本日8月24日は、シャンソン界の3大巨匠の1人、レオ・フェレ(1916-1993)の「誕生日」です。

フランスの「革命記念日」である、7月14日が「命日」であることはすでにお話ししていますが(7月17日付け)、本日は「誕生日」。しかも、「生誕100周年」の記念の年に当たります。

前回書いた時には、この「生誕100周年」がすっかり頭の中から抜け落ちていて、その後しばらくしてから気付いたという有様です。まあ、でも、そのために、本日忘れずに書こうと準備してきたのも確かなことではありますが...。

レオ・フェレという方は、「巨匠」とは言っても、実は、人に紹介するのが「とても難しい」方でもあります。同じく「3大巨匠」と呼ばれる2人、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)にしても、ジャック・ブレル(1929-78)にしても、その「代表作」を、「ストレート」に紹介するだけで、ある程度は理解してもらえます。また、そういった曲が「多い」ことも「強み」となっています。

レオ・フェレの場合、なぜ「難しい」のか。一言で言ってしまうと、「歌詞に過激なところもあるから」なのです。もちろん、それは「表面的」な部分だけをとってのことですから、それだけでは、「お叱り」を受けてしまいます。ですが、その「内面」にこそある「真価」、孤高の詩人の「孤独」や「憂鬱」は、一朝一夕にして理解できるものでもありません。

私も「失念」していたように、「3大巨匠」の中では最も活動期間が長かったにもかかわらず、「生誕100周年」と言っても、それほど盛り上がっている様子も見られません。「偉大な人」と言われてはいますが、最も「孤独」を感じていたのは、やはり、このレオ・フェレ本人だったのかも知れません。

レオ・フェレは、1968年の、いわゆる「5月革命」の頃に、若者の「救世主(メサイア)」的存在と呼ばれていました。時代の波に乗り、ロック・グループ「ZOO」との共演も話題となりました。その当時の代表作の1つ「le chien "犬"」などは、「歌」というよりは、「演説」そのものと言っても良いかも知れません。彼には、そうした作品が他にも、いくつもありますから、このような「場」で紹介するには難しい面もあるのです(もちろん、「美しい曲」もありますが...)。

それも1つの「顔」であるならば、「詩の心を大切にする」という、「もう1つの顔」もあります。彼は、自作の詞だけではなく、有名な詩人の詩に自ら曲を付けて歌ってもいました(ヴェルレーヌやランボー、アラゴン、ボードレールなど)。アラゴンなどは、ブラッサンスも曲を付けて歌っていますから、フェレが彼をライバル視していたこともまた「事実」です(同じ詩への、別々の付曲というのは、さすがにないようです)。

レオ・フェレは、その、「憂い」の感じられる声の音色から、「秋から冬」というイメージがあります。最も有名な代表作「avec le temps "時の流れに"」(1971)も、「晩秋」というイメージがありますから、採り上げるのは、またその時にしましょう。

ここでは、まず、彼の代表作の1つ、「la vie d'artiste "芸術家の人生"」(1950-72)を採り上げました。この曲は最初に発表されたのが1950年(もともと「オペラ」の作品として書かれました。フランシス・クロードとの共作です)で、その後3回再録音していますが、この、ピアノの弾き語りヴァージョン(朗唱版)は、その最後の1972年に発表されました。この映像は、1984年のテアトル・デ・シャンゼリゼ公演からのものです。

次いで、有名詩人の詩への付曲作品として、ヴェルレーヌの詩による「chanson d'automne "秋の歌(落葉)"」(1964)、アポリネールの詩による「le pont Mirabeau "ミラボー橋"」(1953、最初期の作品です。後の歌唱からは想像もつかないほど、「朗々」かつ、「淡々」とした語り口です)をどうぞ。後者の日本語訳は、歌人・塚本邦雄(1920-2005)の手によりますが、他に、堀口大學(1892-1981)の名訳もあります。
「chanson d'automne」は、以下に挙げる、上田敏(1874-1916)の名訳が有名です。

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chanson d'automne 秋の歌(落葉) 詩:ポール・ヴェルレーヌ(上田敏訳)

(*)les sanglos longs
des violons
de l'automne
blessent mon coeur
d'une langueur
monotone

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し

tout suffocant
et bleme, quand
sonne l'heure,
je me souviens
des jours anciens
et je pleure

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや

et je m'en vais
au vent mauvais
qui m'emporte
de-ci, de-la,
pareille a la
feuille morte

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな

(*)refrain

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「le pont Mirabeau」は、マルク・ラヴォワーヌ(1962-)が、2001年に、自身の作曲で発表したヴァージョンもあります(レオ・フェレの曲とは無関係です。彼に限らず、この作品には、いくつかの別の曲があります)。彼は、この曲を、2003年1月のオランピア劇場公演でも歌っています。

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最後に、「la vie d'artiste "芸術家の人生"」の歌詞も載せておきたいと思います(シャルル・アズナヴールの1965年の名作、「la boheme "ラ・ボエーム"」とも共通するテーマだと言えます)。

je t'ai rencontree par hasard,
ici, ailleurs ou autre part
il se peut que tu t'en souviennes
sans se connaitre on s'est aimes
et meme si ce n'est pas vrai
il faut croire a l'histoire ancienne
je t'ai donne ce que j'avais
de quoi chanter, de quoi rever
et tu croyais en ma boheme
mais, si tu pensais a vingt ans
qu'on peut vivre de l'air du temps
ton point de vue n'est plus le meme

君に出会ったのは偶然のこと
ここか、あそこ。または他のところで...。
君は思い出してくれるかもしれない
互いに、よく知ることもなしに愛し合った
たとえ、それが本当でなくても
昔の話を信じなくてはならない
私は、持っているものすべてを君にあげた
歌うこと、夢みることに必要なことを
君は、私の「気まま」な暮らしを信じていた
でも、20歳の頃には、君も
霞を食ってでも生きていけると思っていたが、
今では、もう、そうは思っていない...

cette fameuse fin du mois
qui depuis qu'on est toi et moi
nous revient sept fois par semaine
et nos soirees sans cinema
et mon succes qui ne vient pas
et notre pitance incertaine
tu vois je n'ai pas oublie
dans ce bilan triste a pleurer
qui constate notre faillite
"il te reste encore de beaux jours
profites-en mon pauvre amour,
les belles annees passent vite"

私たちが「きみとぼく」になってから、
あの「月末」(の支払い)が...
週に7回も訪れることになった
夜に映画を見ることもなく
成功などやってくることもなく
粗末な食事すらままならなかった...
私は、何も忘れてはいないよ
私たちの挫折を証明する
この、泣けるほど悲しい「収支報告書」の中身を
「君にはまだ素晴らしい日々が残されている
それを無駄にはしないで、哀れな恋人よ
素晴らしい日々は、早く過ぎ去っていくものだから...」

et maintenant, tu vas partir
tous les deux nous allons vieillir
chacun pour soi, comme c'est triste
tu peux remporter le phono,
moi, je conserve le piano
je continue ma vie d'artiste
plus tard sans trop savoir pourquoi
un etranger, un maladroit,
lisant mon nom sur une affiche
te parlera de mes succes,
mais un peu triste toi qui sais
tu lui diras que "je m'en fiche...
que je m'en fiche..."

そして今、君は出ていくんだね...
これから先は、2人とも、それぞれに年老いていく...
なんて悲しいこと
レコードプレイヤーを持ってお行き
私は、ピアノをもらう...
そうして、私は「芸術家の人生」を続けるのだ
ずっと後になって、なぜかも分からず
不器用な、見知らぬ男が
ポスターの私の名を読んで
君に、「私の成功」について話すことだろう...
だけど、「先刻承知済み」の君は、少し悲しそうに
その男に言うだろう「そんなことどうでもいい
私には関係ないわ...」と...。

(daniel-b=フランス専門)