「過去旅」について書いています。

 

昨年連載した、2008年の「第1回目」の「パリ&ブリュッセル」に続く、「第2回目」(2010年)の旅行記です。

以下に、これまでの旅行記の「リスト」のページを貼っておきます。

 

http://ameblo.jp/daniel-b/themeentrylist-10097133133.html

 

さて、6月19日土曜日。「最高気温15℃」と、またしても「冷え込む」予報が出されていた、隣国ベルギーの首都ブリュッセルに到着です。

 

パリ北駅10時25分発の「Thalys(タリス) 9423」で出発。「時速300km」を誇る、この「ヨーロッパの新幹線」は、わずか「85分前後」で、その距離「312km」を駆け抜け、ブリュッセル最大のタ-ミナル駅である「南(ミディ)駅」に到着します(仏:Bruxelles-Midi/蘭:Brussel Zuid)。そこから、「在来線」に乗り換えて数分、「地下駅」である「中央駅」に到着しますが、一見「地味」なこの駅こそが、「世界遺産グランプラス」並びに、「小便小僧」、そして、私の「目的地」である「editions Jacques Brel(ジャック・ブレル記念館)」の「最寄り駅」なのです。

 

ブリュッセルの「南駅」から、「中央駅」「北駅」までは、「タリスの乗車券を持っていれば、そのまま乗れる」とか、「無料」とかいう情報を、やはり多く目にします。これで「乗車券」をあらためて買おうものなら、ただの「小心者?」なんでしょうかね...。私は、この2度の旅行では、その情報を「信じる」ことにしましたが、やはり、ちょっと、「自信」が持てないでいます...(パリのメトロの、「抜き打ち検札」のこともありますからね...)。

 

最初の動画(「南駅」)と、次の動画(「中央駅」)は「再掲」となりますが、「駅構内」の様子がよく分かりますので、あらためて載せてみました。

 

 

次の動画は、「中央駅」構内での撮影ですが、純粋に、「素晴らしい!!」と思いましたので、ここに載せておきます(この前の「テロ」のことは、いったん忘れましょう...)。

 

さて、「ブリュッセル」です。

 

最近では、本当に「良い話」を聴くことがありませんが、私にとっては、「シャンソン界3大巨匠」の1人、ジャック・ブレル(1929-78)の生誕地として、それこそ「聖地」も良いところです(当時、「editions Jacques Brel」では、日本で言う、「聖地巡礼マップ」も販売していました...)。

 

ジャック・ブレルは、1953年にパリへ出てからは、晩年に至るまで、フランスが「主な活躍の場」となりました。「全世界」に名が知られるようになったのも、「そのおかげ」だと言えるのですが、そんな中にあっても、「自分はベルギー人」、「フランドル(オランダ系)の歌手」(その「生まれ」に由来しますが、ブレル自身は、「フランス語」の話者、歌手です)などと「公言」していました。このあたりは、本当に、「ベルギーという国の複雑さ」を感じさせますが、単に、「お国自慢」のようにも聴こえて、「微笑ましい」感じでもあるのです。

 

ベルギーのフランス語は、フランスで話されているものとは、少し違うところもあります。「方言」と言えばそれまでですが、「カナダ(ケベック方言)」ほど変化が極端なものではなく、「会話が不便である」という感じは受けません。同様に、「オランダ語」の方も、「ベルギー方言」というものがありますが、こちらは、その細かい「違い」までは、ちょっとよく分かりません。

 

「ベルギーのフランス語」で、最も「特徴的」なのが、「数詞」です。

 

ベルギーでは、「70」のことを、「septante(セプターント)」と言います。フランスでは、「soixante-dix(スワサント・ディス)」、つまり、「60+10」という言い方をしますが、これは、古くの、「20進法」の名残りだとも言われています。

 

フランス語で「6」は、「six(スィス)」、「7」は、「sept(セット)」ですから、ベルギーの方が、「合理的」だという意見もありますが、フランスでは「古語」の扱いで、「いかにもベルギー」のような感じで見られてしまうのも確かなようです(他のフランス語地域でも、使われているところがあります)。

 

同じように、「90」は、「nonante(ノナーント)」(フランスでは、「quatre-vingt-dix(カトル・ヴァン・ディス)=80+10」)と言うそうで、スイスでも使われているということです。

 

「80」に関しては、「huitante(ユイターント)」(「8」が「huit(ユイット)であることから」)と、「octante(オクターント)」という2つの表現があり、ともに、「ベルギーやスイス、カナダで話されている」と、辞書には書いてありますが、実際の話者の中には、ベルギーでも、「80」は、フランスと同じ、「quatre-vingts(カトル・ヴァン)」だと言う人もいます。この表現は、「4×20」という言い方です。

 

これらの表現が「分かる」のが、やはり、ブレルのシャンソンです。彼は、インタビューや、出演した映画の中でまでも、「septante」という表現を、「堂々」と使っていますが、自身は、1978年に他界したため、なかなか、「80」や「90」という表現を聴くことが出来ません。次に挙げる2曲は、「70」と「80」について、ブレルが「どちら」の表現を用いていたか、という点で、大変「興味深いもの」と言えると思います。

 

どちらも、ある意味「問題作」とも言えますが...。

 

まずは、1959年の「les flamandes "フランドルの女たち"」から。

この曲は、「20歳になった"から"、結婚"しなくてはならない"」などという、「既成主義」を皮肉ったもので、「30歳」「70歳」「100歳」といった表現が、次々と出て来ます。その「70歳」の箇所は、「1分25秒」のあたりで、ブレルは、確かに、「septante ans(セプタンタン=70歳)」と言っています。

 

こちらの作品「la...la...la...(ラ・ラ・ラ)」は、1966年の作品です。同年2月の、スイス・ローザンヌでのライヴから。

発表当時は、その歌詞の一部分から、「問題作」だとも騒がれましたが、実際のところは、「自分が年老いた時には、さぞ、イヤな奴になっていることだろうなあ」とかいった内容に過ぎません。

 

ここでは、「2分05秒」のあたりで、「俺と80人の狩人が...」というくだりが出て来ますが、この「80」を、ブレルは、フランス式の「quatre-vingts」で言っています。「huitante」や、「octante」ではありませんよね。これは、ブレルがどちらを用いていたかを知ることが出来る、ほぼ「唯一」の、「貴重な資料」であるとも言えると思います。

 

他の「ベルギー的な表現」については、またあらためて書くことにしましょう。これとは別に、「ブリュッセルなまり」というものがあり、日本で言う、「東北なまり」のようなものかも知れませんが、ブレルは、やたら「強調」して、「カリカチュア(風刺画)」のようになっています。

 

こちらのシャンソン「les bonbons "ボンボン"」(1964)は、その「代表的な例」です(「ブリュッセルなまりを使った」と公言しています)。1965年、ベルギーのテレビ番組での歌唱ですが、この曲の中では、「私の最も好きなパフォーマンス」であると言えます。

 

「語法」でも、「c'est(セ)」を、(わざと)「ca est(サ・エ)」と言ったりしていますが、こちらは、「ベルギー特有の語法」だそうです。

1966年10月の、「最後」のオランピア公演では、「続編」が発表されていまして、その中では、「ブリュッセルなまりも取れた。なまっているのは、テレビに出ているブレルぐらいなものさ」と歌っています。

 

さて、あらためて、「ブリュッセル」です。

 

前回は、その「寒さ」(ダウンジャケットを着て来なかった!!)と、「カードが行方不明」(結局持っていた!!)という、2つの「大ポカ」によって、ブリュッセルは、ほとんど「棒に振った」も同然でした。今回は、そんなわけにはいきません...。

 

「イビス」「カルフール」「ノヴォテル」と、「中央駅」近くには、3つのホテルが立ち並び、それらに囲まれるように、小さな「広場」がありますが、その少し先の右手側に、「Galeries Saint-Hubert(ギャルリー・サン・テュベール)」という、ヨーロッパ最古(1847-)のアーケード街があります。左手側の「コリンヌ通り」に入れば、すぐに「グランプラス」へ着きますが、今回は、まず、この、「ギャルリー・サン・テュベール」を「散策」です。

 

私は、当時のガイドに載っていた、「CD店」を見に行こうと思っていたのですが、「移転」したのか何かで、行った時には、すでに、「別のお店」に替わっていたようでした。というわけで、ついに、どの「店内」にも入ることはなかったのですが、この「最古のアーケード街」は、その「装飾」を見るだけでも、大変「価値のある」ものだと思いました。

 

「グランプラス」に着いた途端、「突然の雨」に見舞われました。事前の「予報」では、「曇り」となっていましたが、さすがは「究極の悪天候男」。こんな、遠い「異国の地」においても、その「能力(?)」は、いかんなく「発揮」されました!!(「自画自賛」...笑)

 

広場にいた人たちも、この「突然の雨」に、本当に驚かれたようで、「雨具」を用意されていなかった方々も、「ほとんど」だったのではないでしょうか。みなさんそれぞれに、近くの建物に「避難する」ように入っていき、広場はしばらく「閑散」とした様子になりました...(やっぱり...「私のせい」でしょうかね...トホホ...)。

 

せっかくなので、私も、屋内に入って「見学」をすることにしました。この「グランプラス」では、まず「王の家」、次いで、「ビール博物館」に入館しました。あともう1つ、「チョコレート博物館」にも入館する予定でいたのですが、時間がなくなってしまいそうだったので、こちらは諦めました。

 

「王の家」と呼ばれていますが、実際に、王様が住んだことはありません。現在は、「市立博物館」となっていて、その「3階」には、有名な「小便小僧」に、世界各国から寄せられた、「衣装」のコレクションが展示されています(もちろん、「日本」からのものもあります。この、すぐ上の動画をご覧ください)。2010年当時の入場料は、手持ちの券では、「2ユーロ50」となっています。

 

かなり長くなってしまいました。

この続きは、また「次回」にしたいと思います。

 

それではまた...。

 

(daniel-b=フランス専門)