今回も、最初の予定を変更しての記事となりますが、これを書けることは、とても「嬉しく」、「光栄」にも思います。

本日、午前1時51分配信の、最新の「パラリンピック」のニュースです。

自転車競技「H5(男子ハンドサイクル個人ロード)タイムトライアル」において、「元F1ドライバー」の、アレッサンドロ(アレックス)・ザナルディさん(1966-, イタリア出身)が優勝、「金メダル」を獲得したというものです。

「アレッサンドロ」と言うよりは、私には、アメリカ・CARTでの愛称「アレックス」の方が、馴染み深いのですが、彼との「出合い」は、20年近く前にさかのぼります。

1998年頃でしたか、我が家に「CATV」が入り、「BS」「CS」を含めて、見れるチャンネル数が、飛躍的に増大しました(当時は、当然、まだアナログです)。

「ESPN」は、現在では、ディズニーの傘下にある、「ABC」系列の、スポーツ専門チャンネルです。
私は、深夜に、当時の、そのすべてのチャンネルを回して、どのような放送が入っているのかを、何回か確認しました。
海外の、特に、「英語」による放送は、とても魅力的でした。「二か国語」の放送も、当時の地上波では、まだそれほど「一般的」ではなかったからです。
「CNN」もよく見ていましたが、最終的に、「ESPN」に「固定」されたのは、深夜に放送されていた、「CART」の中継が「魅力」だったからでした。

「CART」は、いわゆる「レーシング・カート(kart)」のことではありません。
「C.A.R.T.」と、区切って書くのが「正式」で、「チャンピオンシップ・オート・レーシング・チームズ」の略となります。「オープンホイール(いわゆる「フォーミュラ・カー」)」のカテゴリーでは、北米大陸でトップ。ヨーロッパ中心の「F1(フォーミュラ・ワン)」と並んで、「世界最高峰」のレース・シリーズと言われていました(異論もありますが...)。

CARTは、その後の「内紛」で、過去に分裂した「インディ・レーシング・リーグ(IRL)」に、次第にその地位を「逆転」されてしまいます。「チャンプカー・ワールド・シリーズ」として存続を図るも、2007年のシーズンを最後に、(「インディカー」に吸収される形で)その歴史に「幕」を閉じました。

アレックス・ザナルディさんは、正確に言えば、私が「正式」に観戦を始める「2000年」よりも前に「全盛」だった人ではありますが、何戦かは、確かに見ていましたから、「きっかけ」には違いありません。
1997年、98年に、2年連続で、CARTでの「総合優勝(シリーズ・チャンピオン)」を果たしています。
その走りは、「韋駄天(いだてん)」とも呼ばれ、勝利の喜びを表す「ドーナツ(スピン)・ターン」も有名でした。

この「CART」での活躍もあり、1999年には、5年ぶりに「F1」に復帰しますが、「相性」が悪いのか、F1では、思うような成績を残すことはできず、1年でシートを降りることになってしまいました。

1年の休養ののち、アレックスさんは、再びCARTに復帰します(2001年)。古巣のチップ・ガナッシのチームではなく、その名エンジニアであったモーリス・ナンが立ち上げた新チームでの「再スタート」です。しかし、やはり、その「ブランク」のせいか、まったく思うような走りが出来ずにいました。

2001年のシーズンは、私自身も、栃木県の「ツインリンクもてぎ」で行なわれた、シリーズ第5戦(もちろん「公式戦」です。当時、エンジン供給元の1つであったホンダの、「ホーム・サーキット」です)を観戦しに行くなど、CART自体も、私の関心自体も「最高の年」であったと言えます。

その2001年と言えば、あの「9.11」が思い出されます。あの日から、もう、今年で「15年」ともなります。
モータースポーツ界にも、当然、「激震」が走りました。

「初」のヨーロッパ戦となる、9月15日の「ラウジッツリンク」(ドイツ。「ユーロ・スピードウェイ」とも)でのレースは、事件直後で、開催も危ぶまれましたが、「2001 アメリカン・メモリアル」と題されて、予定通り、行なわれることになりました。

このレースでは、アレックスさんは、久々に快調な走りを見せ、「優勝」も狙える位置につけていました。しかし、残り約10周となったところで、給油、タイヤ交換(いわゆる「ピット・ストップ」)を終えて、コース上に戻ろうとしたところ、合流地点手前で「スピン」してしまい、放り出されるようにコースへ入ってしまいました。そこへ、アレックス・タグリアーニさん(カナダ)のマシンが、突っ込んでしまったのです。ブレーキをかける間もない出来事ですから、「レーシング・スピード」の、時速200マイル(約320キロ)での激突に、マシンは「大破」してしまいました。

実は、当時の生中継(国際映像)では、この場面では「CM」が入っていて、その様子は流されませんでした。事態の、あまりの「深刻さ」からか、CM明けも「リプレイ」が流されることはまったくなく、その国際映像を元に実況している、日本語版のキャスターも、まったく状況がつかめないままでいました。
ほどなくレースも終了し、放送もそのまま終了となりましたが、事態は、本当に「深刻」でした。

このレースの模様は、NHK-BS1でも後日放送され、そちらでは、そのシーンは、「ノーカット」で流されました。

この「大事故」により、アレックスさんは、両足が切断された状態で、「出血多量」により、すぐにも、生命が「危険」な状態だったそうです。今でも、よく助かったものだと思います。
(この事故は、翌日行なわれた、「F1イタリアグランプリ」にも波紋を投げかけました)

1999年には、ゴンザロ・ロドリゲスさん、グレッグ・ムーアさんという、2名の若いドライバーが、事故により亡くなりました。それ以来、「安全面」での対策は進んでいたはずなのですが...(それでも、F1関係者から言わせると「まだまだ恐い」そうです)。

当時の雑誌でだったと思いますが、アレックスさんへの「応援の手紙」が募集されていました。
アメリカのインディアナポリス宛てで、「テロ事件直後」のため、「届かない可能性もある」と、郵便局では言われましたが、私は、居ても立ってもいられず、辞書を見ながら、拙い英語と、ごく一部、イタリア語も混ぜて、その手紙を書きました。

その後、アレックスさんは、まさに「奇跡」の回復を見せ、その姿を再び私たちの前に現わすことになったのです。
レースへの情熱は、いささかも衰えることがなく、加えて、その「陽気」なイタリア人気質に、私の方が助けられた思いでした。
2003年5月11日には、事故に遭った「ラウジッツリンク」で、特別仕様のマシンに乗り、2001年当時に走れなかった残りの周回数を走り切りました。

義足でマシンに乗り、アレックスさんは、見事、レースの現場に復帰します。
2005年には、第6回ローレウス・スポーツ賞の「カムバック賞」を受賞しました。

2009年を最後に、モータースポーツからは引退しますが、並行して取り組んでいたという「ハンドサイクル」に、「パラリンピックを目指す」ということで、本格的に「転向」することになります。
2010年には、「ローママラソン」のハンドサイクリング部門で優勝し、2012年のロンドン・パラリンピックでは、2種目で「金メダル」、他1種目で「銀メダル」を獲得しています。

そして現在に至り、久々に聞いた嬉しいニュースが、今回の、この「金メダル」だったのです。

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以下は、2007年の夏に、遅ればせながらもいただいた、応援の手紙の「返事」です(実物をアップできなくてごめんなさい。イタリアから届きました)。

Dear Friend,

I will begin this mine with my apologize as it took so long to answer you.
Alongside with all the others, the letter you wrote me after the accident I had in Germany, was part of that energy that have leaded me onto a quick and surprising return to life.
Although long time has gone past, this does not mean I did not appreciate your gesture at the time. In fact, I'm really grateful for your support and I though it could had been important for you to know it.

Once more, thank you!

Alessandro
(この下に、直筆で署名があります)

親愛なる友へ、

はじめに、返事がかなり遅れてしまったことをお詫び申し上げます。
他のみなさま方同様、私がドイツで事故に遭った際、あなたの書いてくださった手紙は、エネルギーの一部となって、驚くほど早く、日常生活への復帰へと私を導いてくれました。
しかしながら、長い時間が過ぎてしまい、その言葉はもう意味を持たないでしょう。私は当時、みなさまの好意にお応えすることができなかったのです。でも実際は、あなた方のサポートに本当に感謝しているのです。それを知ることこそが、重要だったのかも知れません。

もう一度、ありがとう!

アレッサンドロ

(daniel-b=フランス専門)