「10月24日」は、この大歌手、ジルベール・ベコー(1927-2001)の誕生日となります。

12日付けの記事では、「作者」である、このベコーの「代表作の1つ」であると同時に、この曲を採り上げた、エディット・ピアフ(1915-63)の「代表作の1つ」ともなった名曲、「les croix "十字架"」(1952-53)を採り上げました。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12318858118.html

 

今回採り上げた作品は、私が「ベコー」と聞いて、真っ先に思い浮かぶ曲であり、「世界的な大ヒット」ともなった、「シャンソンのスタンダード」とも言える名作です。

 

もしかすると、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今回の曲は、そう、「et maintenant "そして今は"」(1961)です。

 

ピエール・ドラノエ(1918-2006)が詞を書き、ベコー自身が曲を書いたこの作品には、2つの、「異なる」エピソードが伝えられています。その「真偽」のほどは、現在となっては、よく分からないところもあるのですが、参考までに書いておきたいと思います。

 

1つは、ウィキペディア(フランス語版)の記述からで、ピエール・ドラノエ本人が語ったとされるものです。

 

1961年に、ベコーは、パリからニースまでの航空機内で、(ドイツ出身の)女優エルガ・アンダーセン(1935-94)と出会った。彼女は、婚約者のもとへと向かう途中だった。翌日、帰りの便も同じだったのだが、彼女の表情は引きつっていた。彼女の「愛の物語」は、その夜のうちに幕を閉じたのだ。

ベコーは、シェネにある、彼女の自宅で、「一緒に朝食を」、と提案した。

その時、彼女はつぶやきながら、ピアノの鍵盤を押した。

「et maintenant que vais-je faire?(今となっては、どうしたらいいの?)」...

ベコーは、私を呼び、こう言った。

「歌い出しはこうだ!!」

そうして、この歌は、その日のうちに書き上げられたのだった...。

 

もう1つは、1984年刊行の、永田文夫先生(1927-2016)の著書、「世界の名曲とレコード シャンソン」の記述からです(要約)。

 

1961年12月のこと。ピエール・ドラノエとともに、セーヌ川のほとりを歩いていたベコーは、まるで自殺でもしようとしているかのような、ひとりの女性を見つけた。それが、グローリア・ラッソ(1922-2005)だった。失恋のあげく、いろいろなスキャンダルの種にもなったりしたラッソは、かねてからノイローゼ気味だった。彼女を助けて家へ送り届けた2人は、ラッソを寝かせ、その場でこの曲を書き上げた...。

 

ベコー自身は、「作り話だ」と「否定」していますが、ラッソは、あまりにも自分の気持ちにそっくりな内容に、レコーディングするも、しばしば涙にむせんで、声にならなかったといいます。

 

その、グローリア・ラッソの「絶唱」も載せておきましょう...。

 

ベコーは、12日の記事でも書いたように、1950年頃、女性歌手マリー・ビゼー(1905-98)のピアニストとして同行したことから、彼女の作詞家でもあったドラノエに出会いました。彼は、「les croix "十字架"」の詞を書いた、ルイ・アマ―ド(1915-92)とともに、ベコーにとっては、とても「重要」な作詞家だと言えます。

 

カール・シグマン(1909-2000)の英語詞により、この曲は、アメリカでもヒットしました。

そのタイトルは、「What now, my love」で、フランク・シナトラ(1915-98)の歌でも知られていますが、本当に素晴らしいのは、この、エルヴィス・プレスリー(1935-77)なのではないかと思います。

1973年のライヴからどうぞ!!

 

この歌詞は、元々が、「愛する人を失った喪失感」から生まれていて、とても「深刻なもの」だと言うことが出来ます。

 

「エネルギッシュ」な歌唱のジルベール・ベコーは、まさに、その「深刻さ」を「体現」しているとも言える、「凄み」を感じます。これこそが、「ムッシュ10万ボルト」の「真骨頂」なのです。

 

この曲は、「ボレロ」のリズムに乗せて書かれています。有名な、ラヴェル(1875-1937)の代表作「ボレロ」(1928)のように、終盤に向かって、曲は「盛り上がり」を見せますが、その、「突然の終幕」に、「ハッ」とされられるところもよく似ていると思います。本当に、「ドラマティック」な、「素晴らしい」作品であると言え、ベコーの、溢れんばかりの「才能」を感じます。

 

ベコーらの歌唱とは「対極」にあると言えますが、私は、コーラスグループ「レ・コンパニオン・ド・ラ・シャンソン(シャンソンの友)」の録音も「大好き」です。実際、ベコーのオリジナルよりも「先」に聴きましたし、私自身、「シャンソン入門期」に聴いた、「思い出の録音」でもあるからです。今回、その音源を、動画サイトでは見つけることが出来ず、とても「残念」に思いました...。

 

今回載せた映像は、2番目のものが、「オリジナル」のスタジオ録音で、最初の動画は、1987年に、「オランピア劇場」からの「生中継」で放送された、「テレビ番組」ということです。

 

最後に、1983年8月の、NHKテレビ「フランス語講座」のテキストで紹介された、ベコーの言葉を1つ、紹介しておきましょう(この月に、「シャンソン特集」が組まれていました)。

 

(インタビュアー)

quel a ete votre jour de chance?

あなたにとって、「チャンス」とは、いつの日のことでしたか?

 

(ベコー)

demain

「明日」

 

以下に歌詞を載せておきましょう。

それではまた...。

 

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et maintenant que vais-je faire

de tout ce temps que sera ma vie

de tous ces gens qui m'indifferent

maintenant que tu es partie

toutes ces nuits pourquoi, pour qui?

et ce matin qui revient pour rien

ce coeur qui bat, pour qui pourquoi?

qui bas trop fort, trop fort

 

今となっては、どうしたらいいんだ

僕の人生と成り得る、このすべての時間を

僕にとってはどうでもいい、この人たちを

君が去った、この、今となっては

すべての夜は、なぜ? 誰のため?

戻って来るこの朝は何のため?

鼓動するこの心は、誰のため? どうして?

あまりにも強く、強く鼓動するこの心は

 

et maintenant que vais-je faire

vers quel neant glissera ma vie

tu m'as laisse la terre entiere

mais la terre sans toi c'est petit

vous, mes amis, soyez gentils

vous savez bien que l'on n'y peut rien

meme Paris creve d'ennui

toutes ses rues me tuent

 

今となっては、どうしたらいいんだ

僕の人生は、どんな虚無に落ちていくのか

君は僕を、この世界に置き去りにしてしまった

君のいない世界はとてもちっぽけだ

友よ、お願いだ

分かってくれ どうにもならないんだ

パリですら、うんざりなんだ

どの通りですらもやりきれないんだ

 

et maintenant que vais-je faire

je vais en rire pour ne plus pleurer

je vais bruler des nuits entieres

au matin je te hairai

et puis un soir dans mon miroir

je verrai bien la fin du chemin

pas une fleur et pas de pleurs

au moment de l'adieu

je n'ai vraiment plus rien a faire

je n'ai vraiment plus rien

 

今となっては、どうしたらいいんだ

もう泣かないように、笑うとしよう

夜はことごとく焼き払おう

朝には、君を憎むとしよう

そしてある晩、鏡の中では

僕の歩む道の「果て」が、はっきりと見えることだろう

一輪の花もなく、涙もなく

「永遠の別れ」を告げる、その時に

本当に、もう、何も出来ることはない

本当に、もう、何もない

 

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(daniel-b=フランス専門)