それはつい先日、5月1日のことでした。
前回書いたように、ユトリロさんのブログで、ジュリエット・グレコさんの「最後」の来日公演が「中止」になったことを知り、とりあえず、「コメント」だけ残して、その場は寝ることにしました(4月30日の深夜、日付けが変わったころです)。

朝になってもう1度そのブログを読み、「いいね! した人」のリストの中から、ユトリロさんの「もっとも近い知人」と思われます、「ホブ」さんのブログへも「お邪魔」をさせていただきました。

その時の最新の記事は、4月24日付けのものでしたが、タイトルが、「最近気になるシャンソン歌手」というものでした。
そこでホブさんが挙げられた歌手、渡辺歌子さんや、ロシアのブラート・オクジャワさん(1924-97)、ポーランドのエヴァ・デマルチクさんの名前を見て、とても「懐かしい」、と思ったのです。

若かった頃の「情熱」を思い出す「名前」の数々...。

そんなタイトルで「コメント」を書いてみましたが、要は、この方々のCDは、CD販売大手の「新星堂」さんが独自に立ち上げたレーベル「オーマガトキ」(「逢魔が時」=「黄昏どき」)にて、「シリウス・コレクション」として販売されていたものなのです。

私は、1988年から、2000年を過ぎたあたりまで、「知り合い」となった新星堂の店員さんに会いに、定期的に「金沢」まで通っていました。
ブレルやブラッサンス、フェレの他、リュシッド・ボーソンジュ、ロシアのヴラディーミル・ヴィソツキィーの話題でよく盛り上がりました。
その方は、もう新星堂にはいらっしゃらないようなので(店舗は「激減」しました)、もう会うすべもないのですが、「ホブさん」が挙げられた歌手名は、本当に「懐かしく」、
「若かった頃」の「情熱」を思い出します...。と、その「コメント」を結びました。

コメントのやりとりは、その後、翌日夜遅くまで続き、ひとまず「終了」となりましたが、今度は、ポータルサイトのニュースの見出しを見てビックリしました。

ヤドランカさんが死去...。

私は、ヤドランカさんについて詳しく知っているわけではありません。前々回(6日付け)の冒頭に書いた言葉で言えば、むしろ、「書けないもの」の部類に入ります。彼女のCDも、「シリウス・コレクション」で出ていて、私も、「毎回のように」店頭で見ていたのですが、手を出せないまま「終わって」しまいました。先述の店員さんは、確か、「おススメ」と言っていたように思います。

ヤドランカさんは、旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身ですが、1988年に「レコーディング」で来日した際、祖国の「内戦」が激化したために帰国できず、そのまま2011年まで、活動拠点を「日本」としていました(状況はちょっと違いますが、映画「ターミナル」を少し思い出しますね...)。

私は、ヤドランカさんのインタヴューが載った、新聞の「全面特集」の記事を確か「保管」しているはずなのですが(とても「美しい」笑顔の写真で載っています)、探せる範囲では、ちょっと見当たりませんでした。その代わり、2002年10月当時の「シリウス・コレクション」のカタログ(私が関わった、最後くらいのもの)を、「やっとの思い」で見つけ出しました。

「シリウス・コレクション」では、ヤドランカさんのCDは、以下の3枚が発売となっています。

「サラエボのバラード」(不明)
「ベイビー・ユニバース」(1996年)
「ムーン・ウィル・ガード・ユー」(2000年)

ここで採り上げた曲は、5曲。

1曲目「悲しみを燃やして」は、ゲームで有名な曲だそうですね。私は、最近はもう、なかなかゲームを楽しむ余裕がないので手を出していませんが、このような曲が使われるゲームって、きっと、とても「素敵」なんでしょうね...。

2曲目が「サラエボよ、明日は...」(Sarajevo sutra)です。
3曲目は、「1日がもっと長ければ」(sve smo mogli mi)。
4曲目は、「あなたはどこに」(sto te nema)
5曲目に選んだのは、日本語の曲で、「誰かがサズを弾いていた」です。「サズ」とは、「リュート」属の弦楽器で、「悲しみを燃やして」の写真で、ヤドランカさんが手にしているのがそれです。

私は、彼女に関しては、まったくの「素人」(ただ名前を知っているに過ぎなかった)なので、とりあえずの選曲ですが、いかがでしょうか...。
でも、「声」はとても素敵だと思いますし、やはり、その歌には「望郷の念」が感じ取れます。
しかし、「旅先」で、祖国の「危機」を知り、帰ることもできずに、長年「在留」を余儀なくされるなんて、想像もできないくらいの「苦難」ではないでしょうか...。

表情からも、「穏やかな」人柄がうかがい知れるヤドランカさんですが、「意志の力」は、想像を絶するくらい、「強い」人だったのですね...。

難病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」の患者さんは、どちらかといえば「男性」の方が「多い」というイメージでしたが、まさか、ヤドランカさんがこの病気で亡くなるなんて...。

65歳なんて、まだまだ「若い」です。
本当に、この「訃報」には驚きました。
今は、本当に、「安らかな眠り」をお祈りするだけです...。

合掌。

ヤドランカ・ストヤコヴィッチ(Jadranka Stojakovic, 1950年7月24日-2016年5月3日)
享年65歳。サラエボ出身。

(daniel-b=フランス専門)