「過去旅」について書いています。

 

昨年連載した、2008年の「第1回目」の「パリ&ブリュッセル」に続く、「第2回目」(2010年)の旅行記です。

以下に、これまでの旅行記の「リスト」のページを貼っておきます。

 

https://ameblo.jp/daniel-b/themeentrylist-10097133133.html

 

6月21日 月曜日。

まさに「怒涛(奇跡)の最終日」となりました...。

 

帰国する当日、時間は、「3時間ほど」しかありませんでした。

当初の予定では、ホテルからもそう遠くはない「モンパルナス」に立ち寄り、「モンパルナス・タワー」にて、パリの景色を見納めてから、「帰国の途」に就くはずでした。それが「実際」は...。前回書いたことは、本当に、「実話」なのです。

 

思えば、「国内」では、「ムチャ」は「当たり前」のようにやって来ました。今回は、それを「海外」でやってしまった、ということですが、「東京」で言えば、「東京」駅に着いてから、「約3時間くらい」で、「新宿」「神保町」「銀座」をまわるようなものです。

 

現在なら、「神保町」「銀座」の2ヶ所(+東京駅)が精一杯で、これが最近の「標準パターン」となっていますから、この時のパリで、ホテルからは「遠隔地」と言えなくもない「les Halles(レ・アル)」まで足を運んだ上に、「サン・ラザール」「シャンゼリゼ」もまわる、ということは、「ムチャ」以外、何ものでもなかったと思います。

 

これもやはり、「"次"が分からないから」という「不安」ゆえに、「突き動かされたもの」だと言えます。実際、この旅以降、現在でも、まったく、「再訪の目途」は立っていないのですから...。

 

(前回記事の追加情報)出発点「シャルル・ミシェル」駅での、乗車券購入時刻は「11時52分」、「レ・アル(RER「シャトレ・レ・アル」)」駅では、同「13時23分」(出発時)でした。「窓口」や、「旧型」の券売機でも、「乗車券の用紙」に、「横長」で、「利用明細」が印字されたものが出て来ます。この「時刻」は、この日の行動の「慌ただしさ」を、「裏付けているもの」だと言うことも出来るでしょう...。

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15時30分過ぎ、「大急ぎ」でホテルへ戻った私は、再び「荷物係」を訪ねました。

預けた時とは違う方が入っていらっしゃいましたが、無事に荷物を引き取り、先ほど、近所のスーパー「モノプリ」で出来た「小銭」を「チップ」として渡しました。

 

「Thank you!!」

 

係の方は、その「小銭」をギュッと握りしめ、笑顔で応えてくれました(この方は、「英語」でしたね...)。

「チップ」は「お礼」ですから、あまりにも「細かいもの」は、当然ながら「失礼」です。「1ユーロ」「2ユーロ」、そして、「50セント」の硬貨ぐらいまでが「チップ」に適している、と思います。残りの「細かいもの」は、空港の「募金箱」へ入れて帰るのが「スマート」というものでしょう。

 

(今回、「ターミナル1」を利用しましたが、その「募金箱」を、なぜか、見つけることが出来ませんでした。そのため、「メトロのきっぷ1枚分」ぐらいにもなったその「小銭」を、そのまま「持ち帰る」ことになり、現在でもまだ持っていますが、その一部は、2年くらい前、ハワイに行った元同僚の「アメリカドルの小銭」と交換してもらいました)

 

15時を過ぎると、「チェックイン」も「開始」となりますが、「到着客」もまだまばらで、ちょっと「寂しい」この時間帯...。

 

「パリの自宅」にも思えた、このホテルとも、もう「お別れ」です...。

 

「TAXI ?」

 

「ドアマン」の方は、前回の、あの「早口で、コワモテ」の方ではありませんが、まるで「SP」のような「物々しさ」を感じさせる方でした。前回と違い、ここで、行先の「空港とターミナル」を訊かれました。

 

「JAL?」と訊かれたので、「ANA(ALL NIPPON AIRWAYS), Terminal 1」と答え、「eチケット明細」も見せたのですが、その方は、「全日空」を知らなかったようで、タクシーの運転手を呼び寄せて、確認していました。

 

運転手の方は、「ああ、日本の航空会社だね」と、知っていたようなので助かりましたが、このホテルは、元々が「日航ホテル」なので、仕方がないのかも知れません。また、「シャルル・ド・ゴール空港」でも、「ターミナル1」と「ターミナル2」があり、他に「オルリー空港」もある、となれば、この「ドアマン」の方も、宿泊客を、空港まで「正しく送り届けるよう手配する」という「使命」があるのですから、「慎重」にならざるを得ないのでしょう...(「お疲れさまです」...)。

 

タクシーの運転手の方は、立派な「ヒゲ」をあごに蓄え、まるで「詩人」のような風貌でした。写真で見た、ジャン=ロジェ・コシモン(1918-85, レオ・フェレの、「長年の友人」で、昨年7月17日付けの、「オスタンドのように」の詞を書いた方です)に、ちょっと「似ていた」かも知れません。

 

運転にも「年季」が入っている、「超ベテラン」といった感じでしたが、「そのこと」だけではなく、私は、またしても、「幸運に恵まれた」と思いました!!

 

この方、特に「遠回り」をして「運賃を稼ぐ」のではなく、「正規の料金の範囲内」で、「パリの観光名所」をまわりながら、空港へ向かってくれたのです!!

 

最初に、「エッフェル塔」が見えた時から、この運転手の「意図」が理解でき、私は、「感激」のあまり、涙が出そうになりました。「次」は、「いつ」になるか分からない、そんな「私」が、今回は入場を見送った「エッフェル塔」...。他にも、「ルート上」の名所をいくつかまわりながら、最後に「凱旋門」まで...。こちらも、今回は入場しなかっただけに、本当に、「前回」も含めた、この「2年の想い」があふれ出てくるかのようでした...。

 

日中の、「スムーズな流れ」で、何の「ストレス」もない、高速道路「A1」...。

来た時とは、「エライ違い」でした。

程なく空港へ到着しましたが、「手前側」にある「ターミナル1」は、「2」よりも、はるか「近く」に感じます。この時の領収書に記載された「50ユーロ」というのは、たぶん、「チップ込みの料金」ですから、本当に「良心的」な、「素晴らしい」運転手だと思いました。

 

「chariot(シャリオ=カート)をどうぞ...」

 

スーツケースを降ろしてくれただけではなく、「カート」まで運んで来てくれたこの運転手...。

「旅の終わり」に、とても「温かい」、「良い思い出」が出来ました。この方には、感謝して感謝して感謝して感謝しても、感謝しきれないぐらいのものをいただきました。今でも、この思いは変わりません...。

 

心から「Merci mille fois!!」

 

さあ、「シャルル・ド・ゴール(ロワシー)空港」の「ターミナル1」に戻って来ました。こちらの動画で、ちょっと「おさらい」をしてみましょう。

このターミナルでは、構造上、「出発階」よりも、「到着階」の方が、「上階」となっています。

1974年に完成した、「10階建て」の、円筒形の建物で、開港当時は、「超近代空港」として話題となりました。後に開業した「ターミナル2」に比べると、さすがに、「古びた」印象は隠せませんが、映画、「パリ空港の人々(tombes du ciel)」(1993年, 「その1」参照)の「舞台」ともなり、「しみじみ」とした、「旅情」を感じさせるターミナルとなっています(私も、大変気に入っています)。

 

映画のテーマ曲であった、「daleko tan」(ポーランド語の歌で、「はるかに遠い」。こちらも「その1」を参照ください)の歌詞は、とても「心裏腹」な、「皮肉な内容」と言えますが、その「美しいメロディ」は、このターミナルを思い出す度に、心に浮かんでくるほどなのです...。

 

ホテルを出発したのが、もう「16時頃」だったと思いますから、「チェックイン開始」の時刻である「17時」も、そう遠いものではありませんでした。空港に到着して「程なく」だったと思います。

 

この「ターミナル1」は、「全日空」をはじめとして、「ルフトハンザ ドイツ航空」「シンガポール航空」「ユナイテッド航空」など、主に、「スターアライアンス」加盟の航空会社を中心に発着しています(「ワンワールド」加盟の「日本航空」は、「ターミナル2-F(現在は2-E)」に発着しています)。

 

当時の「全日空」の「チェックインカウンター」は、「ホール3」、「搭乗ゲート」は、「30~38」となっていました(現在は、「変更」となっているようです)。

 

私は、「ビジネスクラス」のカウンターに並んでいたのですが、空いていた「ファーストクラス」のカウンターに案内されたこともあって、そう「待つ」こともなく、スムーズに手続きを終えることが出来ました(別に、「ファースト」へ「アップグレード」出来たわけではありません。「ビジネス」のままです。また、ここでのやり取りは、「英語」でした)。

 

この後、しばらく、ターミナル内を散策しましたが、まさに「ピッタリ」な動画を見つけましたので、載せておきましょう。この動画内にも出てくる、「RELAY(ルレ)」というコンビニ(ターミナル2にもありましたね)で、「フランス国内での最後の買い物」をしました。

 

映像で、階下へ降りたところの、「2分45秒頃」に登場する「RELAY」、まさに「ここ」ですね。

空港内にあるショップなので、当然、「おみやげ」も、ここで買うことが出来ます。

この日、「17時53分」のレシートが手もとに残っており、金額は「12ユーロ30セント」(クレジットカード)となっています。

 

私は、ここで、最後まで悩んでいた、「出産間近」の同僚へのおみやげを探していました。あの「慌ただしい」日中にも、「フランスの子ども向けCD」を、とも思っていましたが、赤ちゃんが「日本語を覚えずに、フランス語を話したら困る」と思い、それはやめておきました。

 

悩みに悩んだ末、「土壇場」で見つけたのが、欧米で「有名」らしい、ある女の子のキャラクターの「ぬりえ」でした。この「キャラクター」は、以前に、ネットで偶然見つけて、検索して「名前」も分かったのですが、「メモ」も残していない上に、「自分用」を買っていなかったこともあって、現在では、検索しても、どうにもこうにもたどり着くことが出来ません(ヒットするのは、もはや「日本のキャラ」ばかり...)。なので、ここで紹介出来ないのが、とても「残念」です...。

 

他には、ベルギーの有名なチョコレート・ブランドの、「COTE D'OR(コート・ドール)」の「板チョコ」でしたかね。日本でも、デパートなどで探せば「手に入る」かも知れませんが...。

 

とても美しい、女性モデルの「写真集」もありましたが、日本へ持ち込みが出来るかどうかイマイチ分からなかったので、手は出しませんでした。どこまでが「セーフ」なのか(「基準」は?)。これは、前回も思ったことです...。

 

他にも、欲しいおみやげがいくつかあったと思いますが、今回は、「CD」でかなりの金額を使っていましたし、「保安検査」の前ということもありましたので、「抑え」ました。だから、「12ユーロ30セント」なんですね。

 

このフロアには、ターミナル間を結ぶ無料メトロ「CDG VAL」の駅もあります。また、フランスの郵便局「LA POSTE」も入っていました...。

 

この空港では、日本とは違い、「保安検査」は、「搭乗の直前」に行なわれます。まず「出国審査」があり、その後、「ラウンジでくつろぐ」のも良し、「免税店巡り」をするも良し、なのですが、その後に「保安検査」というのが、ちょっと「面倒」です(「チェックインカウンター」で渡された「案内」には、かなり「早くの時間」に、「保安検査場へ」と書いてありました)。

 

「ターミナル1」の、「ラウンジ」の模様は、この通りです...。

このラウンジでも、人々の「目下の話題」と言えば、「FIFAワールドカップ 南アフリカ大会」のようで、設置されているテレビモニターに、みなさん、食い入るように見入っていましたが、試合の「生」中継は、この後「20時20分」からです(南アフリカとフランスでは、「時差」はありません)。それよりも、当時は、あの「ドメネク監督解任騒動」(サルコジ大統領も介入するほどの「大スキャンダル」となりました...)で、「フランス代表チーム」が「空中分解」という、専ら、こちらの話題に注目が集まっていましたね...(「当然」と言えば、「当然」ですが...)。

 

日本では、目にすることもない「路線」の「出発案内」を見ながら、「コニャック」のグラスを傾けていたところ、そろそろ、搭乗口に向かう時間も近づいて来ました。

 

搭乗する便は、成田行き「NH206便」で、定時「20時ちょうど」の出発です。

日本との「時差」は、「サマータイム」のため「7時間」。日本では、もう、「午前3時」にもなろうとしているのです!!

「追い風」に乗って、「成田」までは、約11時間40分。定時で、「14時40分」の到着予定ということです。

 

機材も、退役間近い、「ハイテクジャンボ」、「ボーイング747-400型」機で、「往路」と同じでした。「カーテンの向こう」の「ファーストクラス」は、憧れても、簡単には手を出せない「禁断の園」(やっぱり、「気になる~」....)。

 

日本到着は、「夜明け」に思えても、やはりもう「昼過ぎ」。ちょっと「寝過ごした」くらいの感じですから、「時差ぼけ」は起こりようもありませんが、しかし....。

 

「暑い!!」

 

降り立った途端、汗が「滝のように」流れ始めました。

 

無理もありません...。ここは、「日本」。

「30℃超え」は、「当たり前」の土地なのですから...。

 

これまで、「20℃前後」という気温に慣れてしまっていた体には、「暑さには強い」と思っている私でも、ちょっと「応え」ました...!!

「10月だった前回」とは違って、今回の「環境の変化」は、確かに「極端」です...。

 

都内に入ると、「梅雨」も感じました。

ああ、やっぱり、「ここは"日本"だ....」。

 

というわけで、今回も、結局「全14回」という「超大作」となってしまったこの「旅行記」。

これでめでたく「完結」で~す!!

 

いや~、「大変」でした...。

やはり、このテのものは、書き出すとどうしても...。

何にしても、無事「完結」させることが出来て、「ホッ」としました...。

 

現時点では、「次回」の旅行の目途は、まったく立っていない状況です。

実は、「第3回目」の構想も、当時は、わずかながら「ありました」。

それは、2月6日付けにも書いた、南仏「ビアリッツ」にある、ダニエル・バラボワーヌ(1952-86)の墓を訪ねる、というものでしたが、「テロの脅威」が増す中、「国内線」での航空利用も、かなりの「リスク」を背負うことになります。いつかは「必ず」訪れたいと思ってはいますが、現状では、「勇気」が出せずにいます。まったく、「イヤな世の中」ですね...。

 

本当に、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。

それではまた、次の記事でお会いいたしましょう。

 

Merci!!

 

 

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(daniel-b=フランス専門)