「過去旅」について書いています。

 

昨年連載した、2008年の「第1回目」の「パリ&ブリュッセル」に続く、「第2回目」(2010年)の旅行記です。

以下に、これまでの旅行記の「リスト」のページを貼っておきます。

 

http://ameblo.jp/daniel-b/themeentrylist-10097133133.html

 

さて、前回からはかなり空いてしまいましたが、「旅行記」の続きです。

 

ヨーロッパにて、「初めての週末」を過ごすことになった私ですが、

本日は、いよいよ「日曜日」です。

 

6月20日 日曜日。

「パリ到着」からは「4日目」、実質的な行動としては「3日目」となるこの日は、日程としては、いよいよ「終盤戦」に突入です。

 

本日訪れるのは、「スポット」としては、パリ中心部、「シテ島」にある、「ノートルダム大聖堂」と、そこからもそう遠くはない、「ポンピドゥー・センター(国立近代美術館)」の「2ヶ所」のみとなります。予定では、15時くらいまでにはこれらの見学を終え、残りは、ショッピングの「最終調整」に充てることになります(日曜日に開いている店舗は、当時は、「シャンゼリゼ」くらいにしかありませんでした。ですので、当然、「そちらへ」ということになります)。

 

この旅行中、「音量」をあまり上げられないことから(「その3」参照)、「テレビ」はあまり見れていなかったのですが(この当時は、「サッカーW杯南アフリカ大会」の生中継が、「時差なし」の20時20分から入ってもいましたが...)、音楽を中心に放送しているチャンネル「M6(スィス)」で、「フランスの最新ヒット」をチェックしたことはすでに書きました(以下に、もう1度、それらの記事を貼っておきます)。

http://ameblo.jp/daniel-b/entry-12297138820.html

http://ameblo.jp/daniel-b/entry-12298121613.html

 

また、このチャンネルでは、早朝に「アニメ」を放送していて、その中に「日本のもの」も確かにあったのですが、それを見たのが「何曜日」で、どの作品だったかまでは、ちょっとよく憶えていません(日曜は9時30分から、その他の曜日はおおよそ、6時30分頃からです)。

 

朝食を、「いつものように」、ホテル内の「バー・ラ・セーヌ」の「バイキング」で済ませ、さあ、いざ、「出発」です!!

 

「ノートルダム大聖堂」のある「シテ島」までは、メトロ10号線で「8駅目」の「Odeon(オデオン)」駅で、4号線に乗り換え...って、あれれ、このルートって、どこかで聞いたことありません?

 

...そうですね、「パリ北駅」に行くときと、まったく「同じルート」ですよね。もっとも、「北駅」は、「オデオン」駅からも「10駅先」になりますが、今回の下車駅は、「2駅先」の、「Cite(シテ)」駅となります。いずれにせよ、「2日連続」で、ここまでやって来るのですから、このエリアにも近い、「中心部のホテル」に泊まっておけば、「移動の苦労」も少なくて済むのでしょうが、それでは、これほどまでに、「パリ」や、「パリのメトロ」に「愛着」が湧くこともなかったかも知れません。

 

「ホテル」は「パリの自宅」、その「最寄りの駅(地元の駅)」から「通う」、みたいに、私には感じられていました。「移動の距離」が少なければ、「単なる観光客」といった気分に過ぎなかったと思います。

 

ちょうどよい動画を見つけました。こちらは、「オデオン」駅から「シテ」駅を通って、その1つ先のターミナル駅「Chatelet(シャトレ)」までの車内の様子が撮影されたものです。

 

「パリ発祥の地」でもある「シテ島」の、ほぼ「中央」に位置する、メトロ4号線「シテ」駅。

駅周辺には、「パレ・ド・ジュスティス(「正義の殿堂」=裁判所)」や、「パリ警視庁」などが立ち並び、「司法の島」といった趣きもあります。

 

フランス・シャンソン界の「3大巨匠」の1人、レオ・フェレ(1916-93)のシャンソンにも歌われた、「サン・ルイ島 L'ile Saint-Louis」は、この「シテ島」につながれた、まさに「小舟」のような形の島ですが、こちらは「高級住宅街」といった趣きです。

 

せっかくなので、レオ・フェレの曲、「L'ile Saint-Louis "サン・ルイ島"」も、載せておくことにしましょう。この曲は、「1950年以前」に作られた、フェレとしては、「最初期」の作品となります。私の好きな、1969年の「再録音」が、ちょっと見当たらなかったのですが、こちらの録音は、「珍しい」もののようですので、これを載せてみました。

 

曲は、「シテ島」のそばにいることに「飽き飽き」した「サン・ルイ島」が、その「綱」を断ち切ってセーヌ川を下り、大海原へ、「冒険の旅」に出かけるといった、「ファンタジック」な内容です。

 

 

この、「サン・ルイ島」に渡る橋の手前に、「ノートルダム大聖堂」はあります(「ノートルダム」とは、「我らが貴婦人」。つまり、「聖母マリア」を指します)。

 

世界的に有名なこの大聖堂は、「12世紀ゴシック建築」の「最高峰」とも言われ、当然のことながら、周辺の文化遺産とともに、ユネスコの「世界遺産」にも登録されています(1991年)。

 

着工が、「1163年」と言われ、主要な建築物は、「1225年」に完成しましたが、その後、南北、2つの塔の建設工事が、「1250年」まで続いたとのことです。最終的な竣工は、「1345年」とも言われていますので、まさに、「気の遠くなるようなお話」です。

 

「日曜の朝」のことですから、当然、「ミサ」が行なわれていました。参加される方々の数も、「相当」なものでしたが、「見学者」の列も、かなり長く続いていました。「聖堂」への入場は、当然「無料」ですが、「整列入場」となります。

 

私は「クリスチャン」ではありませんが、「声楽曲」(「レクイエム」など、「宗教曲」も含みます)を好んで聴いているせいか、入場しても、まったく「違和感」は感じませんでした。「歴史的建造物」が「好き」ということもありますが、とても心が「安らぎ」ます。現在の「社会情勢」では、そんなことも言っていられないのかも知れませんが、このような場所で「安らぎ」を得られないのであれば、「人の世」は、いったい、「どうなってしまった」というのでしょう...。

 

 

中の様子などは、この2つの動画を見ていただければよく分かると思います。

 

私は、いったん外へ出て、「塔」の見学の列に並ぼうと思いました。が、こちらも、やはり、「長蛇の列」...。

 

いったい、どのくらい待たされることになるのか、分かり兼ねる状況でしたので(「入場まで2時間」くらいだったでしょうか...? 1日が終わってしまいそう...)、今回ばかりは、「断念」せざるをえませんでした。これはとても「残念」...。こんなことなら、聖堂の中で、「おみやげ」を買っておけば良かった...。

 

この「ノートルダム大聖堂」は、「0キロポスト」。つまり、「パリから各地への距離」を示すときの「起点」ということにもなっています。

 

大聖堂を出てすぐの「アルコル通り」から、「アルコル橋」を渡って、「市庁舎(オテル・ド・ヴィル)」前へ出ます。

 

「2010年」は、シャルル・ド・ゴール将軍(1890-1970, 後の「大統領」)が、1940年6月15日の「パリ陥落」から3日後の「18日」、脱出先のロンドンで、亡命政府「自由フランス」を結成し、「ナチス・ドイツへの抵抗」を呼びかけてからちょうど「70年」という、まさに「記念の年」に当たりました(「記念式典」が行なわれたこともニュースで見ましたが、当然、当時の「サルコジ大統領」も出席していました)。

 

市庁舎前の広場でも、「ド・ゴール声明70周年」ということで、確か、ド・ゴール将軍の「巨大な肖像画」のようなものを見た憶えがあります。このような、「ヨーロッパの歴史に直接触れるような体験」は、大変、「得難いもの」であったと言うことが出来るでしょう...。

 

次に向かう先は、「ポンピドゥー・センター(国立近代美術館)」です。

元々の所在地名から、「サントル(Centre)・ボーブール」と呼ばれることもあります(「ポンピドゥー」は、この施設を考案した、元大統領の名、「ジョルジュ・ポンピドゥー」に由来します)。

 

「シテ島」から、「市庁舎(オテル・ド・ヴィル)」まで歩いたのですから、この先もう少しでたどり着ける距離ではありますが、「行き」は、この「Hotel de Ville(オテル・ド・ヴィル)」駅から、メトロ11号線で、次の「Rambuteau(ランビュトー)」駅(この駅が「最寄り駅」です)で降り、「帰り」は、「オテル・ド・ヴィル」駅までは「歩いた」と思います。

 

この辺りは、「マレ地区」近辺であり、また、「レ・アル」(「les Halles」。ミシェル・ベルジェ&フランス・ギャルの曲にもあり、昨年8月4日付けで採り上げています。以下にも載せておきましょう...)もすぐ「目の前」であることから、「若者」の姿が非常に多い場所でもあります。まさに、東京で言う、「渋谷」のようなエリアだと言えます。

http://ameblo.jp/daniel-b/entry-12187194612.html

 

「ポンピドゥー・センター」の入場料は、当時は「12ユーロ」でした(現在は「14ユーロ」です)。

 

入場時刻は「12時32分」。「予定通り」で、出場予定時刻も、「15時頃」にしていました。

 

上掲の動画は、本当に、私の記憶の「穴」を埋めてくれる「ナイス」なものと思います。

お台場の「フジテレビ」を思わせる「チューブ・エスカレーター」...そうですね、本当にこうでしたね(「外観」、ちょっと似ていませんか?)。

 

「近代美術館」ですから、「企画展」も、当然、それに沿ったテーマで開催されるのですが、日本では、ちょっと「NG」になるかも知れない絵画が多数展示されていて、ちょっと驚きました。

 

「お国柄」と言ってしまえばそれまでなのですが、同じ頃に入って来た「若い女性たち」(「アジア系」、でも、たぶん、「日本人」...)も、同様に、「驚きの表情」をしていましたね...。仮に、その「画集」を日本に持ち帰った時に、「NGにならないかどうか」、といったことも考えてしまいました。手は出しませんでしたが...。

 

「ポンピドゥー・センター」は、このような「近代的ビル」ですから、その「眺望」も素晴らしいものがあります。2度の旅行でも、やはり行くことのなかった、「モンマルトル」の「サクレ・クール大聖堂」も、確か見えたように思います(「モンマルトル」周辺は、歓楽街「ピガール」も近いことなどから、「治安があまり良くない」、とも聞きます)。

 

先述のように、帰りは、「オテル・ド・ヴィル」駅まで歩きました。そこから「Chatelet(シャトレ)」駅まででも、まったくの「徒歩圏内」ですが、「神経質」なまでに、「無理をしたくなかった」ということと、やはり、「メトロ」を少しでも多く「利用したい」ということは、「頭」にあったと思います。

 

メトロ11号線で次の駅、「シャトレ」は「終点」です。本当は、「乗るまでもない距離」ですけどね。ただ、次に立ち寄る「ポン・ヌフ」までの「総距離」を考えたとき、「一部区間だけでも」という感じでもありました。

 

この「オテル・ド・ヴィル」駅でのことです。私は、ホームにあった「自販機」で、コーラか何かの飲み物(「2ユーロ」。「約260円」です。高い!!)を買って飲んでいたのですが、線路を隔てた、向かいのホーム(「メリー・デ・リラ」方面)のベンチに座って、「アルコール」を飲んでいた「おっちゃん」が、こちらを見て、「無言」で、「乾杯!!」の仕草をしてくるではありませんか!!

 

「日本」でも、あまり経験のない出来事に、正直「え~っ」と思いましたが、これも何かの「縁」だと思って、電車が入ってくるまでの間は、「お相手」することにしました。

 

1度のみならず、2度も3度も、「繰り返し、繰り返し」でしたので、正直「疲れ」ました。本当に、「同じホームでなくて良かった」と思いましたが、「このこと」があったがために、「オテル・ド・ヴィル」駅が、「忘れられない、思い出の駅」となったことも、また「確か」なことです。

 

 

長くなりましたので、この続きは、また次回にしたいと思いますが、同時に、この旅も、いよいよ「終わり」に近付くことになります...。

 

それではまた...。

 

(daniel-b=フランス専門)