「過去旅」について書いています。

第1回目のパリ&ブリュッセル(2008年)の旅行記も、ついに「大詰め」。前回は、国際高速列車「Thalys(タリス)」にて、国境を越えて、ベルギーの首都、「ブリュッセル」入りするまでを書きました。今回は、いよいよ、その「街なか」へ足を踏み出すことになります。

乗り換えた在来線の列車で、「北駅」まで乗り過ごすも、すぐの列車で折り返し、無事、「中央駅」にたどり着くことができました(ここに載せた映像を見ても分かるように、「総武・横須賀線」の駅のような感じがします)。

「南駅」に比べると、日中は、本当に「寂しい」感じもする駅構内です。「改札フリー」なこともあってか、駅員の姿すら見えず、さながら、「無人駅」のような感じすらしました(とは言っても、1日の利用者数は、「14万人」にもなるそうですが...)。

中央駅の地下通路は「長い」とも感じましたが、グーグルマップの「ストリートビュー」で見る限りは、「街なか」につながっているようにも見えません。「イビス」「カルフール」「ノヴォテル」という3つのホテルの前にある「広場」はよく憶えていますが、次に行くときは、もしかすると、駅前で「迷ってしまう」かも...(当時は、駅を出たら「左の道へ進む」とか、あらかじめ頭に入れていたのかも知れません)。

3つのホテルの立ち並ぶこの広場の先は、右手に「Galeries Saint-Hubert(ギャラリー・サンテュベール)」という、ヨーロッパ最古(1847-)のアーケード街があります。こちらへは、「2回目」(2010年)の時に訪れています。

これとは反対側の、左手に進んだ先に、「世界遺産」でもある、「Grand-Place(グラン・プラス)」(オランダ語では、「Grote Markt」と書きます)があります。文豪ヴィクトル・ユーゴー(1802-85)が、この広場について、「世界で最も美しい広場」と称賛したこともよく知られています。

「市庁舎」「王の家」「ブラバン公の館」など、それぞれが、「歴史」を感じさせる建造物です。この2008年の時は、「外観」のみの観光に終わりましたが、「2回目」(2010年)の時に、「王の家」(「市立博物館」です。「小便小僧」のための「衣装」が展示されています)、および、「ベルギー・ビール醸造博物館」へ立ち寄りました。

「グラン・プラス」を出て、「Manneken Pis(小便小僧)」へ向かう際、「セルクラースの像」にも出合います。セルクラースは、14世紀に実在した「英雄」で、この像に触れると「幸せになる」とも言われています。

商店の立ち並ぶ、「エテューヴ通り」を進むと、やがて、「小便小僧」(1619-)の像が見えてきます。

別名「ジュリアン君」とも呼ばれるこの像は、かつて、ブリュッセルの街に爆薬が仕掛けられた際、爆破寸前に、「おしっこ」をかけて導火線の火を消し止めた、その「勇気」を讃えて作られたものだと言います(諸説あります)。
世界各地から、「衣装」も寄贈されていますが、それが「王の家(市立博物館)」に展示されていることは、先述の通りです。

さあ、ここまで来たら、次は、「左」へ曲がり、緩やかな坂を登って行きます。「シェンヌ通り」というそうですが、「州庁舎」の裏手に当たります。この坂を登りきったところに、「ヴィエイユ・アル・オー・ブレ」(「旧小麦卸売市場」という意味です)という小さな広場がありますが、この一角に、今回の旅の、最終目的地、「editions Jacques Brel」があります。

これまでにも書いている通り、少年時代より、私に多大な影響を与えた、フランス・シャンソン界の「3大巨匠」の1人、ジャック・ブレル(1929-78)は、ブリュッセル(スカールベーク地区)の出身で、現在は、この場所に「記念館」があります(映像にも出てくる、ブレルの次女フランスさんが立ち上げた、「財団」による運営です)。

元国王、ボードワン1世陛下(1930-93)も「大ファン」だったという、ジャック・ブレル。この日、10月9日は、彼の「命日」、それも、「没後30周年」という記念すべき年の「命日」です。私が入場した時刻は「13時19分」となっていましたが、もしかすると、午前中には、「取材」が入っていたかもしれません(現在では、12時から18時の開館となっていますが、当時は10時開館でした)。

「ミュージアム」ではなく、「展示(エクスポジション)」との説明がありました。つまり、規模としては、まったく大きいものではありません。当時は、直前に一旦閉館して、「展示替え」を行なっていましたが、その後は、大幅なリニューアルの情報は入ってきていません。

その展示のテーマと言うのが、「J'AIME LES BELGES!(私は、ベルギー人が好きだ!)」。1971年、マリン・リゾート地として有名な、「クノック・ヘイスト」で行なわれたインタビューの中での言葉が元になっています。

当時の入場料は8ユーロでした。しかし、私はここで、またしても、「大ポカ」をやらかしてしまうのです(もっと落ち着いていれば、こんなことにはならなかったのに...)。

先に「ネタばらし」をしてしまうと、「安全」のため、腰に、シャツの下から巻いていたセキュリティ・ベルトのポケット部分が裏返っていたようで、手探りでは、「入れていたはず」のクレジットカードが、どこにも見つからなかったのです。

「まさか紛失? それとも入れ忘れ?」

そんなはずもないのに(パスポートも入れてあるのに...)、こんなところまで来て「焦りまくり」です。さすがに、ベルトを晒してしまうと、「セキュリティ」の意味がありませんので、仕方ありません。ポケットに入れていた、「非常用」の現金を使うことにしました(当然、その後の「買い物」も、現金で買える範囲のものにとどまりました...)。

「entrez?(入りますか?)」と、係のお兄さん(この方は、2010年の時もいらっしゃいましたが、なかなか「イケメン」だったと思います。米ドラマ「FRINGE」ピーター役の、ジョシュア・ジャクソンみたいな感じ?)にきかれたので、実際、もう、迷ってるヒマもなかったのです。入場料を払うと、リーフレットの他に、「没後30周年」を記念したカードもあわせて手渡されました。

最悪、ここまで来て「入場できない」という事態だけは免れましたが、これでも、「泣きたいくらいの大事」でした。確実に「カードをなくした」という確証が持てなかったので、カード会社への連絡はしませんでしたが...(本当なら、「緊急」で「する」のが筋でしょう...。ですが、私のサインは、日本語、「漢字」です。早々、不正に使われることはないと思っていました)。

展示室へ入ると、確かに規模は、まったく大きなものではありませんでしたが、ここでしか「見れない」、または「聴けない」資料が「豊富にある」とは感じました。ここに来た意味は、確かに「ありました」。

2010年に訪れた「2回目」の時は、音声が、「オーディオガイド」でしか聴けなかったようで、現在ではどうなっているのかは確認してみないと分かりません(当館のサイト自体も、リニューアルされてからは、残念ながら「分かりにくく」なってしまいました...)。

とまあ、そんな「ネガティブ」な情報ばかり書いていても仕方がありません。「細部」はさすがに憶えていませんが、展示の概要について少し書いてみましょう。

入ってすぐぐらいだと思いますが、まず、「楽屋」をイメージした展示があり、近くで、「音声」による展示もありました。「それ」を初めて耳にしたのですが、程なく、それが何であるかが、私には分かりました。本当に、ここをわざわざ訪問するくらいの「マニア」にしか分からないようなレベルだと思いますが、それは、「最晩年の未発表作」の1つだったのです!!

「最晩年の未発表作」(1977)と言っても、2003年(没後25周年)の時点で、5曲の「シャンソン」の「封印」は、ついに解かれています。これらの曲も、その「存在」を、「知る人」と、「知らない人」に分かれているのは当然のことですが、すでに「CD化」されていますので、それを手に入れさえすれば、誰でも、聴くことは「可能」です(ちなみに、1982年発売のアナログ盤ベストのライナーでは、永田文夫先生が、最晩年のアルバム「les Marquises」について、「17曲の新作を録音。うち、12曲を収録したアルバムが...」と、はっきり書いています)。

ですが、その5曲の他に、2編の「モノローグ」が存在することはあまり知られていません。
「le docteur "ドクター"」「histoire francaise "フランスのお話"」というタイトルで、ブレルの全詞集「Tout Brel」には掲載されています。
両作品とも、「ブリュッセルなまり」による作品で、「賛否」は、当然分かれると思いますが、少なくとも、「貴重」なものに違いはないでしょう。

ここでの展示では、「le docteur "ドクター"」の方が使用されていました。実にユーモラスな1編で、日本で言う「落語」のような感じでしょうか。ブレルの「語り口」もとても面白く、他のお客さん(フランス語のネイティブの方)たちも、それを聴いて笑っていました。
この作品は、現在では、2013年(没後35周年)に発売された最新版の大全集「suivre l'etoile」にて聴くことが出来ます。

「histoire francaise」に関しては、現在、CDでの発売はありませんが、当館監修で、この展示の「音声版図録」とも言うべきDVD、「J'AIME LES BELGES!」(2008年9月発売。ここにも載せてあります。この中で聴ける「コメント」などは、当館で、実際に聴けるものばかりです)の「24分ころ」から聴くことができます。バックに流れる「笑いっぱなし」の声がそれです。

この他の展示では、ブレルの「直筆原稿」などもあり、興味をそそられます。

最後の部屋(だったか、最初の部屋だったか...)では、1968年の名作、「regarde bien petit "ごらんよ坊や"」のMVが流れていました。
ここにも載せてみましたが、いずれ、改めて、正式に採り上げてみたいとも思っています。

この曲は、同じ年に発表された「j'arrive "孤独への道"」(「最高傑作」との呼び声も高いです)と「双璧」をなす「大傑作」と言うこともできます。
この歌で語られるのは、言ってみれば「白昼夢」のようなものです。「坊や」がそこで見てしまったものはいったい何だったのか。大人は、自分の見ていたものも、「いや、違う。そうではないはずだ」と次々と否定していくのですが...。

こう書くと、何か「ホラー」めいた曲にも思えますが(ある意味「正しい」のですが...)、それよりも、その「描写力」が、とにかく「高度」で素晴らしいと感じます。ほとんど「絵画」の世界で、それは、彼の故郷ベルギーの、「フランドル地方」の風景を思い出させてくれます。

...さて、展示室から出た私ですが、カードが使えない以上は、買えても、せいぜい「50ユーロ」が限度...。
ポケットに入れてある「非常用」の現金も、もう、残りはわずかです...。
「Thalys(タリス)」の「1等車」で往復する割には、とても「お寒い」状況です...。

私は、目の前にあった1冊の本に目が留まりました。
ブレルのシャンソン「les vieux "老夫婦"」(1963)をもとに描かれた、ガブリエル・ヴァンサンによる絵本です。日本でも発売され、その「リアルさ」が話題となったので、知っている方も多いと思います。
私は、この本とCD1枚、計42ユーロの買い物で、この館を後にしました。レシートの時刻は14時35分、帰りの「Thalys(タリス)」は、南駅を17時43分発...。

今日のブリュッセルは、最高でも13℃...。昨日のパリの暖かさ(19℃)とは打って変わって「寒い」1日となりました。それなのに、「ダウンジャケット」も持って来ず...(この後、風邪をひいたことは、言うまでもありません)。

日本への最後の国際電話は、この館の前の広場のベンチにて、21時45分(現地時間14時45分)から9分33秒でした。
この時点では、まだ「カード」が見当たらなかったので、街なかへ出る気も起こらず、寒さをこらえて、ずっと、このベンチで、時が経つのを待っていました(ちょっとミジメ...)。
館の前では、「ブレルマニア」と思われる青年が、ずっと「写真」を撮っていました...。

ものすごく長くなってしまいました。この旅行記ももう、ホントにあと少しで「完結」なのですが、この時点で、「越年」が決定のようです...(トホホ...)。

それではまた...。

(daniel-b=フランス専門)