピア劇場公演からのものです。バルバラの巧みな「話術」は、「ユーモア」と「エスプリ」に富んでいますが、バリバールの言うように、「内に秘めた悲しみ(または「不安」)」の「裏返し」ということなのでしょう。

フラグソン本人の大変「貴重」な録音(1906年)も見つけましたので、この際、あわせて載せておくことにしましょう。

こちらが「d'elle a lui "彼女から彼へ"」です。

「近く結婚するから俺を忘れてくれ」という手紙を受け取った女性が、その「返事」の形で歌う曲ですが、「情」に流されることのないバルバラの歌い方は、かえって「現実的」です。

 

「事実の羅列のような作品(の出演)には興味がそそられなかった」というバリバールですが、そういった「スタンス」も、この映画を「難解」なものにしているのかも知れません。現に、「le soleil noir "黒い太陽"」(1968)や、「le mal de vivre "孤独のスケッチ"」(1965)など、「有名曲」の一部は、「登場」すらしていませんでした。

 

その上、「描きたいこと」が「いっぱいあり過ぎる」のか、どれも「中途半端」な気がしてなりません。マチュー・アマルリックが演じるイヴが、バルバラについての本を書いた、ジャック・トゥルニエ(1922-)(演じているのはピエール・ミション)に「話をきく」というシーンも登場しますが、「人間の一生」を「まとめる」というのは、どう考えても「難しい」ことです。

 

ジャック・ブレル(1929-78)については、こちらの映画、「Franz "わが友フランツ~海辺のふたり~"」(1971)が引用されていました。

 

ブレル自身が「監督・脚本・主演」(加えて「音楽」も)を務めた映画で、まさしく、今回の映画と「重なる」部分が「多い」作品ですが、こちらの「ブレル」同様、「自分(主観)」を「出し過ぎた」のかも知れませんね...。

 

ブレルについてはもちろんのこと、ローラン・ロマネリ(1946-)とのこと、そして、映画には登場していませんでしたが、ジェラール・ドパルデュー(1948-)とのことなど、本当は、もっと「書かなくてはいけない」ことがあったはずでした。しかし、先ほどからも書いているように、それでは、「まとめる」のがとても「大変」です(画面には、世界的バレエ振付師「モーリス・ベジャール」の姿さえありました)。

 

というわけで、「バルバラ初心者」にはあまり「お薦めできない」作品と言わざるを得ませんね(何か、「違うもの」を感じることが「出来る」方なら良いですが...)。「先にご覧になられた人」の感想を聞いても、どうも、あまり「芳しく」はない...(フランスでは、「自国の大スター」についての映画なので、「絶賛」されているようですが...)。

 

「予告編」にもあるように、「恐れを抱きながら...舞台袖にいた」ことを「表現したい」のであれば、「Lily Passion "リリー・パシオン"」(1986)という手もありました。この曲は、そうした「バルバラの心情」を、「そのまま」表現した曲です。

 

こちらは、1987年のシャトレ劇場公演の「再アンコール」で歌われた「短縮版」です。

 

あっ...私こそ、ちょっと「とりとめ」がなくなって来ましたかね。この辺りでそろそろ止めておかなくては...。

 

これは、あくまで、「1回」見ただけの「感想」に過ぎません。「DVD」が発売されたら、もっと「しっかり」見てみたいと思います。

 

この後、実は、「昨年3月17日」に開業した、「あいの風とやま鉄道」(元「JR北陸線」)の「高岡やぶなみ駅」(「西高岡-高岡間」)を見てきました。「北陸線」関係では、1988年10月開業の「明峰駅」(石川県小松市)以来の「新駅」です。

 

この日はとても「風」が強かったのですが、電車は「通常通り」走っていました(「北陸線の特急」は、そう言えば、少し「遅れて」いましたね...)。「往路」は、今回も、「富山」まで「普通列車」で通しましたが、「復路」はやはり、「新幹線+在来線特急」の組み合わせ。しかも、久しぶりに、「源」さんの「特選ますのすし」、「ぶりのすし」も買って帰りましたね...(「ここまで出来る」とは、最初は思ってもいませんでした)。

 

(追記:「あいの風とやま鉄道」富山駅も、3月4日に「下り線ホーム」の「高架化」がついに「完了」ということで、電車は、その新しい「高架ホーム」に到着しました。今後、駅周辺もさらに整備される見込みですが、「かつての富山駅」を知る者としては、まさに「隔世の感」がする思いです)

 

というわけで、今回はここまで!!

 

それではまた...。

 

(daniel-b=フランス専門)