(1972年1月19日、「ボビノ劇場」でのライヴを、「テレビ中継」したものです。ブラッサンスは、この劇場の「看板スター」でしたから、度々、ここで公演を行なっています。ベーシストは、おなじみのピエール・二コラ。それにしても「全16曲」、「長い曲」も多いのに、よくもまあ、すらすらと歌詞が出て来るものだ...)

(こちらの映像も「同じ」ですが、「英語字幕」が付いています)

(こちらは、1976年の映像です。ピエール・二コラの姿はありませんが、「セカンド・ギター」、ジョエル・ファヴローの姿があります)

(その翌年、1977年11月19日の映像です。ピエール・二コラ、ジョエル・ファヴローとも出演しています。ブラッサンスは、このように人に囲まれて歌っている映像が「多い」ですが、このような場でも歌えるところが「スゴイ」...)

(こちらは「オリジナル録音」です)

https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10098036054.html(これまでの記事)

 

「10月22日」は、シャンソン界の3大巨匠の1人、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)の「誕生日」です。また、ちょうど1週間後の「10月29日」が「命日」でもあり、まさに「ブラッサンス・ウィーク」ということにもなります。前回の記事から、またも「1年」近く経ってしまいましたが、忘れず、書いておきたいと思います。

 

今回紹介する曲は、1962年10月に録音され、この年の終わりに発売された作品、「les trompettes de la Renommee "噂の吹聴師たち"」です。

 

この「原題」も、「邦題」も、現在ではかなり「古風」な響きを持っています。

 

「原題」は、大野修平先生の解説では、「崇高な叙事詩の調子を帯びること」を意味する「慣用表現」だともいうことですが、直訳すれば、「噂の女神のラッパ吹き(「評判の女神のトランペット奏者」)」ということで、現代風に言うと、「(「スキャンダル記事」を売り物にする、)スクープ記者たち」、ワイドショーなどの「芸能記者たち」のことです。

 

「邦題」でも、噂を「吹聴する」、という言葉は、もう、あまり聞かれなくなりました。この言葉は、普通に「言いふらす」と置き換えることが出来、日常では、圧倒的にこちらを使うことの方が「多い」ことでしょう。

 

しかしながら、このタイトルを、「現代的」に、「スクープ記者たち(パパラッチ)」とか、「芸能記者」とか訳してしまうと、詞の持つ「味わい深さ」は何も伝わりません。そのため、従来から用いられている「噂の吹聴師たち」の訳語を使わせていただきますが、実際にこの曲が書かれてからは、本当にもう、「半世紀以上」の歳月が流れています。また、「ヨーロッパ」という「土地柄」もあります。「現代日本」では、「受け入れがたい」点も、中にはあるかとも思いますが、その点は、どうかご了承ください。

 

この作品は、「プライベート」な部分にまで、ずかずかと「足」を踏み入れようとする、文字通り、「スクープ記者たち(パパラッチ)」、「芸能記者たち」に対する「抗議の歌」というのがまずあります。

 

メロディは美しく、普通に「オリジナル録音」で聴いていると、「文学的な詞」を「淡々」と歌っているだけの、「真面目な曲」のようにも思えますが、実際には、「怒り」以外に、「皮肉」や「ユーモア」も交えて歌われています。「ライヴ」でも、表情をほとんど「変えず」に歌うことで知られているブラッサンスですが、こういった曲では、さすがに「緩む」ことがあります。

 

「極端な例」ですが、そういった曲を、もう1曲紹介しておきましょう。

 

さすがに、「詞」は、ここで載せることはちょっと「はばかられ」ますが、「自作の詞」ながら、その「あまりのおかしさ」に「吹き出して」しまったという例がこちらです。

 

1969年のボビノ劇場公演からで、同年発表の曲、「misogynie a part "女嫌いじゃないけれど"」です。「最終節」に差しかかったところで、それまでこらえていた「笑い」が吹き出して、歌が「止まってしまった」という、「有名」な場面です。

 

その反面、ブラッサンスは、国立の学術団体「アカデミー・フランセーズ」より、「詩部門」で「大賞」も受けています(1967年。分かりやすく言えば、「お役所」からの「文学賞」です)。

 

こちらは、ほぼ「晩年」と言える頃の映像だと思いますが、歌っている曲は、ブラッサンスの「最高傑作」の1つであり、「最も長い曲」(演奏時間「7分」前後)でもある「supplique pour etre enterre a la plage de Sete "セートの浜辺に埋葬のための嘆願歌"」(1966)です。彼の「遺言」とも言える作品で、大変「充実」した、「味わい深い」内容を持つ曲ですが、「ステージ」においても、もちろん歌われています(上掲の「ボビノ劇場公演」では、「1969年」、「1972年」の両方で)。

 

それでは以下に、「les trompettes de la Renommee "噂の吹聴師たち"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

ブラッサンスの詞は、これまでにも書いているように、「長い」ものが多いですが、「推敲」にもまた時間をかけるため、「数年がかり」というものも珍しくありません。その分、言葉は「吟味」され、「味わい深い」ものとなっているのですが、「慣用表現」、「古語的表現」も多く、「外国人」である私たちには「分かりにくい」こともまた「確か」です。

 

この歌詞も、まさに「文学的表現」の「宝庫」と言えます。普通に書いてしまうと「露骨」な表現でも、きちんと、「言葉を選んで」書かれていることがよく分かります(その反面、「スゴイ」言葉もあるにはありますが...)。

 

次回もまたブラッサンスの曲について書いてみたいと思っています。

 

それではまた...。

 

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les trompettes de la Renommee  噂の吹聴師たち

 

je vivais a l'ecart de la place publique,

serein, contemplatif, tenebreux, bucolique...

refusant d'acquitter la rancon de la gloir',

sur mon brin de laurier je dormais comme un loir

les gens de bon conseil ont su me fair' comprendre

qu'a l'homme de la ru' j'avais des compt's a rendre

et que, sous pein' de choir dans un oubli complet,

j'devais mettre au grand jour tous mes petits secrets

 

俺は、世間からは離れて暮らしていた

平穏で、瞑想にふけり、沈み込んだり、牧歌的に

名誉の代償なんぞ、支払うのはまっぴらごめんで

月桂樹(名誉)の若い芽の上で、俺は眠っていただけなのに

賢明な人たちが教えてくれた

一般大衆なる者に、俺は借りがあるのだと

しかも、それを返さないと、完全に忘れ去られるというのだ

俺は、どんな些細な秘密でも、白日のもとに晒さなくてはならないと

 

(refrain)

trompettes

de la Renommee,

vous etes

bien mal embouchees!

 

(ルフラン)

「噂の女神」の

ラッパ吹きどもめ

お前たちは

まったく口汚い

 

manquant a la pudeur la plus elementaire,

dois-je, pour les besoins d'la caus' publicitaire,

divulguer avec qui et dans quell' position

je plonge dans le stupre et la fornication?

si je publi' des noms, combien de Penelopes

passeront illico pour de fieffe's salopes,

combien de bons amis me r'gard'ront de travers,

combien je recevrai de coups de revolver!

(au refrain)

 

もっとも基本的な、「恥じらい」も欠いて

どうして俺が、「宣伝の必要」のために

誰と、どんなふうに、「ハレンチ」な肉体関係に陥ったなどと

公表しなくてはならないんだ?

俺がその名を公にしたら、どれだけの「ペネロープ」(貞淑な女性)が

即座に、「フダ付きのあばずれ」呼ばわりされることか

どれだけの親友たちが、俺を「白い眼」で見ることか

「ハジキのタマ」も、どれだけ食らうか分かったものじゃない

(ルフランへ)

 

a toute exhibition ma nature est retive,

souffrant d'un' modesti' quasiment maladive,

je ne fais voir mes organes procreateurs

a personne, excepte mes femm's et mes docteurs

dois-je, pour defrayer la chroniqu' des scandales,

battre l'tambour avec mes parti's genitales,

dois-je les arborer plus ostensiblement,

comme un enfant de choeur porte un saint sacrement?

(au refrain)

 

ほとんど「病的」な慎み深さに苦しむ俺は

すべてを晒すのは性に合わない

俺の「生殖器官」なんて

俺の女たちと、医者以外には、誰にも見せるもんか

「スキャンダルのネタ」になるからと

何だって俺の生殖器官を世に触れ回り

それを後生大事に持ち歩いて

これ見よがしに掲げなくてはならないんだ?

(ルフランへ)

 

une femme du monde, et qui souvent me laisse

fair' mes quat' voluptes dans ses quartiers d'noblesse,

m'a sournois'ment passe, sur son divan de soi',

des parasit's du plus bas etage qui soit...

sous pretexte de bruit, sous couleur de reclame,

ai-j' le droit de ternir l'honneur de cette dame

en criant sur les toits et sur l'air des lampions:

"Madame la Marquis' m'a foutu des morpions?

(au refrain)

 

俺にささやかな楽しみを与えてくれる、「社交界」のとあるご夫人が

その、「高貴」なお屋敷で

何と言うことか、その絹の長椅子の上で

俺に「最下層」の毛じらみをうつした

それが、評判や宣伝のためという口実であっても

俺に、そのご夫人の名誉を汚す権利などあるもんか

屋根に上って、三拍子で

「侯爵夫人が俺に毛じらみをうつしたのか?」などと叫びたてる権利など

(ルフランへ)

 

le ciel en soit loue, je vis en bonne entente

avec le Per' Duval, la calotte chantante,

lui, le catechumene, et moi, l'energumen',

il me laiss' dire merd', je lui laiss' dire amen,

en accord avec lui, dois-je ecrir' dans la presse

qu'un soir je l'ai surpris aux genoux d'ma maitresse,

chantant la melope' d'une voix qui susurre,

tandis qu'ell' lui cherchait des poux dans la tonsure?

(au refrain)

 

ありがたいことに、俺は仲良く暮らしている

歌う僧侶、デュバル神父さんとだ

彼は「初心者」で、俺は、「無頼漢」

俺は「くそったれ」と言うし、彼は「アーメン」と言う

彼との合意の上で、新聞に書けるものなのだろうか

ある夜、彼が、俺の女の膝の上にいる現場を押さえたなどと

ささやくような声で、単調な歌を歌い

彼女は、彼の剃髪の毛じらみを探していたなどと

(ルフランへ)

 

avec qui, ventrebleu! faut-il donc que je couche

pour fair' parler un peu la deesse aux cents bouches?

faut-il qu'un' femme' celebre, une etoile, une star,

vienn' prendre entre mes bras la plac' de ma guitar'?

pour exciter le peuple et les folliculaires,

qu'est-c' qui veut me preter sa croupe populaire,

qu'est-c' qui veut m'laisser faire, in naturalibus,

un p'tit peu d'alpinism' sur son mont de Venus?

(au refrain)

 

いったい何で、誰と、俺が寝ればいいと言うんだ!

「噂の女神」にちょっとばかりおしゃべりしてもらうために

名高いご婦人や、花形や、スターが、

俺の腕の中の、「ギター」の位置を占めてなくちゃならないんだ

一般大衆や、「へぼ記者」を喜ばすために

誰が俺に、その評判の尻を貸してくれるんだ

誰が俺にさせてくれるんだ、一糸まとわぬ姿で

「ヴィーナスの丘」への、ちょっとした山登りを

(ルフランへ)

 

soneraient-ell's plus fort, ces divines trompettes,

si, comm' tout un chacun, j'etais un peu tapette,

si je me dehanchais comme une demoiselle

et prenais tout a coup des allur's de gazelle?

mais je ne sache pas qu'ca profite a ces droles

de jouer le jeu d'l'amour en inversant les roles,

qu'ca confiere a leur gloire un' onc' de plus-valu',

le crim' pederastique aujourd'hui ne pai' plus

(au refrain)

 

神聖なラッパは、ますます高らかに吹き鳴らされることだろう

もし俺が、みんな同様、ちょっとばかり「おしゃべり」だったなら

もし俺が、お嬢さんのように、腰をくねらせて歩いていたなら

そして突然、ガゼル(羚羊)のように振る舞ったとしたら

でも俺は、役割を逆さにしてまで恋愛を楽しむような

そんなならず者みたいなマネは出来ない

やつらの「名声」を、ちょっとだけでも上げるようなものだ

今じゃ、「同性愛の罪」は割りに合わない

(ルフランへ)

 

apres c'tour d'horizon des mille et un' recettes

qui vous val'nt a coup sur les honneurs des gazettes,

j'aime mieux m'en tenir a ma premier' facon

et me gratter le ventre en chantant des chansons

si le public en veut, je les sors dare-dare,

s'il n'en veut pas je les remets dans ma guitare

refusant d'acquitter la rancon de la gloir',

sur mon brin de laurier, je m'endors comme un loir

(au refrain)

 

さて、幾多の問題を見渡した今、

あんたたち「おしゃべり屋」の栄光に役立つ処方せんを必ずや出そう

俺は、俺の基本的なやり方の方がいい

つまり、歌を歌いながら、腹でギターをかき鳴らす

もし一般大衆がそれを望むのなら、俺はすぐさまそれを発売するし

望まないのであれば、俺はまた、ギターの中にそれをしまい込む

名誉の代償なんぞ、支払うのはまっぴらごめんで

月桂樹(名誉)の若い芽の上で、俺は眠り込むだけだ

(ルフランへ)

 

 

 

 

(daniel-b=フランス専門)