「過去旅」について書いています。

思いがけなく「長期連載」となってしまったこの「旅行記」。今回、ついに「最終回」となります。

2008年10月10日金曜日。ついに、パリでの「最後の朝」を迎えることになりました。

思えば、5日日曜日に、「セントレア(中部国際空港)」のホテルに「前泊」した後、翌、6日月曜日に、「初めて」の「出国&国際線」で、いきなり、こ~んなに遠くまでやって来てしまいました(しかも、「たった1人」で...)。

「ムチャ」だということは、最初から分かっていました。でも、「緊張」に耐えながらもここまでやり切りました。そして、ついに、「最終日」なのです!!

「チェックイン」の時にフロントで渡された、ルームナンバーの控えに印刷されていた言葉、「detendez-vous, vous etes chez vous(リラックスしてください。ここは、あなたの家です)」にもかかわらず、「緊張」は、最後まで、ついに抜けることがなかったのです。

最終日の朝の「バー・ラ・セーヌ」(昨年10月17日付け、「その4」参照)。
「2日目」の朝から数えて、「4回目」の朝食(バイキング)ですが、毎朝顔を合わせていた、受付のマダムとも、これでお別れです。「何か挨拶を...」とも思いましたが、気の利いた言葉が浮かんでくるわけでもなく、結局、「何も言えず」のお別れとなってしまいました。この方は、2010年の「2回目」の時はいらっしゃらなかったので、本当にもう、「それっきり」ということです。

部屋に戻り、出発の準備をします。「チェックアウト」は12時。
「初めて」の海外ですから、もう、これ以上の予定は入れてありません。「チェックアウト」後は、そのまま空港へ向かい、かなりの「待ち時間」とはなりますが、後は、空港から一歩も動かない覚悟でいました。

フランスの「テレビ」ともお別れ。この時点では、まだ「再訪」の目途はまったく立っていなかったので、それは本当に、寂しくもありました。

そうしているうちに、「チェックアウト」の時間が近づいてきました。「緊張」は「しまくり」でしたが、いざ、部屋を空けるとなると、寂しい気持ちもあります。「最後」でしたので、私は、メモに「merci Paris!!(ありがとう、パリ!!)」と書き残し、小銭入れに入っていた「1ユーロ」「2ユーロ」の硬貨すべてを、「チップ」として置いていきました。
(ちなみに、当時は、小さな容器に入った「アメニティ・グッズ」は持ち帰り可能でした。中でも、「シャンプー」は、特に、「優れモノ」だと思いました)

本当に、「フロント」も、実に「久しぶり」な感じがしました。

「la note(会計=チェックアウト), s'il vous plait」

と切り出すと、私が「日本人」ということもあって、やはり、「コンニチワ」と言われたような憶えがあります。私は、ほぼ「100%」、この旅行中に、日本語を口にすることはできなかったのに...(ポロっとひと言くらいは出てしまったこともありましたが...)。

フロントの係の方(この日は、若い男性でした)は、支払いが必要な、8日の「クリーニング代」があることを説明し、私は、それをクレジットカードで支払って、無事、「チェックアウト」が完了しました(「室料」については、「ネット予約」の時点で、「支払い済み」です)。「領収書」の時間は、「11時49分」となっていました。

「玄関」へ向かうと、到着時に「早口」でまくしたてた、あの「コワモテ」のおじさんがいました。でも、今回は、「見送り」ということもあるのか、いくぶん「柔和」な感じで、イメージが違って見えます。そう思うと、何だか、本当に「寂しい」気持ちにもなってきました。

案内されたタクシーの運転手さんも、「温和」そうな方でした。スーツケースを積み込み、私自身も車内に乗り込み、いよいよ、この「ノヴォテル・パリ・トゥール・エッフェル」を離れます。
「万感胸に迫る」思いでした。

「Roissy(CDG), s'il vous plait. aerogare "2F"」(「ロワシー(シャルル・ド・ゴール空港)」までお願いします。ターミナル「2F」です)

「OK」

と、このやりとりも、スムーズに通じました。ちょっと、「ホッ」としました...。

(街路樹の紅葉がキレイだな...)

そう思って外を見ていると、運転手さんは、何かに気付いたようで、途中でルートを変えていました。私自身はよく分からなかったのですが、やがて、

「前方で、事故があったんですよ」と、現場の脇を通り過ぎる際、教えてくださいました。
それだけでも、とても素晴らしい、「プロ」の運転手さんなのだと、私は感じました。「外国人」である私にも、とても分かりやすい説明だったからです。

その後は、いよいよ、「パリの街」を離れ、高速道路「A1」に入りますが、まだ「早い時間」ということもあり、まったくの「渋滞知らず」の、スムーズな「ドライブ」となりました。

ここでまた、ちょっとした「失敗」ですが、到着時に、私は、運転手さんに「(vous avez) besoin de facture?」ときかれました。この「facture」の意味がよく分からなかったので、思わず「non」と言ってしまいましたが、この「facture」って、「領収書」のことだったんですね...(辞書には「計算書」「請求書」などと書いてあります)。「recu(ルスュ)」じゃないんだ...。
つまり、運転手さんは、「領収書はご入り用ですか?」ときいていたわけです(もらっておくべきでした...残念...!!)。

(現在の、)つい先ほど確認した、ホテルの領収書にも、「facture」と書かれていました。「正式」に言おうとするなら、こちらの方が「よく使われている」のかも知れません。思えば、「carte de credit(クレジットカード)」も、「carte bancaire」の方が「よく使われている表現」でした(発音も、こちらの方がしやすいです)。やはり、「現地の、ナマの言葉」には、触れておく必要があるんだなあ、と感じる一幕でした。

今回も、「gardez la monnaie(ギャルデ・ラ・モネ)」(「お釣りは取っておいてください」)という「魔法の言葉」とともに、「50ユーロ」のお札を手渡し、車を降りました(スム-ズな走行であれば、昨年10月6日付の「その2」に書いたように、おおむね50ユーロかと思いますが、現在は「値上がり」している可能性もあります)。

ボストンバッグと、スーツケースを手に、私は空港内に入りました(「2回目」の時と違って、「chariot(シャリオ=カート)」は使いませんでした)。

12時までには「ホテル」を出たのですから、時刻はまだ、13時よりも「前」だったはずです。
私の搭乗する便は、「18時ちょうど」の出発。「JAL438/AF296便」は、日本航空の機材で運航される「コードシェア便」となります(私は、「エールフランス」のビジネスクラス割引運賃での予約です)。「チェックイン」は、おおむね、出発の3時間前から(「リミット」は、「1時間前」までです)。つまりは、「チェックイン開始」までにも、2時間以上は、「時間が空いてしまった」、ということです。

これはかなり「苦痛」でした。荷物があるので、自由に動き回ることもできません。とりあえず、「免税手続き」のカウンターへ、書類にハンコをもらいには行きましたが、以降は、ほぼ、カウンター前の椅子に「座ったまま」ということになりました。この後、「制限エリア内」へ入る前に、「RELAY(ルレ)」という、空港内のコンビニ(だったと思います)で、旅の終わりの記念に、フランスの「テレビガイド」雑誌を2種類購入したことは、昨年10月10日付の「その3」にも書いた通りです(多分、チェックインの「前」、だったかな...?)。

15時をまわり、ようやく、「チェックイン」開始となりました。「日本航空」のカウンターへ赴き、「eチケット」「パスポート」とともに、預け入れるスーツケースを、係員に差し出しました。

すると、いかにも「現地採用」、といった感じの若い女性係員が、いきなり、「流暢な日本語」で私に話しかけ、応対をしてくださいました。

「えっ?」と一瞬思いましたが、「ネイティブ?」と思うほどの、いや、「それ以上」かも知れない、「明瞭で、美しい」発音の方でした。私は、ここで、「ついに、日本語が使える!!(=解禁)」と思い、本当に久しぶりに、「日本語」で会話をしました。この段階では、まだ「フランス国内」ですが、「緊張の極限状態」は、これで、かなり「和らいだ」と思います。一方、荷物をチェックしてくださった「マダム」は、「無言」ではありましたが、重量が、制限の「30kg」以内に収まったことを確認すると、とても「品の良い」、「爽やかな笑顔」を、私に返してくださいました。

さて、こうなれば後は、いよいよ「制限エリア」に入るわけですが、この「シャルル・ド・ゴール空港」では、日本の空港とは「逆」で、まず先に、「出国審査」を行います(「保安検査」は、搭乗の直前です)。この列が、結構長く続いていて、進むまでに、意外と時間がかかるのです。最初に到着したときも、この列が見えていたくらいでした。この空港を利用するならば、やはり、かなりの「余裕時間」は見込む必要があります。

そうしていると、近くにいた人の脇で、「日本語」で話す、「ガイド」と思われる女性の方が同行しているのを目にしました。多分、ツアーの添乗員ではなくて、「現地採用」のガイドさんなのだろうと思います。「現地フリー」のプランでも、「空港・ホテル」間は、「専用車でガイド付き」というのが確かあったはずなので、つまりは、そういうことなのでしょう。私のように、完全なる「おひとりさま」では、「追加料金に次ぐ追加料金」で、結局、安くは「なりません」。それどころか、完全に、「表示価格と違う」ので、「やめた!」という経緯があります。「人の苦労も知らずに...恵まれているものだな...」というのが、「正直な気持ち」でしたね。

この日の「出国」のスタンプは押されていないようですが、ここを抜けたことで、「形的」には、もう、「フランス」ではありません。

かつては「未来的」と言われた、「ターミナル1」(「全日空」は、こちらに発着します。2010年の時はこちらを利用しました)をはるかに凌ぐ、「超近代的」なこの「ターミナル2F」(現在、「日本航空」は、「2E」に発着します)。私は、どちらのターミナルも「大好き」なので、行きと帰りとで「分けたい」とも思いますが、航空会社の「制約」で、実現は、なかなか難しそうです。

国際線のターミナルには、「募金箱」があり、「不要」となった小銭を寄付できるので、「一石二鳥」とも言えますが、それを初めて見たのが、この空港でした(「成田」にもありますよね。CDGの「ターミナル1」では、ついに、見つけることができませんでした)。

「免税店」がズラリと立ち並びますが、不思議と、「買いたいもの」は何もありませんでした。
「街なか」で、かなりの買い物をしていたこともありますが、唯一入った「リカーショップ」でも、かつて購入していた値段からは、逆に、「ほど遠く、高く」なってしまっていたので、急速に興味を失いました。出発時の「セントレア」で購入した、「カミュ ボルドリ XO」(昨年10月5日付、「その1」参照)がまだ残っていたので、結局、ここでは、何も、手を出すことなく終わってしまったのです。

「ラウンジ」での思い出は、実は、「サッカーワールドカップ」を観戦していた「2010年」の時の方が強くて、今回の旅行での記憶はかなり「薄れて」います。そこが、多少「もどかしい」ところではあります。

日本の空港とは違い、この後に「保安検査」があります。一見「合理的」にも思えますが、「乗客」としては、こんな煩わしいことはありません。

それでも、ついに「機内」へ乗り込みます。この、「初めてづくし」だった「大冒険」も、ひとまずは「終わり」の時を迎えるのです。

ここは、「新千歳」でも、「羽田」でも、「セントレア」でもありません。「パリ・シャルル・ド・ゴール空港」なのです。日本では、もう、翌日の午前1時になっています。「万感の想い」を胸に、ついに、「フランスの大地」から、「テイクオフ(離陸)!」です!!

この便は、オランダを過ぎるあたりまでは、かなり「低空」を飛んでいたような印象があります。空も、「ラッシュ・アワー」だったのでしょう。これから「12時間」の空の旅は、来た時とは逆で、太陽からはどんどん遠ざかり、東の空から、翌朝の太陽が昇るのを待つ形となります。
夕食時に飲んだ「シャンパン」の影響で、私は、ほどなく「眠り」についてしまいました。
翌朝、朝日とともに「日本」が近づき、やがて出された「温かい日本茶」と、眼下に見えた「富士山」が、「この旅の終わり」を、私に告げていたように思いました。

「セントレア」に到着すると、「F1日本グランプリ(鈴鹿)」開催中ということで、ここでもイベントが行われていました。そう言えば、「パリ最終日」の昨日、向こうのテレビでも、「生中継」の予告が入っていましたっけ...。普段は、主に「ヨーロッパ」からの中継を見ている「F1」。明日の決勝は、「こちらから」ヨーロッパへと発信されるわけです。そして、これは、いよいよ「3年後」に迫った「東京オリンピック」でも、同じことですよね...。

というわけで、全13回という「超大作」となってしまったこの旅行記も、ひとまずここで「終了」とさせていただきたいと思います。本当に、みなさんにも、「多大なる支援」をいただいたおかげで、今回の「完結」まで書き切ることができたと思っています。本当にありがとうございました。「2010年」の旅行記についても、またいずれ書きたいと思いますが、大体の情報は、ここに書いた通りですので、さすがに、ここまで長くなることはないと思います。

さて、この旅行記の締めくくりに選んだシャンソンは、前回に引き続き、バルバラ(1930-97)の名曲を。多くの方に知られているとは言い難いですが、パリで最後に乗ったタクシーの車窓から見た「紅葉」に、この歌のフレーズが、ふと心に浮かんできたのです。

「こんなのまったく見たことがない まったく見たことがない
私は秋を見たいの あなたと一緒の秋を...」

1968年発表のアルバムに収録された曲で、「gueule de nuit "夜の顔"」。

それではまた...。

MERCI MILLE FOIS!!

Au revoir, a bientot!!

(daniel-b=フランス専門)